おしぼり

  • 2012年12月27日

友人宅を訪ねた時「手を洗うなら、洗面所はあっち」と、言われました。
手を洗う気などさらさらない私は、「そう」と生返事したまま、ソファにどっかと座っていました。
「手、洗いたいよね?」と、更に言われ、あぁ、私に手を洗って欲しいのかと気付きました。
その友人は、手を綺麗な状態に保つことに全力で向き合うタイプで、常にウエットティッシュを持ち歩いています。

こういう友人は少なからずいて、別の友人は、我が家に来た時、ソファに腰掛ける前に、手を洗いたいと言い出しました。
そんな人のために、使い捨てのおしぼりを用意していた私は、それを差し出しましたが、友人は首を横に振ります。
できれば、水で洗い流したいというのです。
そして、その友人はキッチンで手を洗うと、満足した様子で、自分のハンカチで拭きました。
そこで、そのハンカチの在り処を、その後ずっとチェックしてみることに。
定位置は膝の上。そこから、時に鼻の下や、口へと運ばれていきます。
手を洗いたいという欲求が強いのですから、清潔ということに、かなりこだわりをもっているはずですが、その手を拭いたハンカチの衛生状態を冷静に考えれば、やはり、使い捨てのおしぼりの方が、優っていると思われます。
理屈じゃないんでしょうね、恐らく。
洗ったという行為によって、気持ちが落ち着くんでしょうね。

以前、生まれて初めて、新幹線のグリーン車に乗る機会がありました。
乗務員がやってきて、おしぼりを配り出しました。
ほほう。グリーン車では、おしぼりをくれるのか。ってことは、その後、小菓子の一つでもくれるに違いない。
と、考えた私は、どんなものだろうと胸を弾ませ、今か今かと待ち続けました。
新幹線はどんどん進み、大阪駅を通過。
すると、先ほどおしぼりを配っていた女性スタッフが、再び車内に登場しました。
やっと来たな、と思っていると、なんと、配り出したのは、またまたおしぼり。
もしかして、配るのはおしぼりだけ?
そのサービス、間違ってますよね? と、私は心の中で、呟きました。
駅弁を買えば、大抵、おしぼりは付いています。気になる人は、ウエットティッシュを持ち歩いているでしょう。それをグリーン車のサービスとして、全員に配る意味は、なんでしょうか? それを喜び、「このおしぼりがあるから、次もグリーン車にするわ」と決心する人がいるとでも?
そこにかける経費分を、乗車賃を安くすることにあててもらった方が、どれだけ嬉しいか。
と、すっかり小菓子を待ち構える状態になっていた胃を抱えた私は、文句をぶーたれたのでした。心の中で、ですが。

折り紙

  • 2012年12月24日

子どもの頃、家の近くに文房具屋がありました。
ノートや鉛筆など、その時に必要な物を買いに行くのですが、つい、目を留めてしまうのが、折り紙でした。
特別、折り紙が好きというわけではなかったのですが、可愛いデザインの折り紙があると、欲しくなってしまいます。
黄色やピンクなど、派手な地色の上に、熊やリボンなどのイラストがプリントされた折り紙をじっと眺め、次に財布の中身を見つめ、迷って迷って、悩んだ挙句「くださいな」と言うことが多かったように記憶しています。

ところが。
家に戻って、パッケージを開けてみると、可愛い柄の折り紙は、一番上だけ。その下の九十九枚はフツーの無地の紙。
騙されたと、歯ぎしりしたもんです。
こうして哀しい目に遭ったのなら、学習すればいいものの、よくいえば、無垢、実際のところは頭の悪かった私は、この子ども騙しに、何度も引っかかりました。
これは、これだけは、これこそは、100枚全部、一番上に見えている、この柄なんじゃないだろうか。
そんな風に考え、なけなしのお小遣いから買っては、泣きをみていました。

ネジがちょっと弛んでいる私ではありましたが、こうしたことが度重なれば、さすがに、大人に尋ねるということを思いつきます。
そこで、店主に尋ねました。
この柄のが百枚あるのか、それとも、一番上だけがこの柄なのかと。
すると店主は首を捻り「どうかなぁ。オジサン、買ったことないから、わからないや」と真顔で答えました。
今、考えると、アカデミー賞ものの演技力だったと褒めてやりたいくらいですが、当時の幼い私は「そうか、オジサンもわからないのか」と納得して、財布を開いてしまうのでした。

ある日、小学校のクラスメイトに、このことを話すと「そういうもんだよ」と、大人のコメントをし、さらに「柄のが100枚、欲しかったら、折り紙セットを100個、買うしかないんだよ」と言いました。
当たり前といえば、当たり前のクラスメイトの発言ではありましたが、それまで、製造元の作為にやられまくっていた私には、衝撃でした。
どこかには、あると信じていた、100枚全部が柄の折り紙は、ないのだということ。
100枚を手に入れるには、財力が必要だということ。
この現実の前に、私はうな垂れるしかありませんでした。
折り紙への夢が、へし折られた瞬間でした。

今はどうなんでしょうか?
但し書きに、99枚はフツーの無地ですとかなんとか、記してあるのでしょうか?
それとも、見える一番上にだけ、柄の紙を置くというパッケージにはしていないのでしょうか。
子どもから、金をだまし取るなよなと、思う一方、幼いうちから、痛い経験をしておくのも、社会勉強になるような気もしますが、どうでしょう。

お節料理

  • 2012年12月20日

お節料理を作りますか?
全部を自分で作ろうとすると大変ですよね。
我が家ではもう20年ぐらい前から、お節料理は、買うものと定義づけいたしました。
今年はどこのお節にしようかと、選ぶのに少々苦労する程度で、お正月の支度は簡単に済んでいます。

この写真は、今年のお正月に買ったお節料理です。
ここ数年は、同じところから購入しているので、大体、こんなもんだろうと予想を立てられるのですが、20年のお節料理購入の歴史の中では、失敗もたくさんありました。
頼んだ品が、今一つという経験はたくさんあるのに、お節料理の失敗ではダメージが大きいのは、「正月早々、縁起悪っ」といった感情が渦巻くせいでしょうか。

正月早々の縁起の悪さといえば、数年前、知人が、元旦にエアコンが故障したとのこと。
あまりに寒くて、家族全員耐えられず、1月1日に営業している電化量販店を調べ、買いに行ったそうです。購入はしたものの、当然、その日に届けてくれるわけではなく、10日ほどかかると言われてしまい、へこんだ家族は、その帰りに神社へ初詣。家族全員が「今年は、これ以上電化製品が壊れませんように」と祈ったとか。

私も元旦に自動食洗機が壊れるという、縁起の悪いスタートを切った年がありました。
普段でも充分、心が折れる事態ですが、正月に起きると、衝撃が何倍にもなりますね。

今年のお節料理には、「福銭」なるおまけが付いていて、なんでも鎌倉にある銭洗弁天で洗った、5円玉だと説明書きが。
本当にぃ? と半信半疑ではありますが、そう言われると、ほかのコインと一緒にするのも憚られ、財布のカード入れの部分に、差し込むようにして、持ち歩いています。

普段は縁起担ぎなどしない方なのですが、正月という特別な時に絡んだことだと、なんだかちょっと気になってしまいます。

お節料理は作らないし、大掃除もしない私は、年末なにをしているかといいますと、年明け早々に開かれると思われる、初春セールで勝利するべく、下調べ。
気になっているけれど、値段が高くて手を出せないと諦めていた品々を、今一度検討したり、新たな出会いを探したりして、ネットショップを渡り歩くのです。
これ、楽しいのですが、結構時間がかかります。
仕事の合間にしているので、なにかに追われているようで、気忙しい。
気のせいなんですが。

東京駅

  • 2012年12月17日

新しくなってから、初めて東京駅へ行きました。
ロマンチックでありながら、威風堂々とした佇まいは、とっても素晴らしかったです。
現在の画一的な駅舎と比べると、そのセンスの高さには、脱帽。
素敵な建造物は、時代と関係なく、素晴らしいものなんですね。
寒い日だったのですが、駅舎をスケッチするグループがいました。
ちらちらと拝見すると、皆さん、とてもお上手でした。
スマホで撮影している人もたくさんいて、建設当時の姿に生まれ変わった東京駅を、好意的に受け止めている様子が窺えました。

以前から、どこに住みたいかと聞かれると、「東京駅」と答えるぐらい、東京駅という存在が大好きです。
大勢の人が、あっちこっちからやってきて、交わるところ。
たくさんの人のドラマがぶつかる場所。
駅に降り立っただけで、わくわくします。
東京駅構内にある、待ち合わせ場所「銀の鈴」も、特に好きな場所です。
多分、1日いても飽きません。
東京駅近くの書店に資料探しに行った時など、誰とも待ち合わせなんかしていないのに、「銀の鈴」へ行きます。
しばらくそこで座って、そこで待ち合わせしている人たちを観察させてもらいます。
小さなバッグを1つ、膝にのせて、放心状態の様相をした50代の女性。
静かに涙を流している初老の男性。
なにがあったのでしょう。
こんな、気になる人がたくさんいる場所。それが「銀の鈴」。

以前、いつものように、用もないのに、座っていたら、ヒールの音も高らかに、女性が歩いてきました。どうやら、私の隣席の男性に向かってきているようです。女性に気付いた隣席の男性が、たちまち緊張した気配が伝わってきます。
と、女性が男性の前で立ち止まりました。
そして、女性が、男性の頬をパチーンと、平手打ち。
うわっ。
びっくりした私は、じっと二人を見つめます。
やがて、男性が頬を抑え、小さな声で「なにすんだよぉ」と言いました。
女性は鬼の形相で「叩いたのよ。刺されなかったんだから、感謝すんのね」と言い放ちました。
そして女性は「来なさい」と命令すると、身体をくるりと回して、歩き出します。
男性は立ち上がり、すごすごと、女性の後に続きました。
あのー、できれば、話し合いは、ここでしてもらいたいんですが。
と、声を掛けたくなりましたが、ぐっと呑み込んで我慢しました。
二人になにがあって、これからどんなドラマが始まるのでしょう。
火のついてしまった好奇心を持て余し、見えなくなるまで、彼らの姿を追いました。

このように、たくさんのドラマが交錯する場所なんですね、東京駅は。
素敵な駅舎と、ドラマを見に、また行こうと思います。

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