香川県在住の方からお土産をいただいたことがあります。
ド定番、うどんでした。
香川ではコンビニよりもうどん店の方が多いと、その方は仰っていました。
個人店が多く、自宅の一角でやっているようなところもあるとか。
それだけ味のバリエーションもあり、色々と楽しめるのだそうです。
「ちょっとお茶でもしてく?」というよくありがちな時、香川では「ちょっとうどんでも食べてく?」になると言うのですが、本当でしょうか?

それじゃ、今週うどんを何杯食べました? と尋ねると・・・6杯ぐらいですかねぇとの答えが。
それは凄いと大声を上げると、皆大体これぐらいですよとさらっと言われてしまいました。
普段も食べているうえに、休日にはわざわざうどんの食べ歩きをするそうで、どんだけ好きなのよとツッコミたくなりました。
何故そのエリアでそこまでうどんが愛されているのか。
きっと理由と歴史があるのでしょうね。
そこまで達しているのであれば、うどん愛をとことん深めていって欲しいと思います。
私もうどんは好きで食べます。
ですが「食べたい」という強い意志からではなく、これこれこういう事情だから、うどんを選んだといった、消極的な選択からです。
小腹が空いた時、ちゃちゃっと簡単にできて、尚且つ身体に悪くなさそうなものを口にしたい・・・なんて時、冷蔵庫の中に冷凍うどんを見つけると、小さくガッツポーズです。
体調不良の時もそう。
簡単にできて、身体に負担を掛けないようなものを食べたい。
そんな時、冷蔵庫の中にうどんがあったら「あー良かった」と思わず声が出てしまいます
こうしたことは、うどんは身体に優しいといったイメージをもっているから。
本当はどうなのかはわかりませんが、なんとなく消化が良さそうで、実際胃の調子が悪い時に食べてもダメージがない気がします。
それでいて腹持ちがいいので、素晴らしい食べ物だと思います。
ただこうした食べ物への印象も、育った地域によって違うようで。
東北出身の知り合いは、体調不良の時は「蕎麦」を食べるというのです。
「うどんじゃなくて?」と確認しましたが、「蕎麦」としっかりと答えました。
風邪を引いたり、具合が悪い時、一人だけ蕎麦を作って貰い食べていたとか。
自分だけじゃなく、家族の誰もが体調不良になった時には蕎麦が供され、食べていたと言います。
この違いはなんなんでしょうかね。
ちょっと調べてみたくなってきました。
最近観た映画の中で面白かったものをご紹介。
まずは「チョコレートドーナツ」。
タイトルから恋愛モノか子どもが出てくる映画かなと予想し、それほど期待せずに見始めました。
ところがところが。
素晴らしい映画で、最後には涙が止まらなくなってしまうほどでした。
資料によれば1館の公開から100館超えにまでなった話題作だったとか。
でしょうね、と納得の名作です。
実話から生まれたらしいのですが、それが余計に胸にぐっときます。
ルディとポールはゲイのカップルで、隣室の住人であるダウン症の少年マルコと知り合います。
この3人で温かな家庭を築き始めるのですが、障害が山ほど立ち塞がります。
それでも戦い続けるのですが、無理解によってカップルと少年は引き離されてしまいます。
ラスト近くのシーンが秀逸。
普通でしたらルディかポールの怒りまくるシーンや、大泣きさせるシーンにしそうなところで、この映画ではシンガーであるルディに歌わせています。
それが魂のこもった迫力溢れる歌声で、愛する人を失ってしまう哀しさと辛さを歌い上げます。
そこにポールの声がかぶさってきます。
それは関係者たちに宛てた手紙の朗読という、かなり抑えたトーン。
マルコが迎えた結末について知らせています。
このバランスが見事。
大騒ぎするシーンよりも、3人の痛みがより深く胸に刺さってきます。
オススメの映画です。

次にご紹介するのは「ジャージー・ボーイズ」。
成功を夢見るミュージシャンの成功と挫折・・・というとありがちですね。
私も「はいはい、この手の映画ね」といった程度の気持ちで見始めました。
ストーリーはこちらの予想通りに進んでいきます。
なのに気が付けば映画の中に入り込んでいました。
オーソドックスな作りなのに、どうしてだろうと資料を見てみたら・・・監督がクリント・イーストウッドだと知り、ふむと唸ってしまいました。
セリフなのか、シーンの繋ぎなのか、なにが他の作品との違いを生み、それが作品の完成度を上げているのか・・・わかりません。
ただ名監督の手にかかると、平凡なストーリーも感動作になるということだけはよくわかりました。
名監督の手腕をご堪能ください。
地下鉄に乗ろうと階段を下りている時でした。
階下から男性の怒鳴り声が。
改札口を目指して歩き進めるうち、男性がなにを言っているか聞き取れるように。
どうも背後から足を蹴られたことに激昂している模様。
改札口の前で怒鳴っているその男性は、60歳オーバーぐらいに見えます。
怒鳴られている男性も、同じく60歳オーバーぐらい。
その間で固まっている様子の男性の駅員さんは、20代に見えます。

とにかく激しく怒っている。
口から泡を飛ばして「よくも俺の足を蹴りやがったな」と言っています。
相手の男性は時折反論するのですが、怒っている方はさらに怒るばかり。
この事態を若い駅員さんはどうやって収束させるのだろうか。
出来ることなら最後まで見届けたい気持ちでしたが、先を急いでいたので、三人の横を通り過ぎるしかありませんでした。
電車の中ではいろんなことが起こるものです。
その時思い出したのは20年も前のこと。
午後11時過ぎの電車に乗っていました。
車内は比較的空いていて、私はドア横に座っていました。
向かいに座っている20代ぐらいの女性を、酔っているのか、眠いのかなと思って見ていました。
頭がぐらぐらしていたからです。
と、突然その女性が吐き出しました。
げっ。
私はびっくりして、ただその女性を見つめるだけでした。
近くに座っていた人たちが席を立ち、その女性から離れていきます。
すると1人の若い女性が彼女に近付きました。
少し離れたところに座っていた女性です。
この女性も20代ぐらいに見えます。
その人はセカンドバッグの中身をざっと座席にぶちまけるて空にすると、酔っている女性の顔の前に出し「これに吐いて」と言いました。
さらに背中を擦ってあげ「大丈夫、大丈夫」と声を掛けだしました。
この人凄い・・・。
まったくの他人に、ここまでしてあげることができるでしょうか?
私はその女性の行動に感動し、心の中で拍手を送りました。
大喧嘩になることもあれば、人の優しさに驚くこともある・・・電車の中ではいろんなことがあるもんですね。
まだ余震が続き、怖い思いをしている方が多いと思います。
そんななか激しい雨が降るなど、自然はなんて残酷なんだろうと恨めしさを覚えます。
終わりの見えない避難生活はしんどいでしょう。
これからの生活を考えれば、不安が大きく胸に溢れるでしょう。
「頑張って」なんて気軽に声を掛けられる類のことではないと重々承知していながら、それでもやはり「頑張って」と言いたくなってしまいます。
被害に遭われた方たちが、一刻も早く元の生活に戻れますように。
あるボランディア団体に所属している友人がいます。
その友人はとても困難な状況になっている世界各地に行き、援助活動をしています。
そうなった理由は自然災害だけではなく、人間がしでかしたせいでのこともあるようです。
大変な活動をしている友人に、以前聞いたことがあります。
そんな状況下では、援助する側も同じようにしんどいのではないのかと。
すると友人は、どこへ行く時も必ずサッカーボールを1つ持って行くと言っていました。
ちょっとしたスペースを見つけて、援助活動の合間に、仲間同士でサッカーボールを蹴るのだそうです。

すると、大抵現地の子どもたちが参加したがるので、一緒に遊ぶと言うのです。
そのうちそれを見ていた現地の大人たちから応援の声が上がる。
やがてそこには笑顔が溢れ、歓声が響く。
それまではそこにあったはずの日常が蘇るのだそうです。
だからといって、過酷な状況が激変するわけではないのですが、少しの間だけでも笑ったり、喜んだりすると、その場の空気が明らかに柔らかくなるのだと友人は断言していました。
そしてこのひと時があるから、こっちも乗り越えられると。
その友人から見せて貰う写真の中には、悲惨な現実だけじゃなく、サッカーボールを抱えて楽しそうに笑う子どもたちの姿も。
それは未来を信じさせてくれる笑顔です。