小学1年生から塾に入る子がいるらしい。
早いですねぇ。
私が塾に通い出したのは小学4年生の時。
夏期講習に参加したのが初めての経験で、それから気が付けば親の意向通りに中学受験をすることに。
記憶が入っている頭の中のフォルダを、必死に探してみますが「中学受験したいか?」と親に聞かれた覚えはない。
ぼんやりしているうちに、まんまと親の術中に嵌ったのでしょう。
これまでの人生で一番勉強したのは、小学4年から小学6年の入試の日までと言えるほど、頑張ってました。
まだ子どもだったので、周りにお膳立てされた世界に疑問をもたず、勉強しなさいと言われれば、素直に従っていた私。
あー。
私にもそんな素直な頃があったんだなぁと、しみじみ。
ある塾では小学1年生から、国語の教科では記述に対する指導があるという。
中学入試の国語で文章量が多いかららしいのですが、小学1年生で記述式で回答なんて、出来るものでしょうか?
いまどきの小学1年生は大変です。
中学や高校の入試問題に、私の小説が使用されることがあります。
いわゆる出典というものです。
こうしたことから受験対策の問題集や、塾が行う模試などにも、私の小説から出題がされる場合が結構あります。
主催者から掲載したプリントなどを送って貰うので、見てみると・・・なんだかとても不思議な感覚に。
小説の一部分が掲載されていて、固有名詞の横に線が引かれていたりする。
その人物のこの時の気持ちを、40字以内で述べよなんて設問が。
私の頭の中で生み出した登場人物の気持ちが出題され、それに対する答えに、正解と不正解があるということが不思議です。
私が不正解だったらシャレにならないので、こうした問題は解かないことにしています。
なんと2026年から、無人タクシーが走るようになるという。
オーマイガー。
遂にそのような時代になりましたか。
自動運転という機能が出た時も、SFの世界に近付いてきたと驚きましたが、とうとう無人タクシーが登場すると聞いて、びっくりし過ぎて口あんぐりです。
現在は自宅からタクシーに乗る時には、アプリで配車を依頼するのですが「近くに車が見つかりませんでした」と断られることがしばしば。
ドライバー不足を痛感している身。
無人タクシーが増えて、もっと気軽に利用出来るようになったら嬉しい。
そして出来るならば、手続きは簡単なものにして欲しい。
恐らくアプリかなにかをスマホに入れて、そこから配車の依頼やら、行き先の指定やら、支配方法やらを入力して・・・といった流れになると予想します。
この手のことが苦手な私が、2026年までに克服出来ているか自信がない。
また私はアプリへの不信感をもっている。
有料で利用している地図アプリは、画面のデザインはどんどん更新されていくのですが、精度自体は上がっているとの感覚なし。
先日もこの地図アプリを使って歩いていたのですが、私の位置の把握が甘く、高速道路を進んでいることになっていました。
いくら方向音痴の私でも、自分が歩いている場所が高速道路か、普通の歩道なのかの違いぐらいは分かる。
だから大体あっちの方だなと思う方に進むのですが、アプリが「ルートが違っています」と言ってくる。
お前が間違っているのじゃと呟き、シカトして歩き続けたところ、目的地まだあと少しといったところで間違いに気付いたアプリが「目的地付近です」と、しれっと言ってきました。
知っとるわと、大きな声を上げそうになりました。
このように私が利用しているアプリの精度は今一つ。
無人タクシーに乗るのに必要なアプリは高精度で、入力作業が簡単なものであることを祈るばかりです。
そしてちょっとした会話が出来ると、更に嬉しい。
海外ドラマ、ナイトライダーの車のように乗客と会話して欲しい。
「今日は道が混んでますね」と私が言えば、「今日は〇〇さんのコンサートがあったんで、混んでるんですよ」なんて答えてくれたら嬉しい。
「へぇ、そうなんだ」と言いたいから。
21歳の6割が本を全く読まない。
この衝撃的な情報を目にしました。
これは文部科学省が行った調査での結果だそうです。
これによれば21歳の人が、この1ヵ月に読んだ紙版の本の数を聞いた設問に対して「0冊」と答えた人が62.3%だったとか。
電子書籍では更にこの数字は上がって「0冊」と答えた人は78.1%になるという。
関係者の皆様、どうしましょう。
漫画だったら読んでいるのかと思ったら・・・この1ヵ月に読んだ雑誌・漫画の紙版の書籍数を、聞いた設問に対して「0冊」と答えた人は51.9%となっていました。
漫画も?
今は漫画もスマホで縦読みしているのではと期待して、雑誌・漫画の電子書籍の数字を見たら・・・57.3%との結果が。
漫画も半数以上の人が電子書籍でも読んでいない・・・事件です。
だったら21歳の若者は、なにに時間を掛けているのでしょうか?
勉強?
バイト?
サークル活動?
スマホを使ったなにか?
文字だけで世界が作られているのが小説。
文字だけだから書かれていないこと、分からないことを自分なりに埋めていく。
この作業が自分の想像力を豊かにしてくれると、私は信じているのですが。
想像力はあった方がいい。
私生活でも仕事でも。
例えば営業職だった場合、取引先の担当者の気持ちや考えを想像出来たら、その不安を解消するための資料を事前に用意して、説得し易くなったりする。
パートナーが今、どんな気持ちなのかを想像出来たら、声を掛けるべきか、そっとしておくべきかの判断もし易くなるはず。
読書離れを止めたくていい点を挙げてみました。
利点がなどという前に、そもそも物語の世界に浸るのはとても楽しい。
と、私は思うのですが。
宅配便ドライバーの不足問題が指摘されている昨今。
なるべく配達員さんに負担を掛けないよう、不在の時には宅配BOXでと指定するようにしています。
が、在宅なのに受け取れないことが、最近多くなっています。
インターフォンが鳴ると、外と会話が出来るモニターの前まで歩き、そこでマンションの1階にあるドアの開錠ボタンを押す・・・という流れなのですが、モニターに辿り着く前に、配達員さんがインターフォンのスイッチを切ってしまうのです。
真っ黒なモニターを見つめ「間に合わなかったか」と呟く機会が増えています。
これは配達員さんが不在だと判断するまでの時間が、短くなっているからだと思うのですが、そう感じているのは私だけでしょうか。
モニターの前に常にスタンバっている訳ではないので、インターフォンが鳴った時に、部屋のどこにいるかが問題。
大抵パソコンの前に座っているのですが、ブーツ型の湯たんぽを履いているので、立ち上がり、そこからすぽっと両足を引き抜く必要があります。
すぽっと抜ければいいのですが、ここでもたもたしてしまうと、時間が掛かってしまい、配達員さんにインターフォンのスイッチを切られてしまうのです。
配達員さんは忙しいのでしょう。
それはとてもよく分かる。
でももう少しだけ、ほんのちょっとだけ待って欲しい。
私は家にいるのだから。
寝室にいる時にインターフォンが鳴ると、もう大変。
小さな小さな我が家ながら、寝室とモニターは距離がある。
聞こえた瞬間、はっとして猛ダッシュ。
廊下をドタバタと走り、モニターへまっしぐら。
が、80%程度の確率で間に合わない。
間に合わなかった悔しさを胸に、ぜえぜえと肩で息をしながら寝室に戻る私の背中には、きっと悲哀が滲んでいるはず。
そして思う。
年を重ねていく私は、これまで以上にモニター前に辿り着くまでの時間が、掛かるようになるでしょう。
配達員さんが今以上に待つようになるとは思えないので、在宅なのに受け取れない確率は、どんどん上がってしまう。
重い荷物を宅配BOXから自分の部屋まで運ぶのも、難儀になっていくでしょう。
そうなれば手渡しを指定することに。
そこで配達員さんが現在のように短時間で不在と判断してしまうと、再配達になってしまう。
大変です。
これ、どちらにとってもいいことなし。
不在と判断するまでの時間を、もう少し長めにして貰えないでしょうか。