山形大学医学部によれば、「笑わない人」は「笑う人」より死亡率が2倍高いという。
ちょっとびっくりするデータです。
2万人の健診データを収集して分析した結果だとか。
データの規模が大きいので信頼性が高そうです。
笑う頻度では「ほぼ毎日」の人が36%、「ほとんどない」は3%だったとのこと。
ここで思う。
私は今日笑っただろうかと。
あ、笑った。
さっき人間ドックの予約を確認する電話をしたのですが、相手があまりに取っ散らかっていて、その仕事の出来なさ加減に、思わず笑ってしまったのでした。
昨日はどうだったのか?
打ち合わせがあったので、喋ったり、話を聞いたり、考えたり、迷ったり、最終的に決断したりといったことはしましたが、笑ったかどうかは記憶にない。
笑顔を作ったとは思うんです。
喧嘩腰で打ち合わせに参加する訳じゃないので。
ただ笑ったかどうかははっきりしません。
基本的に自宅で執筆する毎日なので、そもそも人と接する機会が少ない。
なので、笑う機会自体が人と比べて少ない。
マズいですね。
死亡率が高くなってしまいます。
本や映画、テレビなどを楽しんでいる時はどうでしょう。
そうそう笑わせてはくれないですよね。
と、ここまで考えて不安になってきました。
本を読んで大笑いしたのは・・・小説のタイトルも著者名も忘れてしまったのですが、海外の作品でした。
時間を行ったり来たりするタイムトラベルもの。
定番中の定番ものなのですが、その作品は他のと違っていました。
設定は、現実を変えるために過去のある時点に行き、修正をして現在に戻って来るという、タイムトラベルのオーソドックスなものと一緒。
ただ1ヵ所修正したら、そこから新たな展開をしてしまい、変えたかった結果が思い通りのものにはならなかった。
そこでまた前回とは違う過去のある時点に行き、修正をして現在に戻ってみると・・・また予想とは違う展開をしていた。
そんな風に現在と過去を行ったり来たりして修正をしているうちに、主人公はもうなんだかわからなくなってしまう。
どこをどう修正したら思い通りの結果になるのかと。
そしてやけくそになって、時間軸の中のあっちこっちに出没するという物語。
そのやけくそっぷりが可笑しくて、大笑いしました。
こんな風に大笑いする本をたくさん読んで、笑うようにしたいと思いました。
寝具メーカーが小型犬用のマットレスを発売したとか。
犬も人間同様眠りにはこだわった方がいいんでしょうね、恐らく。
ただ猫はいいのか? といった疑問はもちましたが。
頭痛が続いていて、どうしたものかと思っていました。
寝ている時から「あー、明日絶対頭痛になるな」とわかるんです。
予兆をひしひしと感じてしまう。
で、朝目覚めると、ほら、やっぱり。
頭痛の気配がしっかりとある。
この感覚はいつか来た道。
現在の枕と出合う前には、こんなことがしょっちゅうありました。
しかし枕を替えてから、こうしたことはなくなっていたのですが・・・。
枕がへたったのかと思って履歴を調べてみたら、現在の2代目は去年買ったばかりと判明。
突然枕との相性が悪くなったのでしょうか。
ネット検索してみると・・・枕をオリジナってる人たちの映像がたくさん。
私もオリジナるべきなのか?
と考えて、首の下に巻いたタオルを敷いて、首の傾斜を微妙に変えてみるといったことにあれこれトライしてみました。
バスタオルでは解決しなかったので、フェイスタオルにしてみるなど、厚みの調整に心を配って試してみましたが解決せず。
再びネット検索。
枕メーカーの人が、インタビューに答えているといった体の記事を発見。
「突然枕が合わなくなったのですが、どうしたらいいですか?」といった一般の人からの質問を受けていました。
おっ、私もそれ。
と、身を乗り出す。
その回答は・・・それは枕のせいではなく、身体の方に原因があると考えるべきでしょう。
というものでした。
こっち?
枕のせいだとばかり思い込んでいましたが、私の方が原因だとすると・・・思い当たる節はある。
囲碁を始めてから首の凝りがハンパない。
スマホ首が世間では話題になっていますが、私の場合は囲碁首。
首をやや前に倒した姿勢で碁盤を睨み、次の一手をどうしたらいいのかわからず固まる、といったことが多いのです。
そこでネットで簡単そうな首のストレッチをざっくり覚え、やってみることに。
ゆっくりぐるぐると頭を回してみたら、ゴキッゴキッとなんだか恐ろしい音がする。
なにが鳴ってる音なんでしょうか。
怖いながらもストレッチを終え、就寝。
すると・・・頭痛が来ない。
たまたまかもしれない。
と、思いながらストレッチを続けていると・・・頭痛にならない。
なんとなんと。
枕メーカーの人が言っていたように、私の方の問題でした。
「一瞬でもあなたを疑ってしまった私を許して」と、枕に頬擦りをして許しを請うたのでした。
首凝りに悩む皆様。
ストレッチ、侮れずでございます。
オリンピックチケットのゲットは出来ましたか?
私はダメでした。
全滅です。
朝、メールボックスを開けると、東京2020組織委員会からメールが来ているのを発見。
わわっと慌てながら開いてみると・・・落選と書いてある。
一気に哀しみのどん底に。
が、ふと、これは偽メールかもしれないと思い付き、その考えを気に入る。
そこでチケットのサイトへアクセス。
ログインしてマイページを確認してみると・・・落選となっている。
本物のメールだったか・・・。
残念無念。
簡単だとは思っていませんでしたが、1枚ぐらいは当たってくれるんじゃないかと、期待していたんですが。
それにしても・・・トランポリンもダメだったことがショックでした。
「頼むから、ほっといてくれ」という小説で、トランポリン競技の選手たちを描きました。
その取材過程で、トランポリン競技の面白さと大変さを知って以降、選手たちを応援しているつもりでいたので、東京オリンピックでは会場で、との思いが強かったのです。
が、落選してしまいましたので、テレビ観戦することに致しましょう。
私の周囲では落選した人たちばかりで、当たったという話を全然聞かないのですが、当たった人はいるんですよね?
その幸運な人たちは観戦日に向けて、カウントダウンが始まっているんでしょうか。
これからの400日弱は当選者たちにはワクワクでしょうが、選手の皆さんにとってはドキドキな期間でしょう。
まず出場権を獲得しなくてはなりません。
これが大変。
緊張という魔物がいるし、怪我やコンディションや、運や、いろんなことが絡まり合って、どんな物語が用意されているのか誰にもわからない。
だからこそその結果に感動するのですが。
友人らとお喋りをしていたら・・・料理中に計量カップを使うか、使わないかといった話に。
A子は「当たり前でしょ」という、計量カップ使いまくり派。
B子は「うちにあったかなぁ」と、その存在を思い出せないぐらいの使わない派。
私はどうかというと、煮物を作る時だけ計量カップを使用する限定派。
A子は自分の、または他人のレシピを参考にして料理を作ることが多いそうで、忠実に再現するべく、そこに書かれている量の数値にするために計量カップを使うのだとうか。
一方のB子はレシピなんか見ないと言います。
大体こんな感じだろうといった勘でゴールを目指し、調味料を投入。
当然ながら失敗することもあるそうです。
食べてみてやっちゃったなと思ったら、マヨネーズか醤油かバターを加えると、大抵のものはリカバリー出来ると言います。
たかが計量カップの話なのですが、考え方が違っていて、それは彼女たちの生き方の違いにも繋がっていて、なんだか面白いなぁと思います。
A子は専業主婦、B子はツアコンです。
そんなA子がなにかのイベントで、マドレーヌを大量に焼くことになったそうで。
A子みたいなタイプはケーキやパン作りに向いている。
きっちり計量することがとても大事なんですよね、ケーキやパンの場合は。
イベントの一ヵ月ぐらい前から、A子は大丈夫かなと心配をしていました。
なにが心配なのかと尋ねると、ちゃんと頼まれた個数を、約束した時間までに用意出来るのか、自信がないと答えました。
きっちり計量するんだから、失敗しないでしょうよと私が指摘すると、同じように作っても、膨らまなかったりすることもあるので、大丈夫だろうかと考えると不安になって、夜あまり眠れないと言います。
真面目なんだなぁと思うのと同時に、プレッシャーに慣れてないんだなぁと感じました。
結局どうしたかというと・・・不安がどんどん大きくなったA子は、一人じゃ無理と判断。
マドレーヌを焼く担当者をもう一人増やそうと、あっちこっちに声を掛けまくり、やってもいいと言ってくれる人を確保。
焼く量が半分になったことで、心がすっかり軽くなるはずだったのですが、半分とはいえ、やはり焼かなくてはいけないため前向きにはなれず、心配を胸に宿しながら当日を迎えたそうです。
仕上がり時間から逆算したところ、準備開始は午前二時に。
失敗して遣り直す場合のことを考えて、見込みの制作時間を二倍にしたところ、深夜なのか早朝なのかわからない時刻からのスタートとなったようです。
結局失敗はせず時間はたっぷり余り、ぼんやりとしても良かったのですが、会場に運ぶ途中でなにかあるかもしれないと考え、車にマドレーヌを積んで早朝に出発。
会場に到着するも、早過ぎて閉まっていて中には入れず、駐車場で待機したそうです。
眠いはずなのにどこか興奮もしていたようで目が冴えてしまい、音楽を聞きながら開場を待ったとのこと。
無事に終えたのならば次回は1人でとなるのかと思いきや、どうか私にマドレーヌを焼く係を二度と振らないでくださいとお願いしたのだとか。
頑張った後で、それをどう捉えるかというのは人それぞれですね。
次はもっとこうしようと考えるのか、二度とやらないと考えるのか。
やっぱり人って面白い。