最近観た映画のDVDから、面白かったもののご紹介です。
まずは「アメイジン・グレイス」。
これ、映画のタイトルなんですが、名曲「アメイジング・グレイス」がどうやって生まれたのかというのがテーマの1つになっているので、曲名をそのまま映画のタイトルにしたようですね。
この曲、それまでは歌詞に注意を払うこともなく、「綺麗なメロディーだな」程度にしか思っていませんでした。
ですが、曲の誕生に、こんな物語があったと知った途端、それまでとは全然違ったように聞こえてくるから、不思議です。
DVDの説明書きによれば、奴隷解放のために戦った実在の政治家の話がベースになっているそうで、さらにびっくりしました。
あまりに恰好いいんです。この政治家が。
映画の中にだけしか存在しないような、スーパーヒーロー。
正義感が強くて、公平で。どんな目に遭おうと、信念が折れない。
あまりに完璧な描かれようなので、てっきり、制作側の願望が入りまくった主人公かと思っていました。
物語は政治家の話なので、地味な展開が続きますが、その分リアリティーがあり、一人の人間の人生の重みが、じーんと胸にきます。
次にご紹介するのは「英国王のスピーチ」。
たくさんの賞を取った作品なので、すでにご覧になった方も多いかもしれませんね。
ジョージ6世が吃音だったことも知らなかった私でしたので、伝記映画として楽しんで観ましたが、それだけでなく、一人の男の成長物語としても面白かったです。
どちらかというと、ジョージ6世の兄のエドワードの方が、日本では知られていたのではないでしょうか。
エドワードが王位の座を捨てて愛を選んだというドラマチックな話は、女性誌などで、しばしば取り上げられてきました。
女性が好きな話なんですね。
この映画では、その兄の代りに王の座に就くことになったジョージの苦悩や孤独、挫折といったものを描いています。
イギリスの王という、自分とは全然違う世界の人なのに、その心の痛みにすっと感情移入できてしまうから、不思議です。映画の力でしょうか。
最後の渾身のスピーチでは、思わず「頑張れっ。あともうちょっとだ」と肩に力を入れて応援してしまったのも、映画の力のなせる業でしょうか。
最後にジョージ6世の顔がアップになるのですが、これが、自信を得た男といった、いい顔なんです。
こういう役者の表情1つで、感動を作れるのが、映画の凄いところですよね。
作家としては、嫉妬を覚えるところでもありますが。
先日、東京タワーに行きました。
特設会場で開かれている「山本作兵衛展」を観るためです。
長年、炭鉱夫として働いた作兵衛さんが、引退後に、炭鉱のことを子孫らに書き残しておこうと、絵筆を取ったのが始まりで、1000点以上の炭鉱記録画を残したといわれているそうです。
作兵衛さんの炭鉱記録画は、ユネスコの世界記録遺産に登録されたのをきっかけに、それまで以上に注目を集めたようです。
それが、なぜ、東京タワーの特設会場での開催なのかは、わかりませんが、とにかく、一度、観てみたいと思っていたので、足を運びました。
行ったのは、平日の昼間。
こうした時間帯に、よく美術館へ行くのですが、びっくりするほど混んでいたりするもんです。
会社勤めを引退された方や、仕事の合間っぽい人などの姿を、多く、見かけます。
が、この会場は、数えるくらいの来館者。
どうしてだろうかと首を傾げながらも、ま、ゆっくり観られるからいいかと納得させ、いざ、観始めると・・・。
掟破りの人たちばっかりで。
通常、絵を見る時には、絵を観ている人の前には立たない、という暗黙のルールがあります。
また、絵を観終わり、次の絵へと移動する際も、誰かの視線を遮っていないだろうかと配慮をしながら、移動します。
こうしたルールも、大混雑している館内などでは、しばしば無視されてしまうことも、あるっちゃ、あるのですが、それは、やはり、混雑しているからで。
その日の館内は、すっかすかの来館者だったにも拘らず、平気で、私の前に立つ皆さん方。
こうした場に来慣れていない人たちなのでしょうか。
そうしたルール無視にめげず、絵を観て歩いていると・・・私の前に女性の二人組が立ちました。
と、そのうちの一人が、こともあろうに、額装されている絵のガラスを、指で、すうっと撫でたのです。
失神しそうになりました、私は。
あまりの衝撃で。
自分を取り戻せるようになるまで、しばしの時間がかかりましたね。
それからは、ガラス付きの額装で、良かった、と、安堵する気持ちや、見張りのスタッフは、なにをしとるんじゃといった、ツッコミ、あの女を逮捕しろという思いなどが、次から次に湧き起こりました。
小学校の廊下に貼ってある、子どもたちの絵のような、感覚だったんでしょうか。
絵を指で触ろうなどという発想の元は。
そうした絵だって、触っちゃ、ダメだと思いますが。
いやいや、心臓に悪い。
思わず、館内にあったソファに腰掛け、心と心臓を休めました。
皆さんは、どうか、許可されていない芸術作品に触れるなどという、暴挙はなさいませんように。
好きな食べ物ランキングを付けるとするなら・・・といったお題が出たら、1位にメロンパンがくると、以前、このブログに書きました。
2位はういろう、3位はケチャップ。
このトップ3は不動。
ここ何年も変わっていません。
と、ここで4位に入れてもいいんじゃないかといったものが登場。
五家宝(ごかぼう)です。
ご存知でしょうか?
大きなスーパーの菓子売り場の端の方に、ひっそりと置かれているお菓子です。
辞書によれば、もち米を蒸し、水あめと砂糖を加えて固め、棒状に作り、青きなこなどをまぶした菓子とあり、享保年間に現在の群馬県の方が初めて作ったという説があるようです。
現在は埼玉県越谷の名産とも書いてありました。
これ、きなこがまぶしてあるので、食べると、口の周りがきなこまみれになります。
また、喉も乾きます。
結構な弾力と粘着性があるので、歯につめものをしているような方は、覚悟して食さなければいけません。
が、こうしたマイナス面を忘れさせるほどの、独特の個性と味わい。
一度はまると、病み付きです。
きっかけは、今年のお正月。
たまたま食べたところ、その味と食感にノックアウトされました。
それ以前から、もしかしたら、私は五家宝を好きかもしれない、という予感みたいなものはありました。
スーパーの菓子売り場などで、「買って、買って~」と自己主張の強い菓子たちの中で、遠慮気味というか、どっちかというと「どうせ俺なんて、買う気ないよね」と、拗ねている様子なのが五家宝。
そうした姿を、たまたま見つけると、これ、結構、美味しいんだよねと買ってしまっていましたから。
とはいうものの、それじゃ、次に菓子売り場に立った時に、また五家宝を選ぶかというと、そうはならず、別の菓子に手を伸ばしてはいましたが。
でも、五家宝を忘れたことはなく、しばらくすると、また、五家宝を買い、そうそう、これ、美味しいんだよねと、再確認していました。
私が船なら、五家宝は港とでもいいましょうか。
ほかの菓子たちを食べ歩いていても、帰るのは港である、五家宝。
そんな関係性が大きく変化したのが、今年のお正月。
5分ほどで、1袋を食べ終えた時、これこそ、4位にランクインするべき食べ物であるとの確信が。
いや、一時のブームのようなもので、すぐに飽きちゃうんじゃない? という冷静な声もどこからか聞こえてきました。
が、それから約5ヵ月。
未だに、五家宝への愛は冷めず、これは本物だと認め、この場で発表することにいたしました。
なんつったって、今では、五家宝を買うためだけに、スーパーに行くぐらいですから。
もし、スーパーで、五家宝の袋を5個も6個も、あるだけ買おうとしている人を見かけたら、そっと見守ってやってください。
それは、私ですから。
先日、信号待ちをしていると・・・。
横断歩道の向こうには、ランドセルを背負った少女が一人。
小学4、5年生ぐらいでしょうか。
信号が青になり、私が歩き出そうとした時、ふと、横断歩道の向こうに目をやると、件の少女が、すっと真っ直ぐ右手を上げました。
そして、そのまま、横断歩道を進んできます。
格好いい。
迷いのない、右手の上げ方が、堪らなく恰好いいんです。
すれ違う時「格好いいよ」と声をかけたくなる気持ちを抑え、じろじろ見ないように注意しました。
口笛を吹けたなら、吹いていたかもしれません。
横断歩道を渡り切り、私が振り返ると、少女は上げた時と同じくらい潔い感じで、手を下ろし、細道へと入っていきました。
恐らく、学校で、横断歩道を渡る時、手を上げるよう、教わったのでしょう。
それをちゃんと、しかも恰好よくやっている少女が、とても素敵でした。
そこで、我が身を振り返ると、学校で習ったかどうか、記憶がありません。
でも、親が教えてくれたようにも思えず、やはり、学校で習ったと考えるのが自然でしょう。
習った当時、私は、あんな風にちゃんと手を上げただろうかと考えると、そんな記憶もありません。
さらにいえば、手を上げたこともあったが、いつの間にか、上げなくなったという、そういった流れの記憶もないのです。
学校では、手を上げて横断歩道を渡れと教わったが、大人たちは、やってないじゃん、といった理由から、やがて上げなくなり、「大人って、言ってることと、やってること、違うよね」といった子どもなりの冷めた目で、世の中を斜めに見ていたのかどうかも、定かではありません。
では、授業中はどうだったのか。
授業中には、真っ直ぐ手を上げていただろうかと記憶を辿りましたが・・・どうもはっきりしません。
ただ、中学以降では、教師が「誰か、わかる人」と言って、手を上げるような人はクラスにはいなかったという記憶がはっきりしています。
教師の方もわかっているので、手を上げさるという無駄なことはせずに、その日の日付けと同じ学籍番号の生徒を指名して、答えさせたりしていました。
では、小学校では?
どうでしょう。
確実なのは、私は積極的に授業に参加するような子どもではなかったということ。
だとしたら、ほかの生徒らが手を上げていても、まったく上げなかった可能性が高いように思われます。
その時、自分は上げなかったという思いが強く残っていたから、真っ直ぐ手を上げて横断歩道を渡る少女に、反応したのかもしれません。
あの少女は、どんな子でしょう。
学校では? 家では?
そんなことを、あれこれ考えているうちに、あの少女の物語を書きたくなってきました。