年に1度、自宅兼仕事場に飾ってある花を入れ替えます。
飾っているのは、生の花を加工したプリザ。
当初は、プロが作ったものを買っていたのですが、こちらの都合通りのサイズや、花を探すものメンドーになってきて、ここ最近は、自分で材料を購入し、アレンジしています。
これが、ちゃんと習ったわけではなく、テキトー流の独学なもんで、思うようには、完成しないというのが、味というか、オチというか。
こうしたいと思い描いた分の、バラや葉、あじさいなどを、ネットで注文するのですが、注文した品の在庫があるかないかは、2日後にならないとわからないというのです。いったい、どういう在庫管理をしているのでしょうか。たとえば、10箱注文すると、2日後に、在庫は9箱しかありませんでしたと、メールで連絡がくるのです。9箱しかありませんでしたと言われても、こちらとしては、融通を利かせられるほどのセンスも技術もないので、一から、構想の練り直しをするしかありません。
すったもんだした挙句、なんとか、構想通りの量の材料を送ってもらい、作り始めるのですが・・・作り出してみると、思いのほか、花を使ってしまい、もっと花が必要になってしまったりします。慌てて、追加注文をしますが、2日後に、在庫がありませんでしたなんてメールがくると、花器の前でしばらく呆然としてしまいます。
出来合いの物を買った方が、よっぽど簡単なんじゃないだろうかという根本的な疑問が浮かんできますが、そういったものには蓋をして、なんとか完成にまで漕ぎ着けました。

キッチンカウンターに置くのは、横長タイプの花器。プリザは、花をワイヤーで固定し、そのワイヤーをスポンジ状のものに刺します。このワイヤーを隠すのが、プリザをアレンジする時の大事なポイント。プロはこうしたところが、とても上手です。私は不器用だし、プロではないので、ボリュームのあるあじさいで、ごまかしてみました。

赤いバラをたっぷりつかったアレンジは、玄関にある高台の棚の上に置きます。
今年のプリザの入れ替えを終えてみれば、手は傷だらけ。
ワイヤーを切ったり、曲げたりしているうちに、手に生傷が大量にできるのも、例年のこと。
傷だらけの手を見つめながら、もう少し、技術力を上げてみたいもんだと心の底から思いました。
寒がりの私が、電気アンカを使い始めたのは、中学生の頃。
それから長い年月を、歴代の電気アンカたちと、冬を過ごしてまいりました。
昨シーズン中に、電気アンカが壊れてしまい、新しいものを早急に買い求めなくてはならなくなりました。
まず、大事なのは、納期です。
3日たりとも電気アンカなしで過ごすことはできません。
即日発送などと、納期のスピードを謳っているサイトの中で探していると・・・湯たんぽに目が留まりました。
これまで、湯たんぽを使ったことはありません。
湯なんて、すぐに冷めてしまうものを、一晩も布団の中に入れていれば、朝には、却って冷たい思いをするのではないか。
寝相の悪い私では、蹴っ飛ばしたりするに違いなく、そうしたら、中の湯が零れて布団がびっしょびしょといったことになるんじゃないか。
こういった不安があり、長いこと、湯たんぽには目を向けてきませんでした。
ただ、時代はエコですし、湯たんぽがすたれることなく、使われ続けているようなのも、理由があるからのように思われます。
そこで、ここは思い切って、生まれて初めて、湯たんぽに挑戦してみることにしようと、注文をしました。

翌日届いた湯たんぽは、昔々我が家にあった、氷嚢のような形状。
ニット製のカバーを付けると、見た目もなんだかあたたかそうです。
寝る前に、湯を入れ、キャップを締めました。
こんな簡易な捻りのキャップで、本当に大丈夫だろうかと不安が頭をもたげてきますが、腹を決めるしかありません。
布団の足元付近に置き、横になります。
そして、足の置き場を探します。
近すぎれば、蹴っ飛ばしそうですし、遠すぎれば、あたたかさを感じられません。
足をあっちこっちに動かして、ここら辺かなという場所を見つけました。
なんだか、湯たんぽに遠慮しながらの就寝となりました。
翌朝、目覚めて、湯たんぽの位置を確認すると、就寝前とほぼ同じ位置にあり、中の湯が零れてもいませんでした。また、まだまだあたたかくて、びっくり仰天。
どんな素材でできているのかわかりませんが、長時間の保温力に脱帽です。
こうなってみると、何故、長いこと、湯たんぽに見向きもしなかったのかと、己の行動を反省してしまいます。
今、大きな声で言いたいです。
湯たんぽ、最高!! と。
何年も使っていた目覚まし時計が壊れてしまいました。
毎朝、午前7時半にセットしているのですが、アラームが鳴ったり、鳴らなかったりするのです。
念のために、もう1個、用意している目覚まし時計で、起きるのですが、こちらも、調子が悪く、週に1回ほど、アラームが鳴らないことが。
乾電池を新しいのに取り替えてみましたが、状況は変わらず。
目覚まし機能以外では、遅れたりすることもなく、フツーに使えるのですから、とても不思議です。
と、首を捻っている場合ではなく、新しいのを買うべきだろうと考え、いつも事務用品などを買っているネットショップで調べてみました。
たくさん種類がありました。目覚まし時計。
私の場合、目覚まし時計として使用した後、デスクに移動させ、置時計として使うので、サイズが大事。
デスクには、なんだかんだと色々置いてありまして、時計のためのスペースは、7センチ幅程度しかありません。
ここに置ける物、という点から、探してみると、該当するのは1つだけでした。
説明書きには、上着の内ポケットに収まるサイズで、出張などにも便利と書いてあります。
男性のことしか考えていない説明に、それ、どうよと思いましたが、そのショップではほかの選択肢はなかったので、買うことに。
サイズは、幅が6.5センチで、高さが9センチ程度。
コンパクトサイズの時計ですが、表示画面はそこそこ大きく、メッチャ、見やすい。
さらに、温度や湿度もわかるので、結構便利。それまで使っていたアナログの時間だけしかわからない時計とは雲泥の差。
さらに、曜日を「月」などと日本語で表記してくれるのも、非常に好感が持てます。
とかく、デジタル時計なんかだと、「Mon」などと小洒落た表記をしますが、この時計は、でっかく「月」や「火」と表示してくれるのです。
わかりやすいのが、なによりです。

そこで、ふと、思い出しました。デジタル時計が世の中に出始めた頃のことです。
その頃、デジタル表記の時計で、時間を知った時には、頭の中に、一旦アナログの時計の文字盤を浮かべていました。
頭に浮かべたアナログ時計の長針と短針の位置を、心の目で見てから、「あと20分あるな」などと、時間を把握していましたっけ。
あれは、アナログに慣れていたので、デジタルで数字だけ見ても、時間の感覚を捉えられなかったせいでしょうか。
それから幾年月。
周りにあるのは、デジタルで表記される時間ばかり。
さすがに、慣れたようで、今では、頭にアナログ時計の文字盤を浮かべなくても、数字だけで、時間を捉えられるようになりました。
それが、いつの頃からなのか、はっきりしませんが。
脳がどうやって、目から取り入れたデジタル数字の情報を、時間として把握するのに慣れていったのか、興味がわきます。
学生時代、友人とテニススクールに通っていました。
その室内で行われていたテニススクールは、大学生らしき男性コーチ1人に、生徒は女ばっかり20人以上。
1時間ほどのレッスン中に、自分の番が回ってくるのは、ほんのちょっと。
これじゃ、上手くなるはずもありません。
が、ほかの生徒さんたちは、別段不満があるようには見受けられませんでした。
ロッカー室で、聞くともなく聞いていると、コーチと一緒に飲みに行ったりしているようで、そういったことが楽しそうでもありました。コーチを君付けで呼び、「ああいうとこ、可愛いよねぇ」などと言っているOLさんたちが、やけに大人に見えましたっけ。

そうした席に呼ばれるわけでもなく、テニスも上手くなれず、ただ月謝ばかり取られていくことに疑問をもった私は、別のテニススクールを探すことに。
自宅から比較的近い場所に、別のテニススクールを見つけました。
早速、行ってみると、たまたま行った日が、申込み最終日だったようで、受付のアダルトレディに、「ギリギリセーフよ。よかったわね、間に合って」などと言われて、気が付けば、申込書にサインをしていました。
そして、友人と第一回目のレッスンへ。
コートの横でストレッチをしている集団を見た時、なんか、違うと感じました。
ワカメちゃんみたいなスコート姿をしているのは、私と友人だけ。
ほかの人たちは、トレーニング用のジャージを着ています。
しかも、やっているストレッチが、半端じゃなく、本気でやっている様子。
嫌な予感で胸はいっぱいになり、友人と無言で顔を見合わせていました。
やがて、コーチが登場。
ん?
こんだけ?
見回せば、生徒はたったの8人。
今日はたまたま休んでしまった人が多かったってことじゃなく?
などと動揺していましたが、そんなことにはお構いなく、当然のようにレッスンは始まります。
腹筋、背筋、ストレッチと、体育の授業かよと思うほど、しっかりと準備運動をさせられます。
そして、ボールを使ったレッスンが始まりました。
ネット付近にいるコーチがボールを打ってきます。
それを、生徒が打ち返して、列の最後尾につきます。
これを繰り返すのですが、打ち返して、ほっとしたのも束の間、すぐに自分の番が回ってきます。
気が付けば、ゼーゼーと息が上がっていました。
が、それは序章に過ぎなかったのです。
以前のように、「キャ~、失敗しゃったぁ」などとお遊び半分のテニスとは打って変わって、次々に飛んでくる球に食らいつき、とにかく打ち返すという本気度いっぱいのテニスをするスクールだったのです。
1時間のレッスンが終わり、疲労困憊の私と友人は、駅までの帰り道、口を開く元気もなく、無言でアスファルトの路面を見つめるだけでした。
すでにレッスン料を全額払っていたので、最後まで、なんとか通ったと思うのですが、もしかしたら、それは都合良く記憶を書き換えているだけで、途中で挫折したのだったかもしれません。
ただ、次シーズンには継続申込みをしなかったことだけは、確かです。
体験レッスンや、見学をしてから、決めるべきですね、習い事は。
教室の方針によって、同じスポーツでも、向き合い方が違いますから。