カメラ写り

  • 2013年03月14日

幼い頃の私は、どんなに泣いていても、カメラを向けられると、にっと笑う子どもだったそうです。
なにが、そうさせたのか、まったくわかりません。
わからないものの、そのままにしておくべきことと、私は思います。
が、私の両親は、泣いている写真が1枚もないというのは、つまらないと、考えまして、無理矢理泣かせたそうです。
こういう親って、どうよ、と、私は思います。
それでも、カメラを向けられれば、にっと笑っていたそうです。
これで、諦めないのが、我が親。
連日、しつこく、泣かせていたそうです。
間違いなく、虐待ですね。

そして、ある日のこと。
さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、カメラを向けられても、にっとできなかった私は、「写さないで」と言わんばかりに、くるっと後ろを向き、顔を隠したそうで。
その時の1枚というのが、残っています。
ベビーベッドの中にいる私は、足をクロスさせています。
そして、柵の上に腕をのせ、そこに顔をうずめるようにして、カメラから顔を隠しています。
お尻のあたりは、オムツ着用中とはっきりわかる、ぽってりとしたライン。
その幼さと、はっきりと拒絶している固い意志表示のバランスが、なんとも味わい深い1枚となっています。

ここまでに頑なに、泣き顔を写させなかった私は、いったい何者だったのかと思わないではありませんが、それを泣かせて写真を撮ろうとする親も、何者だったんでしょう。

時は巡り、今、取材などで、写真を撮られることがあります。
親は、「美しく撮っていただくことは無理だろうから、賢そうに見えるよう、写していただきなさい」と言います。
そこで、カメラマンの方に「賢そうに見えるように、お願いします」と言います。
すると、「わっかりました~」と軽くいなされたり、「難しいですねぇ」とあっさり否定されたりします。
で、できあがった画像がメールに添付されてきます。
と、あんだけシャッターを押してて、これ? と思うような画像が。
大体、口を大きく開けて、ガハハと笑っているショットなんですね、これが。
賢そうにとお願いしたのに・・・。
同席していた編集者に、ぶちぶちと愚痴ると、レンズを睨んでいるような写真より、表情が生き生きしている方がいいと思ったんじゃないですかねと、カメラマンさんをフォロー。
そんな時はいつも、幼い頃、笑顔しか写させなかったという、親から聞かされたエピソードを思い出します。

あの日

  • 2013年03月11日

あの日――。
地震がきた時「あぁ、この世が終わる」と思いました。
そして「こんな終わり方って、アリかよ」とも。
まだ揺れている中で、手を伸ばしたのは、原稿の入っているUSBメモリーでした。
これだけは守らなければと、なぜか、そう思い、引き出しに入っていたUSBメモリーを取り出し、ずっとそれを握りしめていました。
揺れが治まった後、どれくらい呆然としていたか、よく覚えていません。
そうだ、テレビを付けてみようと思い付くまでに、相当の時間がかかりました。
付けたテレビから流れてくる情報は、耳を疑うようなものばかりで、気が付けば、身体が震えていました。
胸に溢れるのは、無力感と絶望感。

あれから2年。
未だ復興の足掛かりさえ掴めていない方たちが多いということが、残念でなりません。
私はといえば、家具を固定する粘着マットを使用したり、水のペットボトルを常備するようにしたり、非常用トイレ袋を買ったりと、防災グッズを用意するようになりました。
そして、仕事でも、少しの変化が。
「いつか」「そのうち」という言葉を使わないようになってきたように思います。
いつか、こういう作品を書きたいという考え方から、今、書かなくてはとの想いに変換したような。
いつ、なにが起きて、どうなるかわからないという事実が、胸に刻まれた結果、先延ばししてはいけないと気が付いたのでしょうか。

その一方で、書けないこともあります。
震災直後、この震災をテーマにした小説を書いてみる気は? と、ある編集者から尋ねられました。
即座に「無理です」と答えました。
私の中で、受け止めきれていないので、書くという行為にまで辿り着けないと説明しました。
ある程度、自分の中で咀嚼できるまでになっていないと、書くということはできません。
2年経った今も、震災を扱った小説を書く気にはなりません。
まだ、受け止めきれていないようです。

  • 2013年03月07日

世の中には、解明できずに、謎のままといったことが結構ありますね。

以前住んでいた街には、鳥の鳴き声という謎がありました。
夕方、商店街を歩いていると、鳥の鳴き声が聞こえてきます。
これ、一羽、二羽といった量ではなく、何千羽いるんだろうかといったぐらいの鳴き声。
えっ? と、空を見上げてみますが、鳥の姿はゼロ。
やがて、空から聞こえてくるといより、もっと近くから聞こえてきていると気付きます。
でも、鳥の姿はゼロ。
その商店街は、一階を店舗、二階を住居としているところが多かったのですが、そんな大量の鳥を飼っていそうな店舗も住居も見当たりません。
でも、鳥の鳴き声は確かに聞こえてくる。
なんだろう、これは。
鳥好きな人が、大量に室内で飼っているのか、ブリーダーのような人が住んでいるのか。
わからないまま、月日が過ぎていきました。
ほぼ同じ時間に商店街を歩いていても、聞こえる日と、聞こえない日があるのも不思議でした。
やがて、そうした不思議にも慣れてしまい、聞こえてきても、あぁ、今日は聞こえているな、ぐらいにしか感じなくなっていました。
ある日、私の前を歩いていた人が、突然、空を見上げたり、きょろきょろと辺りを窺ったりしている様子を発見しました。
少し前の、私も、あんな感じで、鳥の鳴き声に反応していたのだろうと思うと、仲間意識のようなものを感じました。
そして、きっと、あなたも、謎を謎のままにして、やがては受け入れるのだよと、心の中で呟いていましたっけ。
その後、その街を引っ越しましたので、今も、謎の鳥の鳴き声があるのかどうかは、わかりません。

謎のままという話をもう一つ。
同じマンションの四階に住むカップルがいまして、男性より女性の方が、かなり年上と、お見受けしておりました。とても仲がいいようで、いつも二人一緒。同じ職場なのか、夕方頃、二人揃って出勤する姿を何度か見かけていました。
ある日、エレベーターで一緒になった二人組を、ちらっと見ると、一人は四階に住んでいる男性。
が、隣にいるのは、初めて見る若い女性。
おいおい、浮気なら、彼女の家に行け、などと、心の中でつっこみました。
しばらくして、また、四階に住む男性を見かけた時には、隣には浮気相手の若い女性がいて、どうも一緒に四階で暮らしている様子。
浮気じゃなかったのかよ、年上の人はどうなったのかよと、その男性の襟首を摑んで、問い質したくなってしまいました。もう、自分の立ち位置が、わからなくなってますね。
が、そんなこと、できるわけもなく。
それから半年ほど経ったある日。
インターフォンが鳴ったので、モニター画面を覗くと、見知らぬ男性が。
「私、弁護士の○○と申しますが、四階に住んでいた△△さんが、どこに行ったか、ご存知ありませんか?」と質問されました。
つい、「△△って、男性の方ですか?」と聞いてしまったところ、「賃貸契約書は女性の名前ですが、男性と一緒に住んでいたのでしょうか?」と質問返しされてしまい、迂闊なことを言ってはいけないぞと、心の声がしたので、「ほかの階の方と勘違いしました」と返答。
弁護士さんは四階の女性は夜逃げしたと語り、いつから姿を見なくなったか、引っ越し業者のトラックなどがマンションの前に停まっていたことはなかったか、と尋ねてきました。
△△さんとは、最初の年上の女性でしょうか? それとも、後から登場してきた若い女性?
夜逃げって、どういうことでしょう。
弁護士さんが登場した理由は?
謎、たくさんあり過ぎ。
ドラマでしたら、最終回までに、すべてが明らかになるでしょうが、現実は、これが最終回。
謎は謎のまま。
世の中には、こういうこと、結構ありますよね。

ぬいぐるみ

  • 2013年03月04日

女には2通りあって、1つは、ぬいぐるみや人形を捨てられない人。もう1つは、ポイポイ捨てられる人。
ぬいぐるみのところを「男」「過去」「仕事」「友人」などに、置き換えることもできると、思っていまして、拙作「ハタラクオトメ」の中にも、書いたことがあります。

「意外ですね」と言われるのですが、私は捨てられないタイプでして、仕事場には3体のぬいぐるみがあります。
1つは、以前、ドイツにサッカーワールドカップ観戦旅行へ行った時に、1ユーロショップで買った、高さ10センチほどの小さな熊のぬいぐるみ。金具が付いていて、キーホルダーとして使えるようです。当時、1ユーロ≒100円程度でしたから、1対が約100円とお買い得なうえに、胸にドイツの国旗と、ドイチェランドと文字が入っていたので、お土産にいいわと、大量に買いました。あちこちに配った後、1体だけ残ってしまい、それが、未だに手元にあります。

今更ながら、よく見ると、胴体に直接国旗と文字が縫い付けられていて、擬人化した場合、結構、残酷な状態であることに気付きます。また、蝶ネクタイの正装姿を施している点も不可解なうえ、その蝶ネクタイも、首のあたりに、直接縫い付けられているという、簡便に作っちまいました感がたっぷり。1ユーロなんだし、こんなもんでいいだろ? といった作り手の声が聞こえてくるようでもあります。

2体目は、同じドイツ旅行時に、デパートで、一目惚れして買ったロバのぬいぐるみ。
ドイツといえば、当然、テディベアが有名ですから、買うなら、熊だろうという大方の予想を裏切って、なぜかロバを選びました。
ドイツ語はわからないので、推測ですが、どうも、テレビアニメかなにかで、ドイツの子どもたちに人気のキャラの、ぬいぐるみのようです。
ロックなロバでして、頭には赤いバンダナを巻き、白いTシャツの上に、黒の革ジャンを羽織っています。喧嘩っ早いのか、体のあちこちには、怪我の痕が。ワイルドだろぉ~なのです。高さは20センチほどです。

3体目は、高さ7センチほどの犬のぬいぐるみ。
以前、友人の娘さんがくれたものです。
友人と、その娘さんが我が家に来訪した際、当時、3つか4つぐらいの娘さんが、とても大事にしていたその犬のぬいぐるみを、なぜか、私にくれると言い出し、そう言われると、全然いらないとは言えなくて、頂戴することに。
そして、どこかの引き出しに入れたっきり、忘れていたのですが、半年ほど後に、友人の母娘が再来訪した際、「あのワンちゃんは?」と聞かれ、大慌てで部屋中探しまくるといった騒動がありました。
「かくれんぼが得意なんだよね、このワンちゃん」とかなんとか言って、必死で取り繕った記憶があります。
もう中学生になった、その娘さんが、犬のぬいぐるみの存在を、これから確認してくることはないとは思うのですが、もしかしたらという思いも拭えず、処分できずにいます。

あなたは、捨てられない人ですか? それとも、ポイポイ捨てられる人ですか?

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