天麩羅

  • 2014年05月08日

小学生の頃、近所に天麩羅屋がありました。
当時40代ぐらいの姉妹が経営している小さな店で、注文をすると、その場で揚げてくれます。
いつも順番待ちの列ができていました。
揚げる鍋の四方はガラス張りで、自分の番がくるのを待つ客たちが眺められるようになっていました。
母と二人でその列に並びながら、姉なのかそれとも妹の方なのか、どちらかわからない調理担当の人の見事な手さばきに見惚れたものです。
姉か妹かどちらかわからない、レジ担当の人が、番になった私の顔を見る度、こう言うのです。
「まぁ、なんて福福(ふくぶく)しいんでしょう」と。
すると、大抵調理担当が振り返って、私に目をあて「まぁ、本当に」と頷くのです。
子どもの私にとって、「福福しい」という言葉の意味がわからず、「ぷくぷくしている」という言葉の変形バージョンか? と思っていました。
当時の私は超ド級の肥満児で、現在より10kgほども重い体重がありました。
太っているというのは、自覚していまして、デブと言われることにはすでに耐性がありました。
が、この「福福しい」にはどう対応するべきなのか?
隣の母の顔色を窺うと、満更でもないといった表情をしていて、どちらかというと褒められているぐらいの様子です。
ということは、いいことを言われているのかな? ぐらいに受け止めていました。
「福福しいお客さんが来ると、今日は商売繁盛になって縁起がいいから、オマケしときますね」と、大抵レジ担当が言うので、どうやらいいことっぽいぞという考えにさらに傾いていきました。
tennpura
最近、辞書を引いていて、ある言葉を見つけました。
「福福しい」。
突然、天麩羅屋のことが思い出され、懐かしい気分になりました。
そして、今更ながら姉妹のオリジナルな表現ではなく、一般的な言葉であったのだと知りました。
どれどれ、意味はと読んでみると――円く肥えてゆたかな顔つきである。
んー、微妙。
ってことは、あの天麩羅屋の姉妹は私に向かって「まぁ、なんておデブちゃんなんでしょう」と言っていたことに。
「ゆたかな」という言葉にひと筋の光を見たいところです。

改めて思ったのは、物は言い様だということ。
「まぁ太ってるわね」とせず、「まぁ、福福しい」とすれば、なんだか福をたくさん背負っているようで、悪い気はしません。
人を不愉快にさせてしまうのも、モチベーションを上げさせるのも、言葉。
上手く使って、人間関係を円滑にしたいもんですね。

ブログ内検索

  • アーカイブ


  • Copyright© 2011-2024 Nozomi Katsura All rights reserved. No reproduction and republication without written permission.

    error: Content is protected !!
    Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.