ハガキが
- 2018年10月15日
大学生の頃の話。
担任の先生からハガキが届きました。
ところが読めない。
草書の上達筆過ぎて、なんて書いてあるのかわからない。
取り敢えず、なんらかの返事を必要としているのかを知りたい。
親に見せれば一発で解決するかもしれないのですが、よくない内容だった場合、困った事態になる可能性も。
そこでバイト先で一番年上だと思われる人に見て貰うことに。
眼鏡を掛けて長い時間ハガキを見ているから、どんだけ小難しい内容が書かれているのかと思いながら待っていると・・・一つの文字を指差し「これは『の』じゃないかな」と言いました。
くるんと円を描くそれは、私も「の」じゃないかと思ってましたから。
結局その人は「の」を指摘しただけ。
他にそうした文字を読めそうな大人を探そうにも、思い当たらない。
私とどっこいどっこいの学力と思われる、大学の友人らに見せてみましたが、予想通り皆読めない。
困ったなと思っていた時友人の1人が言いました。
「あそこら辺の人たちなら読めそうじゃない?」と。
彼女が指差したのは、授業の時いつも最前列に座っている真面目な学生たち。
その真摯に勉学に励む姿は神々しいぐらいで、私なんぞは、近くを通る時には息を止めてしまうぐらい。
確かにあの人たちなら読めるかもしれない。
そう思った私は意を決して話し掛け、依頼してみました。
するとその中の一人がさらっと読んでくれます。
すっげぇ。
それは先生からのお礼の言葉が書かれたハガキだったと判明。
私はすっかり忘れていたのですが、その先生とたまたま帰りの電車で一緒になり、少し話をしました。
その時に先生から質問が出たのですが、私には情報がなく答えられませんでした。
しかしスルーはマズいだろうと思い、後日調べた結果を先生に伝えたという一件があったのでした。
それについて先生が、わざわざ調べてくれて有り難うとハガキを送ってきたという顛末。
なーんだ、そんなことか。
とほっとして、読んでくれたクラスメイトにお礼を言うと、物凄く不思議そうな顔で「先生と友達なの?」と聞いてきました。
「そんなわけないじゃん。たまたま電車で一緒になって、少し話をしただけだよ」と説明するも、「なんか凄いね」と言われました。
なにが凄いのか全然わかりませんでしたが、それがきっかけで、それまで全く接点のなかった勉学に勤しむ彼女たちと、挨拶を交わす仲に。
そうした真面目な学生たちと挨拶を交わすようになった私は、たったそれだけで、不真面目な友人たちから高評価を受けるようになりました。
学生の頃の友人関係を今になって振り返ると、少し滑稽さがあったなと思う一方で、とても懐かしい気持ちになります。
小説を書く時、登場人物たちの友人関係を描くシーンはとても重要です。
どんな友人がいるのか、その人とどういう関係性なのかを描くことによって、その人物の人間性がはっきりしますし、リアルさが増すと思っています。
新刊「僕は金(きん)になる」の中でも主人公、守の友人関係を描くシーンがあります。
嘘を吐くのが上手な友人に憧れを覚える守。
それは守自身が嘘を吐くのがとても下手だということでもあります。
守を描くのにとても重要なシーンだったと思っています。