来春からiPhoneにマイナンバーカードの機能を、搭載出来るようになるという。
アンドロイドだけでなくiPhoneにも搭載されることになり、「これで便利になるぞ、どうだ」とお上から言われたような気分です。
きっと便利になることもあるのでしょう。
ただスマホを落としたら、どうなるのだろうとも思ってしまいます。
スマホに様々な機能が入っていればいるほど、それを失くした時のダメージは大きいはず。
自分のうっかりだけでなく、盗まれるとか、乗っ取られるとか、そういう危険だってありますよね。
そこまでではなくても、故障というアクシデントだってあり得ますし。

以前、初めて行く場所に向かおうとしていた時のこと。
駅の改札を出てスマホの地図アプリを立ち上げようとしたら・・・うんともすんともいわない。
再起動してみたりしましたが、地図アプリは動き出さない。
このアプリの指示に従うつもりでいた私。
前日に下調べをした時に入力した目的地の住所は、自宅に置いてきてしまいました。
待ち合わせ相手と遣り取りしたメールに、住所が書いてあったはずだと閃きましたが、メールフォルダも開けないため見られない。
先方にSOSを連絡したいのですが、電話帳も開けないし、電話も出来ない。
先方の電話番号を暗記しているはずもない。
無力だ。
と、改札の前で打ちひしがれました。
スマホが故障するとこんなに大変なことになるというのを、一度体験している私としては、スマホで簡単だとか、スマホで完結だとか、スマホで一括管理だとかいう単語を聞く度に、むしろ恐ろしくなります。
で、その時どうしたのかって?
その駅に公衆電話が奇跡的に1台あったので、それを使って104で、待ち合わせ相手が所属している会社の代表番号を教えて貰い、そこに電話を掛けて事情を説明し、相手の携帯番号を教えて貰い、なんとか連絡を取ることが出来ました。
公衆電話を残しておいてくれた駅に感謝。
高齢社会となった日本。
最近は普段の生活の中で、折々に社会全体が老いているのだなぁと感じます。
マンションに住んでいるのですが、同じ階の人とすれ違うことがあります。
そして住人の多くが、杖を使っていることを知りました。
中には「その状態でどちらへ?」と聞きたくなるほど、難儀そうに歩行をしている方も。
うちのマンションが特殊なのではなく、世の中の多くの人が歩行に苦労しているからでしょう。
自宅近くで工事がスタート。
住宅っぽくなかったので、お店が出来るのだろうと予測。
どんなお店かなぁとそこそこ楽しみにしていたら・・・デンタルクリニックでした。
またかよ。
その一週間ほど前に、駅前でチラシを受け取りました。
開店の知らせかと思ったら、整形外科クリニックが開院するというお知らせでした。
我が街には病院ばかり出来る。
これも街が高齢化しているせいでしょう。
飲食店は儲からないが、病院なら商売出来ると判断される街なのでしょう。
郵便受けに入れられるチラシも、介護施設の広告が多いし。
これも同じ理由でしょうかね。

最近思わずじっくり見てしまうのは、宅食のチラシ。
日替わり弁当を毎日もしくは1週間に1度、届けてくれるというもの。
こうしたものも高齢の一人暮らしの方が目当ての商売と、お見受けします。
以前私はこうした宅食を利用していました。
自炊がメンドーだったというのもありますが、栄養バランスが考慮されたメニューである宅食の方が、健康的だと思ったから。
カロリーや塩分なども、ちゃんと計算されていますしね。
何年も利用していましたが、引っ越しを機に一旦解約。
新居での生活が落ち着いたら再契約をと考えていましたが、近くにスーパーがあることもあり、気が付いたら自炊生活に。
が、それも最近はメンドーになってきました。
今はネットスーパーで購入し、届けて貰うようになっています。
楽な方へと流れていくのが私の生き方です。
こんな私が次に流れていくところといったら、やはり宅食。
毎日のように、宅食のチラシを熱心に見るようになっています。
電卓を叩き現在の食費と宅食を利用した場合の差額を、出してみたりしています。
涙活(るいかつ)イベントの記事を読みました。
涙活とは感動する話の朗読や動画を皆で見て、泣こうというもの。
泣くとストレス解消になるそうなので、泣きたい人、ストレスをゼロにしたい人たちが集まってくるのでしょうか。
あなたは最近いつ、泣きましたか?
それはなにが原因ですか?
私はといえば・・・しょっちゅう泣いています。
スポーツ中継を観て泣くし、映画を観て泣きます。
実は執筆中にも泣きます。
哀しいシーンを書いていると、自然と涙が零れてくるのです。
自分の頭の中で作り出した世界の話なのに、なんで泣くんだよと言われることもあります。
ご指摘の通りとも思いますが、涙が出ちゃうんだからしょうがない。
ただ泣き過ぎてしまうような時は、あまりよろしくない。
感情が先走っている状態だから。
心と頭がきっちりと分かれている状態が理想です。
ポロポロと涙を零しながらも、頭は冷静でキーボードをパチパチと叩ける。
こういった状態だと、物語はスムーズに進んでいけます。

以前、テレビ番組で歌手が哀しい歌を歌いながら泣いているのを見たことがあります。
泣いているのに音程は全くブレず、声もしっかり出ていました。
それを見た時、プロだなぁと思いました。
恐らくこの時の歌手も、心と頭を分離出来ている状態だったのではないでしょうか。
泣くポイントは人それぞれ。
私が泣きながら書いた箇所を、読者も泣いて読むとは限らない。
編集者に原稿を読んで貰い、まずは感想を聞くといった時があります。
「いやぁ、泣いちゃいましたよ」と編集者が言うので、「どこで?」と尋ねると、ここでという箇所が、私の想像とは違う場所だったりします。
「そこで?」と私が驚いた顔をすると、編集者は泣いた理由を分析し、解釈して説明してくれます。
その度に、泣くポイントは人それぞれなのだなと思うのでした。

現在行われている、バレーボールのネーションズリーグを観ています。
日本の男子はすでに、今夏のパリオリンピックへの出場を決めているので、余裕をもって試合を観ていられるのですが、女子の方はこの大会で出場出来るかが決まるので、手に汗を握って観ています。
が、開催地と日本には時差がある。
だから日本時間の早朝にやった試合の生中継はなく、夜に録画したものが放送されたりしている。
これが大問題。
スポーツ観戦の楽しみの1つに、選手たちと一緒に一喜一憂するというのがありますが、録画放送の場合、すでに結果が分かってしまっていたりするので、気持ちが入っていかない。
だから結果を知らずに試合を観たい。
どうするか。
なるべくバレーボールの情報に触れないようにして、一日を過ごそうとするのです。

しかしながら望んでいなくても、勝手にバレーボールの結果を、目にしてしまうことがあります。
ネットです。
誰かが気を利かせて、あなたはこれに興味があるでしょ的に、勝手にバレーボールの情報を提示してくるのです。
それ、ホントに止めて欲しい。
細心の注意を払って、バレーボール情報から遠ざかろうとしている私に、結果を教えてこないで。
もしかして一時的に特定の情報だけを、ブロックすることが出来たりしますか?
私がその術を知らないだけってこと?
だったら、世の中から完全に落ちこぼれている私だけの悩みかも。
いずれにせよ、特定の情報だけをブロックすることが出来ない私は、このネーションズリーグの開幕中は、バレーボールという文字が視界に入ったら、即その画面を閉じる。
このアナログな作戦で、なんとか対処していくしかありません。
頑張れ、日本。
頑張れ、私。