夜中のことです。
半分寝ていて、半分起きているような、そんな感じの時でした。
なぜか、明日の朝食の用意はしたんだったっけ? といった疑問が頭に浮かびました。
したした。
おかずをちゃんと用意した記憶が蘇り、ほっと胸を撫で下ろします。
一気に眠りに突入したいところですが、どうもなにかが引っかかる。
やがてその原因がわかりました。
白飯をタイマー予約するのを忘れていたのです。
朝食を和食にしようとおかずを用意したのに、肝心のご飯の準備をし忘れていました。
それにしても、よくこんなことを夜中に思い出したよなぁなんて、食への執着に感心したり呆れたり。
で、ここからが大変。
起きて炊飯器をセットするべきか、それとも一切を忘れてこのまま眠りの奥へと進んでいくべきか。
働き者の天使が言います。
無洗米なんだし、すぐにできることなんだから、起きて用意しちゃいなよ、と。
ぐうたらな悪魔が囁きます。
止めとけ、止めとけ。1度起きちゃったら、その後なかなか眠れなくなるぞ、と。
「おかずだけじゃ、朝食にならないよ」
「凍ってるパンをチンすりゃいいじゃん」
と、天使と悪魔が色々なことを言ってきて、私を悩ませます。
が、私の場合圧倒的に悪魔が強い。
というか、悪魔のいいなりなんですね、大抵。
で、そのまま寝ることにしました。
翌朝。
いつもの段取りで食事の仕度をしていると、炊飯器の終了ランプが点いていないことに気付き、一気に夜中の葛藤の記憶が。
また悪魔の方に従ってしまった己にがっかりしながら、パンを冷凍庫から取り出しました。
普段は明日の朝はパンを食べるぞと決めた時には、前夜のうちにパンを冷凍庫から冷蔵室へと移し、解凍していました。
なので、レンジで解凍する際の適当な時間がわからない。
そこでひとまず30秒レンジに入れてみる。
と、結構軟らかくなったので、トースターへ入れて焼いてみると・・・外も中もカッチカチの物凄いトーストが完成。
カッチカチのトーストを、噛み千切るようにして食べるはめになりました。
やっぱりメンドーでも、起きて炊飯器のセットをするべきだったと思っても、後の祭りなのでございます。
食器を選ぶ基準は、まずレンジで使用可能かどうか。
次に自動食洗機に放り込めるかどうか。
この2点が絶対条件。
これをクリアした中から、気に入った色やデザイン、サイズを選んでいく・・・という流れです。
先日、友人が遊びに来て、私が白い湯呑みで緑茶を飲んでいるのを見て「ちっちっちっ」と人差し指を左右に動かしました。
「毎日使う湯呑みに白いモノを選ぶなんて、生活者として素人だね」とダメ出しです。
茶渋が目立たないような、黒っぽいモノを選ぶべきだと言うのです。
確かに。
私もできれば黒とか茶色とか、そういう湯呑みが欲しかった。
でも、気に入ったデザインの湯呑みには、白しかなかった。
そう言い訳をすると、希望する色でないのなら、それは気に入っていないということだとの指摘が。
まぁね。
その友人の家で使われている湯呑みの色を思い出してみると・・・黒でした。
外側も内側も黒。
茶渋がべったり付いているかもしれませんが、見た目ではわからない。
こうなると、中に何が入っているかもわからない。
ま、突拍子もないものが入ってるってことはないだろうと思うので「これは、なに?」とも聞かず、口にしてきました。
緑茶やウーロン茶、麦茶といったあたりでした。
が、そうではなかった時のことを、突然思い出しました。
その日はひと口飲んで、あやうく吹き出しそうに。
「酸っぱいよぉ」と私が文句を言うと、「身体にいいハーブティーなんだから、飲みなさい」との回答が。
「そういう罠を仕掛けないでよ。舌がびっくりしてるわ」と私は文句を垂れました。
飲む前に「それ、酸っぱいよ」とのひと言があれば、舌が準備をします。
そうした言葉がなくても、せめて液体の色がわかれば、いつもとは違うと警戒することができます。
が、情報はないわ、色は見えないわで、舌は完全に無防備状態。
そこに酸っぱい攻撃ですから、あっけなく完敗。
敵を騙し討ちするには、黒い湯呑みはいいかもしれませんが、私は目で確認してから飲みたいと、自分の気持ちに気が付きました。
ということで、しばらくはこの白い湯呑みを愛用したいと思います。
割れてしまっても、中身がわかる色合いのものを選ぶでしょう。
茶渋なんて、気にしない、気にしない。
アレルギー体質のため、ダニは天敵です。
そこでダニを捕るというマットを、クローゼットの中に仕込んでいます。
3ヵ月に1度、このマットを新しいのと交換する必要があり、ネットで購入。
梱包を開けると・・・ダニ目視キットなるものがオマケとして同封されていました。
それはレンズが付いている容器で、どうやら小さいダニを拡大して見せてくれようとしている気配。
しばし言葉を失い、じっとそのオマケを見つめ続けました。
これまでオマケや粗品といった名目で数々のモノを貰ってきましたが、これほどの衝撃を受ける品は初めてでした。
コーヒー豆を注文した時、キャンディーがオマケだったり、化粧品を買った時、扇子が付いてきたりと、どういう関係性? とツッコミたくなるようなモノが同封されているケースが結構ありました。
それに比べれば、ダニを捕るマットを買ったら、ダニ目視キットが付いてきた・・・というのは関連性があり、思わず納得しそうにもなります。
が、ちょっと待てよ、とも思うのです。
ダニが好きなわけじゃない。
当然、その姿が見たいわけじゃない。
また、その数を把握したいわけでもない。
ダニを死滅させたいとは思っていますが、ダニと向き合いたいわけではないのです。
そもそも、見てどーすんのさ。
3ヵ月に1度買ってるしね。
もっと買えといいたいのでしょうか。
それともマットを使っていれば、どんどんダニが減っていくというのを、目で体感させるためにオマケにしようと考えたのでしょうか。
送付してきた会社の思惑を推測するのはそこまでにして、ダニ目視キットをゴミ箱の上に。
が、その手が動きません。
今捨てる必要はないのでは、との思いが湧き上がってきたのです。
名刺よりも小さなサイズのモノなので、邪魔にはならない。
であるならば、どこかに放り込んでおいたってどうってことないのでは? といった心持ちに。
いつの日か、あぁ、あのダニ目視キットを捨てずに取っておいたら良かったと後悔するかもしれないし。
ってことで、ひとまず捨てるのは止めて、ごちゃごちゃと色々な物を入れておく箱に。
恐らく、あっという間にこの存在を忘れることでしょう。
そして片付けでもしている時に、ダニ目視キットを発見するのでしょう。
「げっ」と今回と同じように衝撃を受けている自分の姿が目に浮かびます。
夏祭りの季節ですね。
カルメ焼きやお好み焼きなど、子どもの心を鷲づかみにする屋台はたくさんあります。
私が子どもの頃特に人気だったのは、ひよこを売っている屋台でした。
今でもあるんでしょうか?
何故祭りにひよこだったのか、皆目見当がつきません。
そのひよこがピンクや緑などに羽毛をカラフルに染められていたのも、なぜだったのかわかりません。
この謎に満ちたひよこ売りの屋台には、子どもたちがいつも鈴なりでした。
「欲しい」
「ダメ」
「買って」
「すぐに死んじゃうから、可哀相でしょ」
「欲しい」
「ダメ」
といった会話が各親子間でなされたものでした。
大抵は買って貰えないのですが、たまに買って貰えたとしても、すぐに死んでしまうという親の予言はあたり、哀しい結末を迎えるのが常でした。
中学生になって、なぜか祭りのひよこの話になったことがありました。
すると友人が、小学生の時のクラスメイトに、ひよこを鶏にまで育てるのに成功した人がいたと発言しました。
おおっと驚きの声が上がります。
なんでも、雄鶏で毎朝物凄い早い時刻に「コケコッコー」と鳴くので、近所からクレームがきたとのこと。
しょうがないので、祖母の家がある田舎へ鶏を移すことに。
祖母の庭に鶏を残し、家族たちは都心の自宅へ戻るため、車に乗り込んだそうです。
すると、すっかり懐いていた鶏は置いていかれるとわかったようで、その車を走って追いかけてきたとか。
「コケー」と叫びながら追いかけてくる鶏を、その子は後部座席から見つめ続けたというのです。
友人の中の1人が尋ねました。「その鶏は田舎でそれから幸せに暮らしたの?」と。
いつのまにやらそこにいた全員が、その鶏には、幸せになりましたとさ、めでたしめでたしといった結末を期待していました。
しかし友人は答えました。「田舎に移った翌日、車にはねられて死んだって」と。
絶句する私たち――。
なんとも後味の悪いひよこのお話でした。