初期設定の難解さ

  • 2014年05月19日

買い物での失敗が結構あります。
便利だとの謳い文句に惹かれて買ったものの、数回使ううちに、手入れがメンドーだったりして、やがて部屋の中にある邪魔なモノといった存在に成り下がってしまうことが多々あります。
が、これはまだいい方で、買ったはいいが、それだけで満足してしまい、そのまま放置なんてケースもあります。
もっと切ないのは、購入した品を、さて使おうかと取扱説明書を読んでみたところ、あまりに初期設定がメンドー臭く、新しい世界に踏み出そうという気持ちが萎えてしまうケースです。

電動歯ブラシを買おうと思ったのは、歯科クリニックに行った時でした。
そこでは歯石を取りに行く度に、電動歯ブラシの使用を勧められていたのですが、「そうですねぇ」と答えるだけに止め、かわしてきました。
が、その日は計算をしてみたのです。
4ヵ月ごとに歯科クリニックへ行き、払う金額と、電動歯ブラシを使うことでその4ヵ月を5ヵ月、あるいは半年に延ばせられた場合の金額では、どちらが得なのかと。
結局数字に弱い私には、その場でどちらが得かの判断はできず、その歯科クリニックで電動歯ブラシを購入することはせずに帰宅。
自宅でゆっくりネット検索してみると、実にたくさんの電動歯ブラシが売られていることがわかりました。
値段もそれほど高くないようです。
そこで、私が一番気になるステインの除去という言葉が説明書きにしっかりあった品を購入。
haburasi
3日後、届いた梱包を開け、さてさてと、取扱説明書を読み始めます。
すると・・・なんちゅう初期設定の面倒臭さ。
まずこのボタンを押して、歯にあてて○秒。それから○秒以内に別の場所にあてる。
とあります。
さらに歯から外している時間が○秒以上経つと、リセットされてしまうので、また最初からだの、さらにこうした初期設定は使用してから6回まで続くだのと、予想外のあれやこれやが書いてあります。
そのうえ、○○モードにする場合は、△ボタンを○秒以上長押しするだの、××モードにする場合は□ボタンを二回押して、振動の強さを選択してから☆ボタンを押して決定してからにしろだのと、パソコンの初期設定かと思うような指示の羅列。
電動歯ブラシなんて、スイッチを入れて、歯にあてるだけかと思っていたのに・・・。
さらに洗面所にコンセントが2つしかなく、そのうち1つは電話の子機のために常に使用中で、もう1つは温風&冷風器に使っています。
このため、電動歯ブラシの充電のためには、温風&冷風器のプラグをその都度コンセントから外さなくてはならないことに、この時点で気が付きました。
しゅるしゅるしゅると、やる気が萎んでいく音が聞こえます。
結局、今度時間のある時にやろうと思い、洗面台の隅に置くだけに。
時間のある時なんて時は、決してこないんですね。
それから半年。
ほこりをかぶった電動歯ブラシが洗面台の隅にあります。まだ未使用の状態で。
毎日それを目にする度、ちょっと切なくなります。

映画「戦火の馬」

  • 2014年05月15日

最近観た映画のDVDの中で、面白かったもののご紹介。

まずは「戦火の馬」。
監督がスティーブン・スピルバーグ。
これだけで映画への期待が高くなりますが、この期待を裏切らないだけの感動の作品となっています。
時代は第一次世界大戦の頃。この時代の人を描くために、中心に馬をもってきたというのが、この作品の肝。
馬とどう触れ合うかによって、その人物のキャラや境遇がすぐにわかるようになっています。
気が付けば、なんとかこの馬に生き延びて欲しいと願ってしまっています。
なかでも馬を匿おうとする幼い少女と、祖父の二人のエピソードがとても効いていて、心に残りました。
少女を思って隠し事をしている祖父と、それがわかっているのに知らないふりをする少女の気持ちが交差するシーンにじーんとします。
時代に翻弄された馬は、当時の大勢の人を象徴していて、運命というものを考えさせられます。
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次は「ソウフ・サーファー」。
ハワイで暮らす13歳のプロのサーファーを目指す少女のお話。
これが、サメに襲われて片腕を失くした実在の女性を映画化したものだというのは、どこかで耳にしていたため、これは実話なんだと思いながらの鑑賞。
すると、この実話という点が胸に迫ってくるのです。
これがフィクションであれば、こんな事故に遭ってもこれほどの前向きっておかしいし、家族が優し過ぎるし、友達がいい子過ぎるし、友達の家族もいい人過ぎて、三流映画だわ・・・といった感想をもつところ。
が、これが実話となると、なんちゅうポジティブシンキングじゃ、と少女の生き方に感動。
いい友達がいて良かったわぁなんて、すっかり隣人のような気持ちになります。
また、そんな目に遭った海に再び戻っていくまでの物語が中心になっているので、サーフィンに1グラムの興味がない私でも、充分楽しめました。
こうしたスポーツや競技シーンが出てくる映画で、練習や競技シーンがやたら長いのがありますが、あれはいただけません。
努力しているシーンや勝つか負けるかのドキドキ感をもてるシーンは大事ではありますが、最小限に抑えておかないと、見ているこっちは飽きてしまいます。
そもそもそのスポーツなり競技なりに興味がない人がほとんどなのだということを理解したうえで編集作業を潔くやっていただくのがいいと思います。
その点、この映画は冗長ではないので、気持ち良く登場人物に心を添わせてストーリーにのっていくことができます。

  • 2014年05月12日

どんなに晴れている日で、降水確率が0パーセントであったとしても、出かける時のバッグには折り畳み傘を忍ばせています。
まるで慎重に生きている人みたいに折り畳み傘を持ち歩くようになったのは、ここ十年ぐらい。
それ以前は、出先で降られて買った傘はいく知れず。
狭い玄関が、そうやって購入した傘に占領されてしまうのを指を銜えて見ているだけでした。
kasa
昔OLをしていた頃、自宅の最寄り駅まで辿り着いた時、外は土砂降りでした。
当時、その駅近くにコンビニはなく、時間潰しができる書店も閉店してしまっている時間でした。
空を睨んでいると、「どっちの方向ですか?」と男性の声が。
声がした方に顔を向けると、30代ぐらいのスーツ姿の男性が、指で右と左を交互に指差していました。
駅からの道は左右で分かれているので、そのどっちへ帰るつもりなのかと尋ねているようでした。
私は無言で左方向を指差しました。
すると「だったら送りましょう。当分止みませんよ」とナイスな提案をしてきたのです。
ナンパされるような容姿ではないですし、当時はそれほど物騒な世の中でもなかったので、親切で言ってくれているのだろうと判断し「それはそれは。ありがとうございます」と素直に受け入れることに。
相合傘で歩き出すと、篠突く雨によって足元はぐっしょりと濡れていきます。
靴の中にも雨が入り込んできて、気持ち悪いのなんのって。
さらにカップルでもないので、微妙な距離を取る2人には傘はちょいと小さい。
互いの外側の肩は濡れている状態。
これで、雨を凌いでいると言えるのだろうかとの疑問が浮かんできます。
「お仕事の帰りですか?」とか、「天気予報って外れますよね」といったなんてことはない会話も、雨の音でよく聞こえなくて「はい?」と聞き返したり、大声で「天気」「予報って」などと区切って発音したりと、なんだかメンドー臭いことに。
自然と無言になっていきますね、こうなると。
他人同士で相合傘で無言。
これ、結構キツイです。
結局、10分ほどで私の自宅前に到着。
私がお礼を言うと、片手を上げて、男性は去って行きました。
翌日、勤め先でこの話をすると、「名前は?」「年は?」「結婚してないんだろうね」とか「向こうの住所は?」と女子の同僚たちから質問の矢がびゅんびゅん飛んできました。
なにも聞いてなかったなぁと気付き、そう言うと、「んだよ」「それじゃ、次の展開ができないじゃないか」とか「あんたはそうやってチャンスを無駄にする女だ」と言った非難と指摘の声が。
どうやら同僚たちは映画やドラマの展開を想像してしまったようです。
映画やドラマでしたら、それがきっかけとなって・・・となるのでしょうが、現実の世界ではそうはならないのです。
親切な人が、同じ方向だったら、傘に入れてあげよっかなぐらいの感覚で声を掛けてくれただけなのです。
あしからず。

天麩羅

  • 2014年05月08日

小学生の頃、近所に天麩羅屋がありました。
当時40代ぐらいの姉妹が経営している小さな店で、注文をすると、その場で揚げてくれます。
いつも順番待ちの列ができていました。
揚げる鍋の四方はガラス張りで、自分の番がくるのを待つ客たちが眺められるようになっていました。
母と二人でその列に並びながら、姉なのかそれとも妹の方なのか、どちらかわからない調理担当の人の見事な手さばきに見惚れたものです。
姉か妹かどちらかわからない、レジ担当の人が、番になった私の顔を見る度、こう言うのです。
「まぁ、なんて福福(ふくぶく)しいんでしょう」と。
すると、大抵調理担当が振り返って、私に目をあて「まぁ、本当に」と頷くのです。
子どもの私にとって、「福福しい」という言葉の意味がわからず、「ぷくぷくしている」という言葉の変形バージョンか? と思っていました。
当時の私は超ド級の肥満児で、現在より10kgほども重い体重がありました。
太っているというのは、自覚していまして、デブと言われることにはすでに耐性がありました。
が、この「福福しい」にはどう対応するべきなのか?
隣の母の顔色を窺うと、満更でもないといった表情をしていて、どちらかというと褒められているぐらいの様子です。
ということは、いいことを言われているのかな? ぐらいに受け止めていました。
「福福しいお客さんが来ると、今日は商売繁盛になって縁起がいいから、オマケしときますね」と、大抵レジ担当が言うので、どうやらいいことっぽいぞという考えにさらに傾いていきました。
tennpura
最近、辞書を引いていて、ある言葉を見つけました。
「福福しい」。
突然、天麩羅屋のことが思い出され、懐かしい気分になりました。
そして、今更ながら姉妹のオリジナルな表現ではなく、一般的な言葉であったのだと知りました。
どれどれ、意味はと読んでみると――円く肥えてゆたかな顔つきである。
んー、微妙。
ってことは、あの天麩羅屋の姉妹は私に向かって「まぁ、なんておデブちゃんなんでしょう」と言っていたことに。
「ゆたかな」という言葉にひと筋の光を見たいところです。

改めて思ったのは、物は言い様だということ。
「まぁ太ってるわね」とせず、「まぁ、福福しい」とすれば、なんだか福をたくさん背負っているようで、悪い気はしません。
人を不愉快にさせてしまうのも、モチベーションを上げさせるのも、言葉。
上手く使って、人間関係を円滑にしたいもんですね。

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