伝統工芸品が好きです。
その手仕事を見て・・・ただただ、すっげぇなと感心。
私はこういう仕事には絶対に就けないわ、などと当たり前の感想をもったり。
緻密で繊細な仕事は感動をもたらしますね。
伝統の手法をベースに、現代の感覚を吹き込んだデザインの作品などもたくさんあって、見ていて楽しいです。
特に漆は大好きです。
あのこっくりとした色と、光沢とマットな感じが混じった独特の風合い。
格好いいし美しいと思います。
漆作品が並ぶ展覧会があると時間を見つけて行き、楽しみます。
こちらは以前行った展覧会のチケットと、カードです。
イメージを払拭するようなモダンなデザインがたくさんあり、これは買えないのだろうか? なんて無謀な考えをもったりしました。
確か別の漆の展覧会の会場だったと思うのですが、大きなスクリーンが用意されていて、漆作家が素人に作り方を教えてくれる映像が流されていました。
釘付けになって見ていると・・・それはもう大変な工程の連続。
まだ塗る?
それ、絶対に必要?
と尋ねたくなるような工程の多さ。
やっぱり丁寧に作っていくんだなぁなんて思って見ていたら・・・下書きなしに彫刻刀で削り始めちゃった。
おいおい、と思わずスクリーンに向かってつっこんでしまいましたよ。
そこまではこれでもかってぐらい慎重にやっていたのに、いきなり刀を当てちゃうんですから。
作家によってやり方は違うんでしょうが、その方は絵がしっかり頭に出来上がっているようで、ちゃっちゃっと彫っていく。
字幕に「下書きはしない」と出ていました。
やはり皆がびっくりする場面なんでしょう。
大好きな漆ですが1つももっていません。
漆器はお手入れが大変そうで、ちょっと手がでません。
食器ではなく文箱のようなものだったら、私にも扱えるのではないかと思うのですが、なかなか。
さてさて思い切って買う日は来るのでしょうか?
私の靴のサイズは23センチのDだと知ったのは、去年のこと。
靴店で販売員をしていたというのに、長いこと自分の靴のサイズを、間違って思い込んでいた間抜けでした。
自分の足と合った靴を履くようになり、トラブルは少なくはなったとはいえ、完璧ではない。
長い時間履いていると痛くなってしまい、脱げそうになるのです。
さては、やっと見つけた自分のサイズがまたまた間違っていたのか?
が、出かける時はぴったりだったのです。
夕方になると足がむくんで、靴をきつく感じるというのはよく聞く話。
でも、私の場合はきつくなるのではなく、どちらかというと靴の方が大きくなってしまう感じなのです。
この人とは違う感覚は、ぽんこつだからでしょうか?
かもしれない。
と、答えを見つけたつもりでほっとせず、あれこれ考えているうちに・・・長時間靴を履いているうちに、革が少し伸びるせいではとの考えに辿り着きました。
革がちょっと伸びたせいで、足がちょっとだけ前に滑る。
と、ホールドすべきポイントが本来の位置より少し前にズレるので、痛みが出て靴が脱げそうになるとの仮説です。
仮説は立てたものの、解決策は思い付かず。
私は思い付かないけれど、誰かが思いついて商売にしているかも。
で、ネットで靴調整グッズを探してみると・・・ありました。
いろんなのがあるもんです。
中敷きの前方に、薄いシリコン製のシートを両面テープで貼り、足が前に滑るのをストップするというのを買ってみました。
体重のせいなのか、歩き方のせいなのか、両面テープの粘着力が弱いのか、シートはどんどん前方にズレていき、靴先にくしゃっとたまってしまいます。
次に買ったのは、つま先クッションなるもの。
軟らかいクッションをつま先に入れておいてから、足を入れる。
これで、足が前にズレるのを防ぐというのです。
初めて足を入れてみると・・・すべての指先に感じる違和感が、なんだかなぁなのです。
こんな違和感たっぷりで、長時間歩けるのだろうかと不安になったものの、いざとなったら取り出せばいいかと思い切り、外へ。
と、夕方になっても足が痛くならないし、脱げそうにもならない。
最初はあった違和感も、履いているうちに馴染んできて、ほとんど気にならない程度に。
これを発明した人は天才に違いない。
持っている靴の数だけ買い足した時、購入者のレビューがあることに気が付き、読んでみると・・・とても気に入った人と、まったく気に入らなかった人の2極に分かれている様子。
気に入らなかった人のコメントに、これならティッシュを詰めるのと一緒だといった文章がありました。
ティッシュね。
思いもつかなかった。
ほんの少しの滑りを止めるのなら、ティッシュを何十枚か詰めれば大丈夫かもしれません。
が、私の場合はそこそこの力でストップして貰わないとダメなので、このつま先クッションが必要。
今では外出する際の必須グッズとなっています。
小説のアイデアを思いつくのは、デスクに向かっている時ばかりではありません。
料理をしている時や掃除をしている時にも「あっ」という瞬間があります。
どうしてなのか。
料理や掃除をしている時の脳が、いい感じに油断しているせいじゃないかと自己判断しています。
先日、ぼんやりとジャガイモの皮を剥いていました。
無心で。
ふと、我に返り、コンロの上の鍋を覗くと・・・水の中には皮を剥いたジャガイモが、そのまま丸々の状態で入っている。
はぁ?
なにしてんだ、私は。
と、大急ぎで火を消し、お玉でジャガイモを取り出し、まな板の上でカット。
1個を6分の1程度にカットしていきます。
そうやってすべてのジャガイモを小さくしてから、再び鍋に投入。
ふうっと息を吐き、改めて自分のした行為にびっくり。
ジャガイモを丸々1個の状態で茹でるなんて、どんだけ時間がかかることか。
食べるのだって大変。
いったいなんだって、カットをせずに鍋に入れ、火を点けたのか・・・そのあたりの記憶がゼロというのが、恐ろしいったらありゃしません。
いいアイデアが浮かぶだの、脳が油断しているだのと、自分勝手に解釈していましたが、これは単純に「老化」という2文字に関係しているのではとの疑念が。
パズルとか、大きい数字から小さい数字に数えていくとか、そういう頭のトレーニングを始めるべきなのでしょうか。
ちょっと心配になり、ネットで調べてみると・・・ドリルだったり、本だったり、ちょっと難しそうな専門書だったりといった情報にぶつかりました。
と、なぜかここで「そうか、色々あるんだな」で、まとめに入ろうとしている自分に気付きました。
検索して出てきた大量の情報を目にすると、いざとなったら、この中から自分に相応しいのを選べばいいかと、着地する準備に入ってしまうんですね。
いざというのがいつなのか、それを調べりゃいいのでしょうが、先延ばしにする気持ちが満々で調べない。
こんなことを繰り返しているうち、やがては今日がその「いざ」だと、思う日がくるのでしょうか。
そこはちょっとモダンな文具を扱うネットショップ。
と、動物の形をしたクリップを発見。
が、2種類しかない。
製造元の蘭にあった名前を検索サイトで調べ、そこらしきHPにアクセス。
どうやらアタリのようです。
動物の形をしたクリップが10種類ぐらい販売しているし、ほかにも植物や人間の形をしたものも。
ほ、欲しい・・・との心の声に従い、まとめ買い。
それぞれがケースに入っていて、中身はこんな感じ。
クリップは結構よく使います。
書類のやり取りの際に一筆箋やメモを付けるので、クリップが必須になるのです。
これ以上に使うのは、原稿チェックの時。
誤字・脱字は勿論、やっぱりここは違う表現の方がいいと判断した時に修正します。
この時、赤いペンで紙の余白に直したい言葉を書くのですが、その量が多い時には余白が足りなくなってくる。
上から下に向かっていた文字は急に右に曲がり、紙の端に到達すると、今度はまた下方へと伸びていく・・・なんてことになると、実際にその指示通りにデータを修正しなくてはいけない印刷所の人が「ちっ」となる。
で、ミスも出やすくなる。
そこで、原稿には添付のA参照とだけ入れて置き、手書きでしたためた原稿用紙をクリップに付けるのです。
クリップが象だろうが、豚だろうが、印刷所の人には関係ないことでしょう。
でもこちらの気持ちとしては、精魂込めて書いた原稿ですから、それに付けるクリップにもこだわりたくなってしまうのです。
こうしたクリップをまず目にするのは編集者。
大抵の女性編集者からは、可愛いクリップですね的なコメントがあります。
気付いてくれるのです。
が、男性編集者はほぼ100%、ノーリアクション。
なにも言ってこないから、こっちから「可愛いクリップだったでしょ?」と投げかけてみると・・・「クリップ?」と聞き返してきます。
しょうがないので「クリップが象さんだったでしょ」と私が思い出させようとするも、「象でしたか?」となんとも残念なコメントが返ってくるばかり。
目に入っていないはずはないのに、それに注意を向ける人と、向けない人の違いは、男女の脳の違いとどんな関係があるのでしょうか。
ちょっと勉強してみたくなりました。