ウナギ

  • 2019年07月25日

ウナギの完全養殖が初めて成功したそうです。
これだけ食べられているのに、その生態がよくわかっていなかったというのが、そもそも不思議ですが、なかなかに珍しい生き物なんでしょうね。

食事はなにがいいですかね? ウナギでもどうですか?
などというメールを貰った場合・・・「おぉ」と思わず感嘆の声が上がってしまうってもんです。
この「おぉ」には、ウナギがもっている高級感と特別感にヤられてしまい「本当にいいんですか?」と確認の返信メールを打ちたくなるほどの気持ちがこもっています。

が、もし完全養殖が進んだら・・・今月はつい調子に乗って衝動買いをしてしまってピンチだから、財布の紐をキツクしなきゃ。お昼はウナギにでもするかなぁ・・・なんてことになっていくのでしょうか。
こんな風にウナギが身近な存在になったとしたら、それは嬉しいことなのですが、一方でその特別感がなくなってしまうのは寂しい気もします。

このウナギの完全養殖にはまだ課題が残っているんだとか。
それは、稚魚になるまでの生存率が5%に満たないことや、成長期間が自然界の場合より2倍も長いといった点だそうです。
この生存率と成長期間が解決しないと、商売としては難しいでしょうね。
でも研究を重ねて、いつの日かこうした問題をクリアしそう。
値段はお手頃に、特別感はそのままに・・・といった場所にウナギが向かってくれるといいのですが。

友人A子はウナギが苦手。
アレルギーではないそうです。
取引先の人から「ご馳走してあげるよ、ウナギ」と言われると、わー、嬉しいといった表情を作るのに苦労したとか。
この「ご馳走してあげるよ、ウナギ」の中には、「高い」「でも俺は太っ腹だから」「特別に」「奢ってやる」といった様々なメッセージが含まれていて、苦手なんですと言う勇気はなかったと言います。
昔はアレルギーといった言葉はポピュラーではなかったですし、苦手なのでと断ることも許されない社会でした。
食べ物に好き嫌いがあるのは、成長していない証拠だと説教を垂れる人さえいましたっけ。
昔は給食を残してはいけないという教師はたくさんいて、午後の授業に入っても、嫌がる生徒に食べるよう強制していました。
あれはどういった教義を信奉していたんでしょうか。
私は運良く、給食を残しても見て見ぬふりをしてくれる担任教師ばかりだったので、苦手なものを泣きながら食べるといった経験はせずに済みました。

時は流れ、アレルギーという単語は市民権を得ました。
「すみません、私、ダメなんです」と言える雰囲気がありますし、「ダメなものってある?」と先に聞いてくれたりするようになりましたよね。
人によって様々なNG食材があるという知識をもつようになると、接し方は変わるんですね。
こんな風に知識によって暮らしやすくなるといったことが、もっともっと増えていけばいいと思います。

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