ヘアブラシ

  • 2014年05月05日

ヘアブラシのお手入れはどうしていますか?
ブラシの歯と歯の間に埃が溜まってしまいませんか?
それが嫌で、外に出しっぱなしにせず、引き出しの中に仕舞うようにしていますが、どうしてだかわかりませんが、気が付くと、歯と歯の間に埃がたくさん。
これはつまり、ブラッシングするということが、髪に埃を付ける行為となっていること。
これはマズい。
で、ジャブジャブ洗えるようなプラスティック製であれば良かったのですが、現在使用中のヘアブラシは持ち手部分が木製で、水洗いができません。
さて、どうする。
もしかして、ヘアブラシの歯と歯の間の埃を取ってくれる便利グッズがあるのでないか。
と思い付いた私は、早速ネット検索。
ありました。
ブラシクリーナーという名で売られていました。
割と素朴な外観のそれが、こちらです。
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届いてすぐに説明書きをざっと読み、ヘアブラシの歯と歯の間に割り込ませてみます。
結構な力でこそげ落とすように動かすと、埃がヘアブラシから浮き上がってきます。
なんという気持ち良さ。
が、ふと手元のブラシクリーナーに目を落とすと、埃がたんまりと引っ付いています。
そうなんです。
ヘアブラシの歯と歯の間にあった埃が、ブラシクリーナーに移動したということなんですね。
ってことは、このブラシクリーナーについた埃をどうするかという問題に直面するのです。
じっとそのブラシクリーナーを見つめながら、今度は、このブラシクリーナーの埃を取るブラシクリーナーがあったりしてと不吉な想像が浮かびます。
永遠と埃を移動し続けることになるのではとの不安を抱きながら、ブラシクリーナーについた埃をなんとか手で払い落とします。
完璧ではないにせよ、手で埃を除去することに成功。
少しほっとして、ヘアブラシの埃取りに熱中。
無心で埃を取り終え、さらにブラシクリーナーについた埃を手で除去し、任務を完遂。
20分ほどかかったでしょうか。
予想以上に時間がかかりましたが、まぁ、すっかり綺麗になったし、達成感も得られたし、よしとするかと、その日は満足したのですが・・・。

2、3日もすると、またヘアブラシの歯と歯の間に埃が。
我が家が埃っぽいのでしょうか。
それとも、そんなもんだと諦めて、こまめにブラシクリーナーで取り除けというお告げでしょうか。
が、20分もの時間をしょっちゅうヘアブラシの埃取りに割けるほど暇じゃない。
そこで見つけた解決策は・・・ヘアブラシを見ない。
見るから、そこに埃を発見して、取らなくてはとの思いになる。
目に入れなければ、気にならず、埃のことは忘れていられる。
ということで、最近では手探り状態で引き出しを開けてヘアブラシを取り出し、ブラッシングを終えたら、再び手探り状態で引き出しを開けて、仕舞うように。
解決策といいながら、何一つ解決はしていないのですが、まあ、そこはほら、気持ちの問題ですから。

便利グッズを

  • 2014年05月01日

これまで、いったいいくつの便利グッズを買ってきたことでしょう。
謳い文句に煽られて、気が付けば「まー、なんて便利」「こういうのを待っていたのよ」といった気持ちになって、「それ、いただくわ」となってしまいます。
が、そうした便利グッズが、本当に便利かどうかは、実際使ってみないとわからない。
当然、失敗もたくさん経験することに。

そんななかでも、たまには「これ、買って良かったわ」といった品と出合えることも。
その1つが、こちら。
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レンジでゆで卵を作る調理便利グッズ。
中の皿の下に水を入れ、生卵を皿に置き、蓋をして、レンジへ。
中には4つまで卵を入れることができ、これだと600wで14分で完成すると、説明書きにはあります。
これの、なにがいいって、レンジに入れておけば、勝手に出来上がってくれる点
普通にゆで卵を作る時には、鍋を火にかけでゆでるので、そんなにメンドーな作業ではありませんが、1つのコンロを20分近く占領されてしまうという点が問題だったのです。
それが、レンジでできると、コンロは塞がらず、その間にそのコンロで別の料理を作れるので、効率がよくなるのです。
ゆで卵は名脇役でありますが、主役にはならない品。
その脇役の下準備で1つのコンロを長時間専有される事態は、できれば避けたかった。
その残念な状態を、この便利グッズが解決してくれるのです。

こうした便利グッズのありがちな落とし穴が、後片付けの問題。
使う時には便利なのに、毎度毎度の片付けの度に、分解しなくちゃいけなかったり、自動食洗機には入れられなかったりといった落とし穴。
そこも工夫してくれよっと言いたくなること、ありますね。
お手入れや後片付けがメンドーだと、結局は使わなくなり、棚の中で冬眠するという結末に。
このゆで卵作り器は、自動食洗機には入れられませんが、受け皿、小皿、蓋の3つをフツーに食器洗剤で洗えばいいだけなので、それほど手間だと感じません。
ゆで卵しか作れないという点が、それじゃあなぁと思う方もいるかもしれません。
私も、そこ、考えました。
が、ゆで卵も作れるし、茶碗蒸しも作れるし、ご飯も炊ける・・・などと機能をあれこれ盛り込めば盛り込むほど、そのサイズは大きなものになってしまうでしょうし、手入れと後片付けはメンドーになるであろうことは火を見るより明らか。
ここは潔くゆで卵だけ、とするべきなのでしょう。

修学旅行で

  • 2014年04月28日

中学校での修学旅行は、京都と奈良でした。
神社仏閣を巡る、それは有意義な修学旅行となるはずでしたが・・・。
修学旅行から帰ると、学校では早速感想文なるものを書かされます。
そこで、はたと困ります。
私は一体なんちゅう名前のお寺を見学したのだったっけか、と首を捻るのです。
学校に提出する感想文ですから、「チョー楽しかったー」といった程度のもので許されるわけもなく、真面目な感じでまとめなくてはいけないということは、出来の悪い私にもわかっていました。
そこで、今更ながら「しおり」を引っ張り出し、自分が行った名所の名前を確認。
が、ずらっと並ぶ神社仏閣の名前が、1つも心に響いてこない。
バスに揺られ、下ろされ、歩かされ、はい、神社。
歩いてバスに戻って、はい、着きました。
といった強行軍だったため、古びた建造物と庭があった、ぐらいのイメージとしてしか捉えていませんでした。
旅行中に撮った写真を眺めてみても、皆でピースサインをしまくっているショットばかりで、それがいったいどこの場所で撮ったものなのかは不明。
友人らと交わした会話は細かいことまで覚えているのに、なにを見たのか、どこへ行ったのかはまるで記憶なし。
深夜まで続いたお喋りについてを、感想文の中に入れることはできませんから、書ける内容がとても少ない。
しょうがないので、決められた枚数をクリアするために、「したがって」「これはつまり」といった接続詞を多用した、やたら改行する感想文になりました。
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それが、いつの頃からでしょうか。
神社仏閣の魅力がわかるようになってきました。
味わい方がわかったようなのです。
中学生の頃には同じようにしか見えなかったものの違いや、趣きの妙に気付けるようになったのは、30代半ばぐらいになってから。
私の場合、理解できるようになるまでに、それぐらいの時間が掛かってしまいました。

先日、京都へ行った時、修学旅行中らしき中学生たちを見掛けました。
ガイドさんの話を熱心に聞きながら、小さなノートになにやら書き付けている姿は、とても真面目。
あぁ、これが真っ当な修学旅行なんだなと思いました。
きっとこの子たちは、後になって、自分がどこへ行ったのか思い出せない、なんてことはないでしょうし、ちゃんとした感想文を書くことでしょう。
さらに、これらの神社仏閣の魅力をすでに理解しているかもしれません。
私のように時間を無駄にしていない様子に、少しジェラシーを感じました。

編集者と作家

  • 2014年04月24日

新刊「我慢ならない女」が出てから、様々な感想が私のところに届きました。
その多くは編集者たちからで、「編集者に対して厳しいっすねぇ」というのが大方でした。
この小説の主人公は女性小説家。
当然ながら、編集者という仕事をしている人たちも複数登場します。
その編集者たちの描き方が、当の編集者たちからすると「厳しい」と感じるようなのです。
そんな時は「フィクションですから」と答え、「私と主人公は別人格ですから」とフォローするようにしています。

いつの頃からか、1つの都市伝説のようなものを信じていました。
作家というのは、編集者と呼ばれる職業の人によって育てられていくもの――という都市伝説です。
そんな小説を読んだのか、あるいは映画を観たのでしょうか。
実際に作家になってみると、そんな都市伝説は幻だったのだとすぐに理解します。
まず、編集者は2、3年で異動していくなんてことを、作家になるまで知りませんでした。
出版社にもよりますが、多くの場合、担当になってもらい、さあ、どういう小説にしようかと打ち合わせたり、食事などを共にして親交を深めたりしているうちに、「実はこの度異動になりまして」と言われることに。
私が新作を掛け持ちして書かないというスタイルを取っているせいもあり、1つの作品が完成する間に担当編集者が4人変わったなんてこともあります。
こうした環境では、編集者が1作家の成長をずっと見守り、育てていくなんてことは不可能なのです。
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が、そもそも誰かに育てて貰おうと思っていたこと自体が、甘ちゃんだったと気付きました。
苦しくても、辛くても、自分で肥料をやり、水をやり、陽に向かって伸びていくしかないのです。
肥料の調合具合も、水のやり方も、嵐の避けかたも、自分で方法を見つけてトライしていくだけ。
孤独な戦いをずっと続けられる人が、作家で居続けられる人のように思います。

そうはいっても、時に励ましてくれたり、鋭い指摘をしてくれたりという人の存在は作家にとって大事す。
それを抜群のタイミングでしてくれる優秀な編集者というのが実在することも、お知らせしておきます。
また、そうした編集者たちのお陰で今の自分があると感謝していることも、併せてお伝えしておきたいと思います。
編集者たちの名誉のためにも。

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