お弁当

  • 2014年03月03日

小学生の頃の話。
遠足かどこだかへ行くことになり、お弁当を持参することになっていたのだと思います。
「お弁当はなにがいい?」と母に聞かれた私は、「なんでもいい」と答えました。
「なんでもいいっていうのが、一番困るのよ」と言われ、さらに「なにがいいのか言ってちょうだいよ」と圧がかかってきたので、「じゃ、稲荷鮨」と言いました。
絶句する母に、「中のは、白いのじゃなくて、いろんなのが入ってるの」と私は追い打ちをかけます。
これは、油揚げの中に入れるのは、白いすし飯ではなく、ゴボウやニンジンなどの具を混ぜた五目稲荷鮨にしてくれという意味。
母の顔は曇っていきます。
まさか、そんなメンドーな料理を指定するとは思ってもいなかったのでしょう。
今なら、それが非常に手のかかる料理だということがわかっていますが、当時の私には、よくわかっていませんでした。
その後、瓶詰めされた五目ずしの種というのが発売されたので、こうしたものを利用すれば、それほど大変な料理ではありませんが、昔は大変でした。
野菜を切り、煮込んで・・・といった手間は結構なもんです。
さらに当時は、稲荷鮨用の油揚げなんかもありませんでしたから、普通の油揚げを買ってきて、切れないように袋状に裂く手間もありました。
また、それだけ大変な手間をかけても、弁当箱に詰めた時、ちょっと地味。
タコさんにしたウインナーや、目鼻をつけたうずらの卵の方が、華やかさがあるっていうのが癪じゃないですか。
せっかく具を五目にして、それには彩りがあっても、油揚げで包んでしまうため、見た目の地味さは如何ともしがたい。
かくして、母は前日から仕込みに追われ、当日も早朝から起きて、髪を振り乱し目を三角にして稲荷鮨を作り、その割には地味な見た目のお弁当を完成させました。
遠足から帰宅すると、「お弁当、美味しかった?」と30回ぐらい聞かれた記憶があります。
あれだけやったんだから、美味しかったと言われたい、との気持ちがあったのでしょう。
inarizusi
母は学習し、その後、2度と「お弁当はなにがいい?」と言わなくなりました。
「今度のお弁当は、サンドイッチにしたから」「今度のお弁当は、お握りでいくから」といった予告をするだけになりました。

中学生になると、毎日お弁当が必要になりました。
頑張って、母が毎日お弁当を作ってくれていましたが、時に寝坊したりする。
そんな時、母は、お金をくれて「駅前の○○店で、なんか買ってちょうだい」と言います。
当時コンビニはなく、駅前に一畳ほどの小さな店があって、そこではお握りやかんぴょう巻きなどの巻きずしのほかに、稲荷鮨が売られていました。
そこは、毎朝、行列ができるほどの人気店でした。
しかし街は時代と共に変わっていき、コンビニが乱立するようになりました。
それでも、その一畳ほどの店は踏ん張り続け、毎日のように行列ができていました。
それが、十五年ほど前のこと。
ある日シャッターに一枚の紙が貼られていたそうです。
そこには、長い間のご愛顧、ありがとうございましたと感謝の言葉と閉店の案内が。
あまりに突然だったためか、シャッターの前で呆然と立ち尽くす人が1週間途切れることはなかったとか。
あんなに毎日行列ができていても、商売は大変だったのでしょうか。
それとも別の閉店理由があったのでしょうか。
詳細は不明なまま。
このブログを書きながら、そこの稲荷鮨がどんな味だったかを思い出そうとしたのですが、これが、全然思い出せない。
甘く、優しい味だったような、ふわりとした記憶だけ残っています。

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