食器の整理はどうしていますか?
どんどん食器が増えていくので困っています。
当初は貰ったコーヒーカップセットを愛用していました。
来客時にはそこにコーヒーを淹れて、出していました。
暑くなってきた時、アイスコーヒーの方がよかろうと考えグラスを購入しました。
ある日、ドリップ式のコーヒーメーカーからエスプレッソマシンへとチェンジしました。
その時私の中で「やっぱりエスプレッソの方が美味しいんじゃね?」という思いが強かったのです。
それまで使用していた貰い物のコーヒーカップは、やや薄く繊細で、コーヒーでも紅茶でもどっちでもいけるぐらいのタイプでした。
これにエスプレッソはどうも合いません。
またダブルのボタンを押したとしても、その抽出量は少なく、カップの半分にも満たないぐらい。
そこで、厚みがあって、小さなエスプレッソ用として売られているカップを5客購入。
ダブル用のも同じブランドショップで5客購入しました。
しかし毎日毎日エスプレッソマシンのお手入れをするのがメンドーになってしまい、カプセル式のコーヒーメーカーにチェンジ。
これで毎日のお手入れから卒業し、簡単になるわ~などと喜んでいたのも束の間、抽出量がそれまでのと違うことが判明。
ブレンドコーヒーを選択し、貰ったコーヒーカップに入れると六割程度の量になる。
これをゲストに出したとすると、上品とは思われず、ケチだなと思われるぐらいの中途半端な量。
でもカプセルを2つにしてしまうと、カップからは溢れてしまう。
またこのマシンではココアや抹茶ラテなど、たくさんの種類のドリンクが作れるのですが、こうしたメニューを選択すると、もっているカップでは小さ過ぎて溢れてしまう。
マシンを買う前に抽出量について調べておくべきでしたね。
でも私はそこまで頭が回らない。
しょうがないので、ブレンドコーヒーの抽出量に合うサイズのカップ5客と、ココアなどのほかのメニューで合うサイズのカップを5客購入。
こうしてどんどん食器は増えていく。
割れてもいないのに捨てるなんて勿体ないけど、売るとしたら、買ってくれる相手に送るためにどうやって梱包していいのかわからない。
どうしたらいいいのだろうと、途方に暮れて食器棚を眺める12月。
今年もなにもせず放置したままだったと後悔する12月。
来年こそは整理をしようと心に誓う12月。
でもきっと来年また同じことを思うだろうなと、すでに諦めている12月。
12月は思うことがたくさんあります。
午前10時。
ふと、自分の手の爪を見ます。
切る段階ではないと判断。
同日午後4時。
ふと、自分の手の爪を見ます。
切らなきゃと判断を下し、切る。
こんなことがしょっちゅうあります。
6時間の間に一体なにがあったのか。
午前中はこの爪の長さでOKと思ったのに、夕方になると長過ぎるので切らなきゃと思うのです。
私の爪は午前中はおとなしくしていて、午後になるとぐいんと一気に伸びるのでしょうか?
それとも午前中の私の判断は甘目で、午後になると急に厳しくなるのでしょうか。
謎です。
二十代の頃はマニキュアをして、爪の手入れにとても熱心だった友人たちも、やがてそうしたことから卒業しました。
それから幾年月。
子育てにひと段落したり、家事のやりくりが上手になったりした友人たちが、再び爪のオシャレを楽しみだしました。
手は齢を重ねたため、昔より逞しくなっています。
以前のような淡い色のマニキュアでは、バランスが取れない。
そこで、真っ赤な爪にする人が多いようです。
先日、五人の女友達と会食をしたのですが、私以外の全員が真っ赤なマニキュアをしていました。
他のテーブルの人たちから見たら、それがどんな景色だったのかはわかりませんが、私の目にはオシャレをまた楽しもうとしている友人たちが格好良く映りました。
淡い色のマニキュアは似合わなくなり、華奢な指輪やネックレスも似合わなくなりましたが、今だからこそ似合うというものもあります。
それにトライし、楽しむ気持ちがあるのは大事ですよね。
人生を素敵にしてくれるように思います。
小説を書く時、登場人物に方言を言わせるか、言わせないかで迷うことがあります。
言わせるならどの程度にするか・・・この判断はとても難しいです。
リアルさを追求すると、その土地以外の人には理解できなくなってしまいますから、匙加減が大切になります。
またその人物の年齢や生い立ち、個性などによって使い分けることも必要になります。
ずっとその土地で暮らしてきた年配の人は多めに、そこで生まれたけれど今は都心で暮らしているといった場合は、軽めにといった配慮をします。
以前ある地方へ行った時のこと。
1人でタクシーに乗ると、運転手さんが話し掛けてきました。
それがなにを言っているのか、まったくわからない。
方言バリバリで外国語並みに、単語ひとつ聞き取れない。
単語がわからないと推理すらできない。
そこで「はい?」と聞き返し、もう一度言ってもらうことに。
と、聞こえてきたのは、やはり耳慣れない音の連続。
それの元は本当に日本語でしょうか? と聞きたいぐらい。
困った私は「ちょっと(あなたの方言が)わかりません」と答えました。
途端に車内には気まずい空気が。
外国語に変換してくれるスマホのアプリがあるらしいのですが、その時の私が望んでいたのは、日本各地の方言を変換してくれるアプリ。
すでにありますか? 私が知らないだけでしょうか。
あまりに気まずくて車窓に顔を向けると、遠くに山が。
「あれはなんていう山ですか?」と私は尋ねました。
その場の空気をなごませたいとの思いからの発言です。
すると運転手さんは、首をほんの少しだけ左に向けるとすぐに戻して「知らん」とひと言。
あっ、それは聞き取れたと喜んだのも束の間、知らないっちゅうのはどういうことだろうとの思いが湧き上がって来ました。
たまに東京でタクシーに乗って行き先を告げると「運転手になって5日目で、まだちょっとわからないもんで、カーナビ使っていいですか?」なんて言われることがあります。
それじゃあまだわからないよなぁと思い「どうぞどうぞ」と私は言います。
が、この運転手さんはバリバリの方言からして明らかに地元っぽい。
運転席には球が並ぶシートクッションが置かれていて、それを留めるゴムが背もたれの背後に回されているのですが、そのゴムの伸び具合が、使用されてからの年月を語っています。
昨日今日運転手になったのではないと思えるのです。
それなのに山の名前を知らないなんて・・・方言を理解できなかった私への報復でしょうか。
それとも「ここらじゃあんなもんそこらにあっから、名前なんてよー付けんわ」といった地元ならではの理由があるのでしょうか。
それからどうしたって?
目的地に着くまでの15分あまり、私はひたすら静寂を噛み締めました。
映画「嫌な女」のブルーレイ&DVD版が発売されます。
12月7日のリリースで、同時にレンタルも開始されます。
小説を刊行後取材を受けることがあります。
アイデアはどこから生まれたのか、どういう思いで執筆をしたのか・・・作品にまつわる様々なことを聞かれます。
朝何時に起きるのか、昼食は外食かなどという作品とは少し距離のある事柄についての質問が出ることもあります。
また書いている時、特定の俳優さんをイメージしているのかと問われることも。
特定の俳優さんを頭に浮かべて執筆することはまったくありません。
自分の頭に描いているのは空想上の人物で、実在する人ではありません。
読者にも自分だけのキャラクターを作り上げて欲しいので、容姿についての描写はなるべく避けるようにしています。
「嫌な女」刊行後取材を受けた時も「徹子と夏子のイメージに近い俳優さんは?」といった質問を受けました。
私は首を捻り「さぁ、誰でしょう」と答えました。
まったく浮かばなかったからです。
この「嫌な女」の映画化の話が進み、徹子を吉田羊さんが、夏子を木村佳乃さんが演じてくださると聞いた時は「それは素晴らしい」と喜びました。
上手な役者さんなので、吉田さんならではの徹子と、木村さんならではの夏子を作り上げてくださるだろうとの確信があったから。
期待通りお二人ともしっかりと徹子と夏子に命を吹き込んでくださった結果、オリジナルな徹子と夏子が誕生しました。
そのほかの俳優さんたちは勿論、監督の黒木瞳さんの熱い思いもビンビン伝わってくる作品になっています。
映画を見逃してしまったという方が、ブルーレイやDVDという身近な形で出合えるようになった「嫌な女」を楽しんでいただけたら嬉しいです。
すでに映画館でご覧になった方には、徹子や夏子との再会を喜んでいただけたらと願っています。