オヤカク

  • 2019年07月29日

「オヤカク」という言葉の意味を最近知りました。
就活界で使われる造語だそうで、「親に確認」の言葉から生まれたとか。
意味は、企業が内定者の親に、入社意思を確認することだそうです。
そんなことが行われているんですね、今は。

子どもが行きたい企業と、親が望む企業が一緒であればいいのでしょうが、違うことも多いんだとか。
親はとかく大手であることや、有名である企業への就職を望みがちで、子どもが決めた企業への就職を全力で阻止しようとするケースもあるそうです。

でも。
働くのは親じゃない。
1日8時間。週に5日。これを何年も、何十年も働くのは子ども。
働く楽しさを感じられない職場や、合わない仕事を長時間続けるのは地獄です。
親を安心させるために自分の人生を地獄にしてしまうのは、避けた方がいいと私は思います。

昔、フリーライターをしていた頃、就職関連の本を編集することになり資料集めを開始。
その中である就職情報会社が、学生向けのサービスをしているのを知りました。
それはたくさんの質問に答えていくと、あなたに向いている仕事がわかるという有料サービスでした。
面白そうだと思った私は申し込むことに。
当時30代でしたが、年齢を偽り学生のふりをして質問に答えていきます。
年齢以外はすべて正直に回答。
そして出て来た結果は・・・あなたに向いている仕事の第1位は「アナウンサー」。
おいおい。
なれるかどうかには容姿が非常に重要な職業を、そんな簡単に薦めないでいただきたい。
私が本当に世の中のことを知らない学生で、そうか、私はアナウンサーに向いているのかと、この結果を鵜呑みにして目標にしてしまったら、どうするの?
当然合格など出来るはずもなく就活大失敗となる。
このサービスの限界を知った瞬間でした。

第2位がなんだったのかは覚えていないのですが「作家」が第3位か4位に入っていて、「向いていなくはないんだな」と思い、少しほっとしたという記憶はあります。
当時、小説を書くことを仕事にしたいと思っていたもので。

今は売り手市場のようですから、あっちこっちから内定を貰い、余計に迷ってしまうのかもしれませんね。
情報は溢れているし、親は色々言ってくるしで、どうしたらいいのか困っている学生さんも多いのかも。

大事なのは「自分の人生を、誰かに決めさせるな」ということ。
なにがしたいのか、どういうところが向いているのか、薄っすらとわかったら、そこへ飛び込むのが1番。
と、私は思うのです。

ウナギ

  • 2019年07月25日

ウナギの完全養殖が初めて成功したそうです。
これだけ食べられているのに、その生態がよくわかっていなかったというのが、そもそも不思議ですが、なかなかに珍しい生き物なんでしょうね。

食事はなにがいいですかね? ウナギでもどうですか?
などというメールを貰った場合・・・「おぉ」と思わず感嘆の声が上がってしまうってもんです。
この「おぉ」には、ウナギがもっている高級感と特別感にヤられてしまい「本当にいいんですか?」と確認の返信メールを打ちたくなるほどの気持ちがこもっています。

が、もし完全養殖が進んだら・・・今月はつい調子に乗って衝動買いをしてしまってピンチだから、財布の紐をキツクしなきゃ。お昼はウナギにでもするかなぁ・・・なんてことになっていくのでしょうか。
こんな風にウナギが身近な存在になったとしたら、それは嬉しいことなのですが、一方でその特別感がなくなってしまうのは寂しい気もします。

このウナギの完全養殖にはまだ課題が残っているんだとか。
それは、稚魚になるまでの生存率が5%に満たないことや、成長期間が自然界の場合より2倍も長いといった点だそうです。
この生存率と成長期間が解決しないと、商売としては難しいでしょうね。
でも研究を重ねて、いつの日かこうした問題をクリアしそう。
値段はお手頃に、特別感はそのままに・・・といった場所にウナギが向かってくれるといいのですが。

友人A子はウナギが苦手。
アレルギーではないそうです。
取引先の人から「ご馳走してあげるよ、ウナギ」と言われると、わー、嬉しいといった表情を作るのに苦労したとか。
この「ご馳走してあげるよ、ウナギ」の中には、「高い」「でも俺は太っ腹だから」「特別に」「奢ってやる」といった様々なメッセージが含まれていて、苦手なんですと言う勇気はなかったと言います。
昔はアレルギーといった言葉はポピュラーではなかったですし、苦手なのでと断ることも許されない社会でした。
食べ物に好き嫌いがあるのは、成長していない証拠だと説教を垂れる人さえいましたっけ。
昔は給食を残してはいけないという教師はたくさんいて、午後の授業に入っても、嫌がる生徒に食べるよう強制していました。
あれはどういった教義を信奉していたんでしょうか。
私は運良く、給食を残しても見て見ぬふりをしてくれる担任教師ばかりだったので、苦手なものを泣きながら食べるといった経験はせずに済みました。

時は流れ、アレルギーという単語は市民権を得ました。
「すみません、私、ダメなんです」と言える雰囲気がありますし、「ダメなものってある?」と先に聞いてくれたりするようになりましたよね。
人によって様々なNG食材があるという知識をもつようになると、接し方は変わるんですね。
こんな風に知識によって暮らしやすくなるといったことが、もっともっと増えていけばいいと思います。

囲碁教室

  • 2019年07月22日

囲碁教室に通い出してから7ヵ月。
後から入って来た70歳の男性に抜かれたり、進歩しない自分に嫌気が差したりする7ヵ月でした。
辛口の先生から「遅い」だの、「それは前にやりましたよ」などと言われた時には、止めようと思ったりもしましたっけ。

勉強する時間を見つけるのは難しく、お湯が沸くまでの間とか、仕事と仕事の間の隙間を見つけての遣り繰りでした。
宿題が結構多くて、ヒーヒー言いながらの受講が続きました。

そんなこんなの段階を経て、やっと入門用のカリキュラムが終了しました。
とはいうもののマスターしたのではなく、入門者に用意されたドリルをすべて終えただけなのですが。

次のステップはいろんな人と対局しながら学んでいくのですが・・・出来る気が全然しない。
教室で対局はこれまでもしてきましたが、先生との場合がほとんど。
私がとんでもないところに石を置けば、先生がそこじゃない方がいいと教えてくれて、良き場所をナビしてくれる。
更に「こっちの方がいいですか?」と質問することも出来るので、対局しているといった感覚はなく、練習しているような感じ。
そんな私が誰かと対局?
無理無理。

そこである囲碁の会に入会。
そこではネットを介して人と対局が出来るのですが、それが入会の決め手ではありませんでした。
初心者向けの練習問題が用意されていることと、ソフトとも対局が出来て、そこでの自分のやり方がどうだったのかを、添削して貰えるサービスがある点に惹かれました。
添削は一部であれば300円、一局全体であれば700円でして貰えます。
どこが悪かったのか、どうすれば良かったのかを教えて貰えないと、上手くなれないと思うので、このサービスは助かります。

入会手続きを済ませて、さぁ、まずは練習問題を解いてみようと思ったら・・・難しい。
更に間違った時「ブー」と音が鳴るのですが、この音に遠慮がない。
もう少し軽めの「ブー」にしてくれたらと思うのですが、音が重いのです。
胸にずしんとくるような低音。
間違えたという事実に向き合えと言われているような感じ。
そして正解したのか、間違ったのかといった記録がしっかり残る。
その上正答率なるものを画面に表示してきて、プレッシャーを掛けて来る。

なんか、囲碁の世界って厳しいな。
と改めて感じるのでした。

スマホの勉強

  • 2019年07月18日

友人からクレームを頂戴した。
いい加減LINEを導入してくれと言う。
「簡単だから」「誰でも出来る」「あなた自身が便利になるのよ」・・・といった言葉と共に。
食事会を企画している際に出席者が複数の場合、日時を決めるのはとっても大変。
そんな時、LINEは便利らしい。
でも私はやっていない。
なので、幹事は私にだけメール連絡をすることになる。
これが非常にメンドー臭いらしい。
が、いつものように「すみませんねぇ」のひと言で済ます。
友よ、すまん。

私のテクノロジーとの関係はメールで止まっています。
そこから先のものには手を出していない。
Twitter、Facebook、Instagramもやっていません。

自宅から駅まで向かう途中に携帯通信のショップがあります。
その前を通る時には、全面ガラス張りの店内を窺うことが出来ます。
いつの頃からかスマホ教室なるものが開催されるように。
大きなポスターが貼られ、無料のスマホ教室が開催中だと記してある。
窓ガラス越しにアダルティな3、4人が、講師と思しき人の話を熱心に聞いている姿が見える。

私も教わりたい。
と、心の底から思う。
私がもっているスマホに1000の能力があるとすると、活用しているのは1ぐらい。
タイマーとして利用することが多い。
仕事は時間を決めてするようにしていて、これは15分で、これは30分で終えようとまず決めます。
で、スマホのタイマーを設定して、指定した時間にアラームが鳴るようにしておく。
どう考えてもスマホじゃなくても全然構わない。
でもこれぐらいしか出番がない。
スマホとしたら自分の能力を発揮する機会を与えられず、忸怩たる思いでしょう。
スマホよ、すまん。

昨日そのショップの前を通りかかったら・・・同世代らしき女性が、窓ガラスに貼られたスマホ教室の予定表をガン見していました。
仲間を見つけたような気持ちになり、ちょっとニヤニヤしながら彼女の横を通り過ぎました。
メール止まりの私でも、幸せになれるような社会であって欲しいと祈っています。

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