なにで季節を感じますか?
私は店頭に並ぶ果物で季節の移ろいを感じます。
え?
最近は多くの果物が産地をズラすなどして、通年で売られているって?
確かに。
ですが、たとえば苺も1年中店で見かけますが「おっ、安いな」と思う日が現れます。
その前の週より1パック200円ぐらい安くなっていたりする。
そうか、春だからか。
となるわけです。
逆に突然苺が高級品となる時もあります。
「高っ」と呟きながら、そうか、クリスマスが近いからな、なんて納得するわけです。
このように、通年で売られているものでも、その値段でしっかりと季節を感じます。
こちらは一番秋を感じる果物、柿。
写真ではわかりにくいと思いますが、結構カサカサしていて、あまり美味しくありませんでした。
こういうあまり美味しくない柿は、皮を剥き易いという特徴がありますね。
だからフツーに皮が剝けると、ハズれだなとその時点でわかってしまう。
時に、メッチャ剥き難い柿に当たったりする。
ねっちょりとしたものが柿から出ていて、手が滑りやすく、注意して包丁を使わないと、怪我をしそうな時。
こんな風になる柿は、大抵美味しい。
熟し切っているので、甘くて味が濃密。
写真の柿は種無し柿。
当然のように売られ、当然のように買っていますが、これ、出始めの頃の衝撃は凄かった。
種無しの果物といえば、スイカや葡萄がありますが、これらがどういう順で開発されたのか、定かではありません。
それがいつの頃だったのかも、はっきりしません。
ただ、ある日「これ、種無しなのよ」と食卓に出てきた果物に「な、なんと」と驚いた感覚だけが、記憶されています。
そして、開発した人は天才だなと思ったことも覚えています。
いかに美味しくという発想から、いかに食べ易くへと、果物の歴史の転換点だったのです。
こうした開発、大変だったんだろうなぁと思います。
恐らく何度も失敗して、諦めかかった時もあったんじゃないでしょうか。
凄いドラマがありそうで、なんだか取材してみたくなってきました。
仁川で開催中の第17回アジア競技大会。
TBSが長時間に亘って放送してくれているので、ご覧になっている方も多いのではないでしょうか?
資料によれば、38競技で439種目もあるとか。
放送に携わる現場の人たちにとっては、これだけたくさんの試合があっちこっちで行われていると、忙しいったらありゃしないといった状況なのでは?
応援するこっちも、忙しいったらありゃしません。
中継スケジュールをチェックし、どの競技を見るか計画を立て、仕事の予定を組まなくてはいけませんから。
なかでも注目していたのはトランポリン。
始まる何時間も前から、緊張して部屋をうろうろ。
放送開始二十分前には、テレビの前でスタンバイ。
心臓がドキドキしてきます。
小説「頼むから、ほっといてくれ」のなかで、トランポリン選手たちを描きました。
執筆にあたり、練習を見学させていただいたり、選手やスタッフから話を聞かせてもらったりした身としては、他人事ではないのです。
たとえるなら、身内が試合に出るような感覚。
そして、祈るような気持ちでテレビの前で待っていると、日本人選手の登場。
普段、スポーツ観戦をする時は「アスリートはさぁ、責めてなんぼじゃない? 守りに入っちぇダメなわけよ」なんて、何様かと思うような発言をしてしまう私。
ところが、日本人選手がマットの上でジャンプを始めると・・・わぁ、ちょっと跳び過ぎてない? いいの? 大丈夫? そんな無理しないでいいから。大事にいこう・・・なんて呟いています。
選手を身内のように思った途端、応援の仕方が変わってしまうから不思議です。
オカンのような気持ちで、どうか怪我をせず、無事に終えますように、なんて祈っちゃう。
競技は10回の跳躍で決まるので、気が付けば、「いーち、にー」と数を数えています。
着地がマットの中心部分からちょっとズレているように感じると、画面に向かって手を伸ばし、もうちょっと左になんて、微調整のお手伝い。
十回の跳躍を終えた選手が、満足のガッツポーズするのを見て、うるっときてしまいました。
選手を追うカメラの中に、以前お会いした方々の喜んでいる顔があるのを発見。
私まで嬉しくなってしまいました。
男子、女子、ともに銅メダルの素晴らしい結果でした。
おめでとうございます。
なによりも季節に敏感なのは、肌。
秋なんだなぁと感じるのは、己の肌の乾燥具合が気になりだした時。
そうか、もう秋か。
なんて鏡に向かって呟きます。
冬になりもっと乾燥し出すと、そうか、もう冬か、なんて悠長に言ってはいられない。
万年鼻づまりの私は、乾燥の季節は苦手。
いつも以上に鼻がつまり、息が苦しいほど。
夜寝ていると、息が苦しくて目が覚める。
洟をかんでも、またすぐにつまるので、また洟をかみ・・・と、洟をかみ続けて気が付けば朝、なんてことも。
そこで、いつからか枕元にマスクを常備するように。
夜中に鼻づまりで苦しくなったら、マスクをします。
最近は寝る時用のマスクなんていうのが売られていますが、そうした商品が出る以前から、私は普通のマスクをして眠っていたという先駆者であります。
マスクをする時灯りを付けてしまうと、頭が覚醒してしまい眠れなくなるので、暗闇の中で枕元にあるマスクに手を伸ばします。
手探り状態で箱から一枚を取り出し、顔に装着したら、眠りへGO。
自分の息でマスクが潤うと、そのマスクで覆われた口と鼻の乾燥が和らぐのか、たちまち呼吸が楽になり、眠ることができるのです。
しかし、暗闇の中ですること。
マスクを逆さに装着してしまうことも。
私が愛用しているのは顔に密着するタイプで、そういったものには、使用時に上下の区別があるのです。
ちゃんと装着しないとどうなるか。
マスクが頬に食い込み、その跡がしっかり刻まれます。
そして朝鏡に映った自分の顔を見て、新種の動物を発見したような気持ちになります。
吸入器を購入し、朝と晩に口と鼻を潤すようになってから、鼻づまりは劇的に改善され、今では滅多に夜中にマスクを必要とはしなくなりました。
それじゃ、マスクを枕元に置かなくてもいいのでは、とも思うのですが・・・。
マスクを用意しなかった日に限って、鼻づまりをするのではないかとの嫌な予感がしてしまうのです。
そうすると夜中にベッドから起き出し、隣の部屋へ移動して、引き出しを開けてマスクを出さなくてはいけない。
それはあまりにメンドー臭い。
ならば、一応枕元に置いておくべきだろう。
てなわけで、もう1年以上マスクを使っていないのに、今夜も枕元に用意。
今私に必要なのは、きっかけ。
マスクからの卒業を促してくれるようなきっかけ。
それって、なんでしょう?
新刊「エデンの果ての家」の打ち上げ場所へ向かうため、山手線に。
新刊が出た後には、担当した編集者らと「お疲れさま~」と言い合ってグラスを傾けるという素敵な習慣があり、今回もそれに出席するためでした。
渋谷駅で東急東横線に乗り換えるというのは、前日に予習済み。
確か渋谷駅はリニューアルされて、乗り換える場所が変わったと、テレビのニュース番組で見たような気が。
そこで、契約している有料のアプリサービスをチェックして、乗り換え方法を調べました。
すると、渋谷駅の中央付近の階段を上って乗り換える・・・とあり、どうやら従来の方法と変化のない様子。
そうか、山手線と東急東横線の乗り換えに変更はないのか、と安堵したのですが。
山手線の渋谷駅で降り、中央付近へ向かいます。
表示板等で確認したいところでしたが、午後6時半頃の渋谷駅は大混雑。
人波の中から飛び出し、表示板の前に移動するのは、命の危険がありそうな。
まぁ、昨日予習したし、大丈夫だろうと、目当ての階段へ進みます。
と、その階段の先にあるらしき乗り換えられる路線名が矢印とともに書かれているのに、その中に東急東横線がない。
げっ。
どうしよう。
不安を抱えながらその場でぐるりと一周。
すると、案内板を発見。
が、その案内板には、大勢の人を掻き分けるようにして進んでいかなければいけない。
今より10歳若かったら、涙ぐんでいたかもしれません。
心を強くして、なんとか案内板に到着。
すると、どうも東急東横線へは、ホームの端の乗り換え口からに変更しているようです。
そこは、私が山手線を降りた時、一番近かった乗り換え口。
有料アプリ、おかしくない?
ニュース番組に取り上げられるほどの情報だったんだし、変更になったその日に、情報を更新しておくべきじゃない?
有料なんだしさ。
と心の中で文句を垂れ流しながらホームを移動。
これが、とっても大変。
電車が駅に到着した直後のような人波はすでになく、次の電車を待つ人たちが立ち塞がっている状態。
隙間を探して、その間をするり。
また次の隙間を探して、するり。と思ったらぶつかっちゃて、すみません。
なんてことをしながら、やっとの思いでホームの端に。
方向音痴の私は迷うことには慣れているのですが、まさか渋谷駅のホームで乗り換え口を探して右往左往するとは夢にも思っていませんでした。
渋谷駅は小学生の頃から利用していた駅だったからです。
塾に通うため、一人で渋谷駅で乗り降りしていました。
はやく新しい渋谷駅に慣れたいもんだと思います。
渋谷駅は要注意だなと思うのと同時に、有料アプリを解約するべきか要検討。
渋谷駅ですっかり時間を無駄にした私は、開始時間に遅れて「エデンの果ての家」の打ち上げ場所に到着。
美味しい中華料理をいただきながら、楽しい時間を過ごしました。