思い付く
- 2019年10月14日
そのアイデアはどこから?
と、よく聞かれます。
そんな時には「なんとなく、ふと、思い付いたんです」と答えます。
そうとしか言えないのです。
ただ思い付くタイミングには傾向があります。
なにかしている時が多いのです。
キュウリを刻んでいる時とか、洗濯洗剤をボトルからキャップに移している時などです。
難しいことを考えている時ではなく、なにかをしているんだけれど、それはとても慣れている行為なので、脳をそれほど使っていない・・・なんて時。
こういう設定はどうだろうとか、こういうストーリーは? などと思い付くのです。
こうしたことは風邪を引いたとか、頭痛がするといった体調不良の時には、一切起こらない。
体調が万全でないと脳は動かないんでしょうかね。
映画を観ている時の脳は、またちょっと違う動きをするように感じます。
これは映像だから出来る表現なんだよなとか、これをテキストで表現するのは至難の業とか、今のセリフ、いいなぁとか。
映画作品そのものを楽しみながらも、ヒント集を見ているような感覚があります。
勉強しているといった感覚に近いのです。
これが他の方の小説を読んでいる時には、一切起こらない。
いち読者となってただひたすら読むだけ。
この表現はどうだとか、この設定に無理はないかとか全然考えない。
その作品世界に没入するだけ。
読み終わって「面白かった」「イマイチ」といった感想はもちますが、あのシーンは参考にしたいとか、あのセリフは真似したいなんて思わない。
なんでですかねぇ。
不思議です。
それでもちゃんと好きな作家というのはいます。
どういうところが好きなのかとか、作品の感想とかはペラペラ喋れます。
ただそれはあくまでも、いちファンとしてのもの。
同業者なのだから、そこからなにか盗めよと思ったりもするのですが、全然盗む気にはならないようなのです。
ただ自覚はなくても、影響はしっかりと受けているようです。
私の原稿に対して、校正者が誤りや文章の歪みなどを、チェックしてくれるのですが、時々「この表現でOK? 翻訳小説のような語順?」と書かれていることがあります。
あ、そうなんだ。
と、指摘されて初めて気が付きます。
これは翻訳小説を読むことが多く、そうした文章に慣れているので、つい使ってしまうのでしょう。