毎年、年の初めに、その1年間のテーマを決めます。
目標ではありません。
目標を立ててしまうと、そうはならなかった時にがっかりしてしまうから。
また目標を達成するために、不本意なことをしてしまったりするから。
あくまでも掲げるのはテーマ。
だから「笑顔でいよう」とか、「体調の変化に注意しよう」とか、そんな程度のものです。
今年は「執筆を楽しもう」がテーマでした。
手帳に記して時折眺めました。
私は「楽しい」と「辛い」を同時に感じながら書いています。
交互ではなく、同時。
マッサージを受けている時と一緒。
施術中は「痛い」と「気持ちいい」を同時に感じますよね。
あんな感じで「楽しい」と「辛い」を同時に受け止めるのが、私の執筆です。
「辛い」をなくすことは出来ないでしょうが、「楽しい」を強く意識して書きたいと思い、今年のテーマにしました。

振り返ってみると・・・昨年までよりは、少しだけ「楽しい」を強く意識出来たような気が、しないでもない。
こんな程度。
ま、良しとしますかね。
作家デビューして21年。
この間、執筆スタイルは変化してきました。
当初「キャラクターに一任」スタイルでした。
次にキャラクターがなにを言い、どう行動するのか、書いている私にも分からないといった状態での執筆。
私にはコントロール出来ないので、キャラクターに聞いてくれと、責任転嫁していたことさえありました。
その後、自分の脚本通りに進むよう、キャラクターたちに演技指導を行うようなスタイルに。
私は厳しく演出を行う監督のような立ち位置でした。
最近はある程度筋書きを用意しておき、キャラクターたちと相談しながら、カメラワークや衣装などを決めていくといった、共同作業型になりました。
今年はキャラクターたちと、話し合う時間を増やせたような気がするので、その分「楽しい」も増えたように感じているっぽいです。
さてさて、来年の執筆スタイルはどうなるでしょうか。
変化するのか、それとも現在のスタイルを突き進めていくのか。
変化も進化も楽しんでいきたい。
そう思っています。
マンションの4階に住んでいます。
毎朝1階まで往復するのですが、この時階段を使います。
ゴミを捨てるために階段で1階におり、やはり1階にある郵便受けから、新聞と郵便物を取り出します。
そして階段で部屋に戻るのです。
この階段の上り下りが、運動不足の私の唯一といっていい運動タイムなのです。
先日、郵便受けを開けている時、他の住人と居合わせました。
その女性は60代ぐらい。
女性はエレベーターの扉を開けて、私が乗り込むのを待つような素振りを見せました。
なので私は「どうぞ行かれてください。私は階段で行きますので」と声を掛けました。
すると女性は「本当に?」と少し驚いた様子。
無理をしなくても、とでも思ったのでしょうか。
「健康のために」と私は普段より大きな声で答えると、いつも以上に腕を振って、元気よく階段へ向かいました。
なんでその女性に、そんなアピールめいたことをしたのか・・・分かりません。

それから1週間後。
左膝に軽い痛みが。
座っている時や、立っている時は平気。
でも屈んだ時に小さな痛みを感じます。
階段を下りる時は平気。
だからゴミを捨てに行く時は、変わらず階段を利用。
戻る時は・・・エレベーターを使いたい。
使いなさい。
使えばいいじゃない。
と、思うのですが・・・エレベーターを使っているのを、先日の女性に見られた時に、ちょいと困る。
自ら左膝が痛くなってと、事情を説明した方がいいのか、それともしれっとエレベーターに乗った方がいいのか・・・対応に悩む。
だからあの女性に会いたくない。
ということで、毎朝ドキドキしながらゴミを捨てに行くように。
郵便受けを覗いている時に、背後からチンとエレベーターの扉の開く音が聞こえてくると、ドキッとします。
そして恐る恐る振り返り、件の女性じゃないと確認するとほっとします。
緊張感のある朝を過ごすようになってしまいました。
12月も半ばを過ぎ、今年一年を振り返る記事やテレビ番組を、よく見かけるようになりました。
自分の1年を振り返ると・・・単行本も文庫も出させて頂き、また連載というスタイルでも小説を発表させて頂いて、有り難い1年でした。
今年はまた、オーディオブック版も初めて出させて頂きました。
プロの声優さんが、自著を朗読しているのを聞くという経験を初体験。
耳に流れてくるのは、確かに自分が書いた文章なのに、なんだか自分の作品ではないような、不思議な感覚が新鮮でした。
今年、本は結構読めたけれど、映画はあまり観なかったなぁと感じ、どうしてだろうと考えたら・・・オリンピックが理由でした。
オリンピック観戦に熱中したため、映画鑑賞の時間が削られたんでした。
選手の皆さん、感動を有り難う。

そして今年は、というか、今年も、なのですが、片付けが進まなかったという反省があります。
部屋の隅に山積みになっているあれやこれやを、どこかに仕舞わなくてはいけない。
それには、なにかを処分して収納スペースを確保する必要がある。
だとすれば、この押し入れだな。
と、ここまではスムーズに進む。
頭の中だけのことだから。
押し入れに入っているのは雑多な物。
引っ越しをした時に、取り敢えず入れてしまったきり。
だから用途別に置かれていない。
棚板が折れては困るので一番下に重い物を、その上の段には、それよりやや軽い物を・・・といった具合で、重さを基準にして分けてあるだけ。
改善の余地があり過ぎる状態。
ひとまずスペースを確保するためには、なにかを処分しなくてはいけないので、その取捨選択をしようと考えました。
いたってまっとうな考え方。
頭の中だけのことだから。
で、30冊ほどあるファイルから、1冊を抜き出しました。
そして中にある書類を一つひとつ吟味し、残すか捨てるかを判断していく。
これに結構な時間が掛かる。
結局、20分ほどでギブアップ。
今日はここまでにしておくか。
と、早々に決断。
あっという間に決断してしまうのは、やりたくないからでしょうね。
これを何度か繰り返しただけなので、部屋の隅に山積みになっているあれやこれやは、そのまま。
来年こそはこの山の高さを低くする。
それが来年の目標の一つです。
友人のA子が自宅で鍋パーティーを開くというので、参加することに。
手土産持参でA子の家に行ってみたら・・・キムチ鍋でした。
フツーの鍋だと思っていた私。
辛いものがあまり得意ではないので、来なきゃよかったと後悔が胸をよぎりましたが、ひとまず食べてみる。
辛い辛い。
むせるほどの辛さ。

他の参加者たちはフツーに食べているので、辛さに参っているのは私だけかと思っていたら・・・A子が席を立った途端、鍋に野菜をたくさん投入して、味を薄めようとする参加者たち。
皆も辛過ぎると思っていたようです。
豆腐や野菜の水分で薄めたものの、辛さは薄まりませんでした。
辛くてはあっても食い意地が張っている私たちは、食べ続けました。
休み休みではありましたが。
身体が熱くなった参加者たちは着ている服を一枚、また一枚と脱いでいく。
そうしてハフハフ言いながら、シメの雑炊まで完走しました。
小説「地獄の底で見たものは」には、主人公の由美が同僚らと火鍋を食べるシーンがあります。
ずっと専業主婦だった由美は、色々あって通販会社のコールセンターで働くようになります。
53歳で一人暮らしをすることになったのです。
仕事帰りに同僚らと居酒屋で、食事とお酒を楽しむ日が来るとは、由美は全く想像していませんでした。

これからの人生を悲観していた由美ですが、周りに助けられながら、自分の居場所を見つけていきます。
同僚らと火鍋をつつき、辛いと言い合いながら楽しい時を過ごす由美。
新たに手にした幸せに気付く場面です。