• 2017年12月14日

ファッションへの熱には波があります。
どうでもいいやと思う時期と、こういう風にしたいと必死で研究する時期があります。
15年ぐらい前どうでもいいやと思う時期でした。
私はこの時期を自分の人生の第2氷河期と呼んでいます。

身繕いに興味がなくなった私はぶくぶく太り、今よりも14キロ多い体重になりました。
当時の私はダークブラウンのニットの上下と、黒のセーターとスカートを、かわりばんこに着ていました。
太ったために手持ちの服が着られなくなり、だからといってファッションへの興味がゼロになっていたため買う気にはなれず、ウエストがゴムではくことができたのが、この2着だったのです。
その頃知り合った人たちからは「ダークブラウンの人」と言われていました。

この第2氷河期はどうやって終わったのか。
第2氷河期に入り半年ほど経過した頃、小説を書き始めました。
そして私にとって書くことが生きることだと知りました。
辛いけれど楽しいことを見つけたのです。

すると不安定だった精神が安定したようで、周りのこと、自分のことに興味をもてるようになりました。
さらに不規則だった生活のリズムが規則的なものへ。
こうなると体重が落ち始めます。
とたちまちファッションへの興味が復活。
メイクの練習をしてみたり、雑誌で服の勉強をしてみたり。
気が付けば第2氷河期が終わっていました。

久しぶりに会った友人A子は、氷河期に入っているように見えました。
待ち合わせはホテル内のレストラン。
スタッフに案内されて歩いていると、その先に老けた女がぽつんと座っているのが目に入りました。
スタッフが真っ直ぐそこへ向かって歩くので、もしかしてと思っていると、その老けた女がやっぱりA子でした。
驚愕の表情を必死で抑え「久しぶりー、元気だった?」と明るい声を上げる自分に演技賞をあげたい。
目の前に座るA子と、自分が同い年だということに打ちのめされながら、メニューを開く。
注文を済ませて、無難な話題はなんだろうと必死で考えるも浮かばない。
喉が渇いてもいないのにグラスの水ばかり飲む。
A子はノーメイク。
なのでシミ、クマ、たるみがドーンと飛び込んでくる。
きっと事情があるのだろう。
そう思った私は、A子の近況に探りを入れるべく話題を選んで口にする。
ところがどうもA子は幸せそう。
夫との仲は良さそうだし、子どもも順調に育っている模様。
となると、幸せ故の「ファッションなんてどうでもいいや」みたい。

私の場合は精神が不安定になった時に「ファッションなんてどうでもいいや」が訪れましたが、幸せで人生に満足している時にも「ファッションなんてどうでもいいや」がやって来るようですね。

「しばらく美容院に行ってないよね?」とか、「そのセーターはもう引退させても罰は当たらないんじゃないかな」とか、「歩き易そうなスニーカーだね」といった私の頭に浮かんだコメントなんざ、A子の自信の前では吹き飛ばされてしまうでしょう。

会食を終えてA子とは駅で別れました。
「じゃぁね」と元気よく手を振ったA子の後ろ姿を、しばらく見つめました。
どんな事情があるのだろうと心配した私でしたが、A子はとても幸せそうでしたので、良かった良かったと胸を撫で下ろしました。

靴の左右が

  • 2017年12月11日

外出するため着替えをしました。
それから履いていく靴を選ぶため玄関へ。
シューズボックスを開けて、白いバレエシューズを引っ張り出す。
と、左右の色が違う。
それはトウにラインストーンがたっぷり付いているのが特徴なのですが、この部分の色が左右で違う。

間違って買ったのでしょうか?
記憶を辿ると・・・ちょっと前に1度だけ履いたことがあります。
買ったのは大分前なのですが、白いため天気予報の降水確率が20%を切らないと履かないと決めたら、出番がなかなかやってこなかった。
前回履いた時もこのように左右の色は違っていたのか?
わかりません。
違っていたのに気付かずに履いてしまうことは、他の人にはあり得なくても、ぽんこつの私ならあり得ます。

そもそも買った時はどうだったのか?
ネットで買った靴でした。
私の足に合うため黒、紺、グレー、ベージュを買い、その後この白を買ったというぐらい、お気に入りの木型。
宅配便で届いた靴箱を空けた時、裏返して左右のサイズの表示が間違っていないかを、チェックしたようには思います。
何足も買っている木型の靴だったため、足を入れてみるまではしなかったかも。
ただシューズボックスに収める時には左右の靴を並べるので、同時に目に入るはず。
そこで、この左右の色の違いに気付かないなんてことがあるでしょうか。
私ならあり得る。

ルーペでトウをよくよく見てみると・・・ラインストーンに違いはなく、違っているのはどうも地の色のよう。
もしかすると、ラインストーンを付けている接着剤が変色してしまったものと、変色してないものとの違いではないか? との考えに辿り着きました。
だとすると買った時は接着剤の変色は始まっていなくて、同じ色だったのかも。
愛用している他の黒や紺などの靴は地の色が濃いため、接着剤の変色があっても、目立たずに済んでいるのかもしれません。

これがその靴です。

写真ではわかりにくいのですが、実際は左右の差はとてもはっきりしています。

唇を噛んで天井を仰ぎ見る。
こんなことなら、雨が降りそうな日でも履いてしまえばよかった。
散々履き倒した後でなら、靴の変色を受け入れられたかも。
たった1度履いただけの私はこの事態を受け止めきれず、遣り切れなさでいっぱいになったのでした。

きつねうどん

  • 2017年12月07日

うどん派ですか? それとも蕎麦派ですか?
私は波があって、うどんばっかり食べている時期があるかと思えば、お蕎麦ばかり食べる時期があったりします。

一時期はコンビニのとろろ蕎麦に嵌り、毎日のように食べていました。
またある一時期は体調が悪い日に、冷凍うどんをチンして食べたのをきっかけにうどんに嵌り、連日食べていたことも。

先日友人と食事をしました。
私はきつねうどんを注文。
注文した後ではっとする。
白いセーターを着ていたことに思い至り、汁が跳ねないよう食べられるだろうかと、一気にブルーになる。
失敗したと呟く私に、どうしたのかと尋ねてくる友人。
白いセーターに汁を付けずに食べ切れる自信がないのに、うどんを注文してしまった自分の愚かさを呪っていると説明すると、友人は私に食べ方のコツを伝授。
最後まで気を抜かず、というかむしろ最後のところで用心するのだと友人は言います。
麺の最後の方になってくると、一気に啜り上げたくなるところをぐっと抑えて、スピードを落とすのが大切だと語りました。

きつねうどんが来たので、言われた通りに麺の末端が近付いてきたところで、吸う力を弱めスピードを落としてみる。
が、やはり末端が口に入る瞬間少し麺がダンスする。
この時麺に付いていた汁が辺りに散る。
よし、もう一度。
何度かトライを続けるうちに・・・うどんのことを嫌いになりそうに。
そして美味しいのか、不味いのか、味を全然楽しめてないことに気付く。

見かねた友人が妥協案を出してくる。
箸で押さえろと。
麺を吸う力をコントロールするのが難しそうだから、麺を箸で押さえてしまえと言う。
なるほど。
麺を箸で摘まみ上げ口に運ぶ。
その箸を外さずにそのまま麺の近くでスタンバイ。
麺は箸で作った空間の中で、しゅるしゅると私の口に吸いこまれていく。
そして麺の末端が近付いてきた時、箸で麺を押さえる。
押さえたはいいがこれからどうする?
迷った挙句麺を挟んだままで箸を少し持ち上げ、口に押し込む。
と、友人が拍手。
馬鹿にしてるでしょ?
と思ったが、口には出さず軽く睨むだけにする。
「最後に口に押し込むというのは変じゃない?」と私は尋ねましたが、「今はちょっとギクシャクしてるけど、慣れれば流れるような動きでできるだろうし、そうなったら、この人の出身地ではこういう風に食べるんだといった説得感が出てくるよ」と友人は答えました。
本当に?
この年になってうどんの食べ方に真っ直ぐ向き合うことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

いつの日か完璧に麺を食べる所作を身に付けて、白いブラウスでカレーうどんをさらっと食べてみせられるように、日々精進いたします。

女子高生3人組が

  • 2017年12月04日

駅に向かって歩いていた時のこと。
前には女子高生3人組が。
物凄いゆっくりした速度で歩いている。
お喋りに夢中になっていて、前に進むことなんかどうでもいいといった状態でしょうか。
用事のある私は3人組を追い越しました。
と、歌声が。
3人組は歌を歌っている。
「ハレルヤー」と。
100点をあげたいぐらいの見事なハモりっぷり。
コーラス部なのか、教会で発表会があるのかわかりませんが、練習帰りだろうと勝手に推測しました。

彼女たちの歌声を聞いていたいのですが、3人組の歩くスピードが遅過ぎる。
不自然にならないよう歩く速度を落としたのですが、距離はどんどん空いてしまう。
どうすっかなぁと思っていたら運良く信号が赤に。
横断歩道の前で足を止めて、彼女たちがやって来るのを待ちます。
振り返ったりしてはいませんの体で、振り返る。

恐らく校則違反を1度もしたことがないだろうと思われるような、真面目そうな3人組。
地味な感じ。
右端の子は歌いながらも天丼屋のショーケースの中を覗いたりして、気楽な様子。
中央の子は自分のつま先を見つめながら歌っている。
そして左端の子は拍子を取るように指を動かして、身体を揺らしながら歌っている。ハモるのがとても楽しそう。

私は音痴だし音楽のセンスはまったくなくて、ハモるなんて高度なことはできません。
ただし聞くのは好きです。

NHKのドキュメント番組で「奇跡のレッスン」というのをご存知でしょうか。
私はこの番組のファンです。
中学生や高校生のクラブに講師がやって来て、1週間レッスンをするというもの。
選ばれているのは優勝常連校ではなく、なかなか結果を出せていないクラブ。
例えば1セットも取ったことがないバスケットボール部といったところ。
そこに世界的に著名な講師がやって来る。
よく呼べたなとびっくりするような、経歴と肩書きをもった超一流の講師。
その1週間を追う番組。
すべての子どもたちに物語があって、クラブ活動への思いや事情が違う。
そうした子どもたちが徐々に変化していく様に、思わず引き込まれます。

この番組で合唱部の会を見ました。
仲間と声を合わせて歌う楽しさに気付かせようとする、講師の言葉が心に残りました。
声を重ねて歌うことで味わえる喜びがあるのだと知りました。

ハレルヤの3人組も、そういう喜びを感じながら歌っていたのでしょうか。
また駅前で会えるといいなぁなんて思っています。

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