毎年今ぐらいの時期に、胃の内視鏡検査を受けます。
どこの病院で受けようかとネットで調べます。
去年受診した病院の医師に全然問題はなかったのですが、引っ越す前の自宅に近く、現在の住まいからだと1時間以上かかるため、近場のところで探したかったのです。
胃の内視鏡検査をする病院は星の数ほどあります。
私が望んでいるのは鎮静剤を使ってくれるところ。
眠っている間に検査をして欲しい。
シラフじゃ無理。
最近は身体に入れる管が細くなっているし、鼻から入れれば苦しくないなどと仰る人もいますが、私はお断り。
慢性副鼻腔炎のため鼻に管を入れれば、間違いなく出血するでしょう。
口からにした場合、管が細かろうが、太かろうが、苦しいはずなので、私にとって鎮静剤は必須なものなのです。
病院のホームページをひたすら見ていく。
苦痛はないけれど、希望する人には鎮静剤での検査も可能といった記述がある場合は、医師が鎮静剤の使用に消極的と判断し、リストから外します。
友人が以前、このような記述を信じて病院に行き、鎮静剤の使用を希望したところ、受付のスタッフと看護師から「うちの先生は腕がいいから、鎮静剤がなくても苦しくないですよ。カメラが入っていることに、気付かない患者さんもいるぐらいです」と説得されてしまい、渋々シラフで受けたところ、苦しくて泣いたと言っていました。

このようなことから、私はデフォルトで鎮静剤を使用するとしているところがいい。
そして自宅から徒歩5分ほどのところにあるクリニックを発見。
すぐに内視鏡検査を受けることは出来ず、まずは医師の診察を受けてから、後日内視鏡検査の予約を取るというルールらしい。
第一歩の診察はWEB予約が出来るというので、申し込もうとしたら・・・枠が空いてない。
予約でいっぱい。
去年開院したばかりのその病院。
ネット上での口コミでかなりの高評価を得ているので、患者が殺到しているのでしょうか。
昔はいい医師と巡り合えるまでは大変でした。
周囲の人の口コミだけが頼りだったから、情報量が少なかった。
それが今や全国の病院の医師の評判を、簡単に調べることが出来てしまう。
そこには正確性に欠けるものや、偽の情報もあるでしょうから、すべてを鵜呑みには出来ないにせよ、口コミを始め、病院の場所、診察時間、医師の経歴、開院してどれくらいかなどの情報は入手出来ます。
だから人は生活圏外の病院にも行くようになり、人気の病院は予約が取りにくくなります。
定期的に訪れている眼科があります。
引っ越す前の自宅に近いので、現在の住まいからは遠いのですが、とてもいいドクターなので変えずに通っています。
そこはネット上での評判もかなり高い。
だからどんどん予約が取りにくくなっています。
3月に予約の電話をしたら、最短で6月と言われてしまいました。
病院の予約を取るのも大変な時代になりました。
しょうがないと受け入れるしかないのでしょう。
胃の内視鏡検査を受ける前段階の診察は、2週間以上先にやっと見つけた枠で予約を入れました。
今更ですがWBCは凄かった。
あんなドラマチックな展開の小説を書きたいと、編集者に言ったならば「これは出来過ぎですよ」と却下されたに違いないのです。
それぐらいのドラマチックさでした。
素晴らしい展開で優勝をもぎ取ったサムライたち。
スポーツ観戦が大好きな私なのに、野球だけはちょっとと二の足を踏んでいましたが、いやいや、野球って面白いぞと開眼。
だから気が付くと、メジャーリーグで活躍する日本人選手の情報を探していたりする。
メジャーリーグは始まったばかりとはいえ、日本代表として活躍した選手たちが好調だとわかると、こっちまで嬉しくなります。
元メジャーリーガーで、現在はテレビで野球解説をしている人が、大谷選手に「君はどこの惑星から来たの?」と質問したと知った時は、「それ、私も聞きたかったやつ」と声が出ました。
常識とか、普通はとか、これまではとか、そういう言葉なんかさらりとかわして、自分が信じる道を進んで行く、大谷選手の格好いいことといったら。
地球人離れしている大谷選手に、どこの惑星から来たのかと聞きたくなるってもんですよね。
彼はこれからどんなものを、私たちに見せてくれるんでしょうかね。
二刀流でハードなスケジュールをこなしている大谷選手が、怪我をせずにシーズンを終えられますようにと祈っています。
それと悪い女に引っ掛かりませんようにとも、祈っておきます。

スポーツといえば一冊小説を書いています。
「頼むから、ほっといてくれ」はトランポリン競技の選手たちの物語です。
五輪出場枠を掛けた五人の戦いを描いています。
野球のように大勢の人に見て貰えたなら、このトランポリン競技の奥深さを、感じて貰えるのにといつも思っています。
どんなスポーツにもドラマがあるし、感動がありますね。
しょっちゅうシャーペンがダメになります。
乱暴に扱っているつもりはないし、酷使してもいないはずなのに何度も買い替えるはめに。
相性が悪いのでしょうかね。
原点回帰しようと鉛筆を久しぶりに購入。
色鉛筆を買った時に付いていた、小さな鉛筆削り器で削る。
すぐに鉛筆のにおいが立ち上がってきて、懐かしい気持ちに。
小学生の頃、電動鉛筆削り器が登場しました。
その衝撃はハンパなかった。
電動鉛筆削り器を入手した子は、すぐにリストアップされ、その子の家に遊びに行きたがる子が続出。
筆箱持参でその子の家に行き、恐る恐る穴に鉛筆を突き刺すと、予想以上の振動にビビったりしたもんです。
我が家に電動鉛筆削り器はなかなか導入して貰えず、そうこうするうちにシャーペンが登場したため、鉛筆そのものを使わなくなりました。
だから鉛筆を手にするのは相当に久しぶり。
これで筆記具の不具合に、苛つかなくて済むぞと喜んでいたのですが・・・。
私はアナログで紙のスケジュール帳を使用しています。
そこに予定をどんどん書き込んでいくのですが、鉛筆の先がすぐに太くなってしまう。
小さなスケジュール帳なので、太い芯で書くととっても見にくい。
だからしょっちゅう鉛筆を削ることに。
これがメンドー。

箱買いしたので12本もあるのだから、この鉛筆を使い切るまでは我慢しようと思ったのですが、メンドー臭さに負けました。
シャーペンを購入。
常に一定の細さを保ってくれる芯先によって、ストレスはゼロに。
そんな折、シャーペンの芯の買い置きがなくなりそうに。
買い物予定リストに、シャーペンの芯と書いておく。
新聞を読んでいたら・・・鉛筆の特集記事が。
なんとこの20年で、2Bが主流になったと書いてある。
びっくり仰天。
鉛筆もシャーペンも、HB一辺倒だった時代を私は過ごしてきたのですが、いつの間にそんなことに?
そもそもなぜHBを選んだのかは、全く覚えていないのですが、私だけに特殊な好みがあったとは思えないので、恐らく周りの子どもたちが皆HBだったからでしょう。
以降、HB一筋。
他の濃さを選ぼうなんて気は、さらさら生まれなかった。
が、その記事によれば、すでに20年前の時点でHBの出荷数は14%で、主流ではなかった。
情報を更新せずに生きてきたんですね、私は。
そして今やHBの出荷数は5%で、70%が2Bだそうです。
改めて振り返ると何故HBに固執してきたのか・・・皆目わかりません。
老眼の身なのですから、濃い方がいいに決まっている。
急いで買い物予定リストにある、シャーペンの芯の欄に2Bと書き足しました。
大阪に日本で初めてのカジノが登場するそうです。
その完成予想図なる絵を見ました。
なんだか既視感が。
外国にある統合型リゾートと似ている。
どうせ日本で作るなら日光江戸村のように、江戸時代にタイムスリップしたような施設にしちゃった方が、面白い気がします。
まずカジノとは呼ばず賭場。
ディーラーには和服着用をお願いしたい。
でも女性は片肌を脱がなくてもオッケー。
チップは小判型にして・・・なんて具合にしたら個性的なカジノになりそう。
すでに外国にある施設を後発で作るのであれば、これぐらいの個性がないと、集客は難しいように思うのですが。
以前泊まった旅館には、ゲームを楽しめる部屋がありました。
その隅に二台のスロットマシンが置かれていました。
旅館の浴衣を着た70代ぐらいの女性二人が、そのスロットマシンを楽しんでいました。

私と友人らもそこにあったゲームにトライ。
ドン臭い私はあっという間に小銭をゲーム機に巻き上げられて、しょんぼり。
すぐに友人の応援に回りました。
しばらくして怒鳴り声が聞こえてきました。
見れば、スロットマシンをしていたうちの一人が、怒りの形相をしていました。
そして人差し指を隣の女性に向けて「私の頼みを聞いてくれたらどうなのよ。こんなの、ただの数合わせじゃない。そんな勝ち誇ったような顔をしないで。その顔、ブサイクよ」と言い放ちました。
おお。
喧嘩勃発です。
喧嘩を売られた女性が言いました。
「変わってないわねぇ、〇〇は。自分が出来なくて、私が出来ると、文句を言って自分に有利にしろとわめくんだから。もう嫌よ。もう妹を特別扱いしてあげるお姉ちゃんは卒業しました。台は変わらない」と。
姉妹でしたか。
一緒に旅行しているぐらいなのだから、仲良しなんでしょうに。
お姉ちゃんの台の方が目が揃うと考えた妹が、交換を要求した模様。
運とかテクニックが、妹よりお姉ちゃんの方があるとは考えないんでしょうかね。
拒絶された妹がどうするかをチラチラ見ていたら・・・姉の台に手を伸ばしました。
スタートレバーを勝手に下げてリールを回すと、またまた勝手にストップボタンを押し始めました。
妹の動きを止めようと、姉がその手を払う。
だが妹は間隙を付いて手を伸ばし続ける。
そのうちに柔道の組手争いのようになっていく。
どうなってしまうのかとハラハラしていたら、突然姉が笑い出しました。
それにつられたように妹も笑い出します。
そうしてしばらくの間、姉妹は笑い続けていました。
姉妹喧嘩も犬も食わないのだと知った瞬間でした。