椎間板ヘルニアと人間ドックで初めて指摘されたのは数年まえのこと。
寝具は大事だとわかってはいたのですが、狭い部屋に住んでいるという事情から、ソファベッドを使用していました。
昼間はベッドを折り畳み、ソファにします。すると部屋が少しだけ広く感じられるからです。
このソファに座っている時間はとても長い。
食事の時も映画のDVDを見る時も、本を読む時も、ちょいとうたた寝をする時も。
当然夜になれば、ソファを広げてベッドにして、横になります。
この時間も結構長い。
十年も経つと、へたりが半端じゃない状態に。
買い替えなきゃなぁとは思ってはいたものの、捨てるのも区役所の粗大ごみ処理センターに申し込んだりとそこそこメンドーなので、なかなか踏ん切りがつかずにいました。
そこに椎間板ヘルニアとの指摘が出たので、これをいい機会にしようと、買い替えることに。
今度はソファにもなるといった兼用タイプではなく、腰のために敷き布団にしようと決意。
たかが敷き布団、されど敷き布団。
まぁ、あるはあるは。
しかもどれも人間工学だの、データに基づいただのと薀蓄を語っています。
大きく分けると、軟らかいものと、硬いものの2種類。
どちらの主張も、説得力があって、いったいどっちを選んだらいいのかと困ってしまいます。
散々迷った挙句、それまで軟らかいものだったので、今度は硬いものを選択。
ネットで購入し、届いたのがこちら。
なかなかの大きさなのと、手で押してみたら「石かよ」と思うほどの硬さに、すでに失敗したような気が。
これはマットと敷き布団を兼ねたようなもので、フローリングに直置きし、専用の敷パットを重ね、その上にシーツをつけて使用します。
取り扱い説明書を読んでみると、慣れるまでは硬さのせいで痛みを感じることもあるといった文字が。
どんどん大きくなっていく不安を抱えたまま、その夜、フローリングの床に広げ、使用してみると・・・。
翌朝、いつも寝起きに感じる腰のだるさが軽くなっている気が。
ん?
これか? これが、腰にとっていいという敷き布団の力なのか?
慣れるまで硬さのせいで痛みを感じるという話はどこにいったんだろう。
まぁ、良かったんだからいっか。
てなわけで、副作用を感じることなく、新しい寝具に慣れました。
翌年の人間ドックでは、椎間板ヘルニアを指摘する文字が所見のページから消えていました。
技師が見落としたのでしょうか?
それとも・・・?
腕時計をしなくなって、20年ぐらいになります。
軽度の金属アレルギーを発症したせいです。
腕時計をするということは、文字盤の裏の金属が常に肌にあたっている状態。
その文字盤があたっていたところが、赤くなってしまうのです。
しょうがないので、腕時計をしなくなったのですが、やはり時間がわからないというのは不便。
そこで、バッグの持ち手に腕時計を結ぶように。
バッグの持ち手にしていますから、腕にしている時より、いろんなものにぶつかります。
混んでいる電車に乗れば、お隣さんの鞄にぶつかってしまいますし、どこかにバッグを置いた時には、いろんなものにぶつかります。
私の扱いが雑なのかもしれませんが、今更しとやかにできるはずもなく。
高額な腕時計なんて、もってのほか。
リーズナブルで、しかもバッグとコーディネートしやすいよう、様々な色やデザインのあるものが欲しい。
で、見つけたのが、こちら。
リーズナブルな腕時計ブランドの中から、白いバッグの時に合わせるため、白を選択。
オシャレ過ぎて、何時かよくわからない腕時計もありますが、これは、しっかりと数字と針が見易くなっているので、眉間に皺を寄せて見つめることなく、時間がわかります。
このブランドでは、このほかにグリーンと黒とピンクの3本買いましたが、どれも数字が見易いものをチョイス。
まだ、今はなんとか普通サイズの文字盤で見えていますが、そのうち、もっと大きなものではないと、そこに書かれている数字が見えなくなるようにも思います。
そうなったら、どうやって時刻を知ったらいいのでしょう。
音声で教えてくれるようなものがあるでしょうか?
以前イタリアに長いこと住んでいた知人が、日本人は時刻をいつも気にしていると言っていたことを思い出します。
日本には町中に時計があるし、そのどれもが正確な時刻を表示しているとも。
イタリアでは日本ほど町中に時計はないし、あったとしてもそれが示している時刻があっているかどうかははなはだ怪しいというのです。
それに日本ではほとんどのレストランの壁に時計がかかっていて、それが大抵正確でびっくりするそうです。
彼女はイタリアのレストランで壁に時計がかかっているのを見た記憶がないそうで、時間を店員に尋ねたりしたら「そんなことを気にするな」と言って教えてくれないだろうとも言っていました。
その話を聞いた時、なんだかちょっと羨ましくなりました。
時刻を常に意識している生活より、そんなものどうでもいいと言える生活の方が何倍も豊かで楽しそうです。
が、哀しいかな。
すでにDNAに刷り込まれている日本人気質。
今日も時刻を確認するため、何十回と時計に目をやっています。
最近観た映画のDVDの中で、特に心に残った作品のご紹介です。
まずは「リトル・ダンサー」。
これ、間違いなく名作です。
名作だとは聞いていましたが、なぜか見逃し続けてきまして、最近になって観て、なるほど、これは噂通りに名作だと納得。
イギリス北部の炭鉱町で、母を亡くした少年が、炭鉱夫の父親と兄と貧しい暮らしをしています。
この少年が、ひょんなことからバレエを始めることになり、彼がその夢を実現していくまでの成功物語。
が、この作品の素晴らしさは、そうした主軸とはほかに、家族の物語になっていること。
いつの間にか、少年の夢の実現はもちろんなのですが、どっちかというと彼の父親を喜ばせたいと思ってしまっているのです。
また、シーンの繋ぎが見事で、一瞬で時間の経過を見せるといった高テクニックは非常に勉強になりました。
ラストシーンも素晴らしい。
こうしたテーマの作品によくありがちな、だらだらと主役に躍らせて「こんなに踊れますぜ、なんたってたくさん練習しましたから」とアピールして終わるといった定石を使っていない。
最後に踊るシーンはゼロ。
ラストシーンは、客席で息子の舞台を見つめる父親のアップてす。
こっちはこの父親を喜ばせたいと、感情移入して観ていましたから、その父親が感動し、喜ぶ顔を見せてくれただけで、最高に幸せな気持ちになれるのです。
いい映画です。
次にご紹介するのは「コッホ先生と僕らの革命」。
舞台は19世紀末のドイツ。
母校に英語教師としてやってきたコッホ先生が、生徒たちとサッカーを通して、様々なことを学んでいきます。
実話を映画化したもののようです。
サッカー好きの私には、サッカーをテーマにした映画には点数が甘くなるという傾向があるのは充分承知の上で、言いましょう。
これ、とてもいい作品です。
物語は非常にオーソドックスに進んでいきますし、きっとこの子は、次にこういうセリフを言うだろうなと思っていると、だいたいその通りのセリフを口にします。
普通なら、平凡な作品との評価を付けるところですが、これを観終わった時に感じるのは満足感なのです。
物語を作る者として、この理由ははっきりさせたいところ。
しばし腕を組み、理由を考察。
恐らく、一つひとつのシーンを丁寧に作っているからかなぁとの結論に。
子どもたちの一瞬の表情、時代の空気を反映している街並み、裕福だけど支配者と服従者しか存在しない家の中、貧しさが溢れている家・・・そうしたシーンをとても丁寧にちゃんと作っているのです。
派手な仕掛けやサプライズがなくても、きちんと作っていけば、感動作を作れるというのを学ばせてもらいました。
いやぁ、暑いですね。
長期の天気予報で今夏は冷夏だと聞いた記憶があるのですが、私の聞き違いでしたか。
自宅から駅までの距離が、冬より2倍は遠くなったように感じるのは、恐らく気のせいでしょう。
できることなら昼間外に出たくない。
が、出なくてはならないこともある。
そんな時、化粧をするのも、さぁ大変。
いつの頃からか、化粧が体力を使う作業に。
化粧をしていると、どんどん身体が熱くなっていくのです。
心が戦闘モードに入るのでしょうか。
それとも老化の一端なのでしょうか。
化粧をしていると汗だくになっていくのです。
若い頃は決してこんなことはありませんでしたから、やはり齢と関係があるように思います。
これは化粧をしているそばから化粧崩れを起こしているようなもんで、このまま永遠に化粧をしていることになるのではとの思いも浮かんできます。
そこで、扇風機を横に置き、冷たい風を間近に受けながら化粧をするように。
フェースパウダーなんか、顔にのっているんだか、風下に飛んで行ってしまっているんだかわからない状態ですが、粉を顔にのせたと思い込めればOK。
どうせ一歩外に出たら、すぐに汗で流れていってしまうのですから。
自宅に戻り鏡を見たら、汗が伝った通り道が顔にしっかり残っていて「あらま」といったことも。
昔、マスカラは水で落ちてしまうものでした。
それがメーカーの執念によって、水に落ちないマスカラが開発され、女性たちは喜びました。
もう少し待てば、汗で落ちないファンデーションやフェースパウダーが発売されるでしょうか。
仕上がった後で、防水スプレーのように噴射して顔に固定するようなものでもいいのですが。
そんな新商品の開発を心待ちにしています。
それにしても、いやぁ、暑い。