10月に入ってすぐに、湯たんぽを投入しました。
熊よりも先に冬支度に入るのが、毎年の恒例となっています。
執筆中はブーツタイプの湯たんぽを履いていますが、こちらは一年中使用しています。
秋になると、これに更にミトン型の湯たんぽに登場して貰い、キーボードを叩く合間にそこに手を差し入れ指先を温めます。
ブーツタイプの湯たんぽを買ったHPには「これで辛かった台所仕事ともお別れ」と書かれていました。
確かにキッチンに立っている時、足元は冷えますね。
そんな時、足先がぬくぬくしていたら、料理だって片付けだって楽しくなるってもんです。
で、このブーツタイプの湯たんぽを履いてキッチンに立ってみると・・・しんどい。
片足に450mlの湯を入れるので、両足で900ml。
この重さがじっと座っている時にはまったく問題ないのですが、歩いたり動いたりする時は結構大変。
相当なパワーがないと足を運べない。
そして台所仕事は、意外と身体を動かす必要があるものだと思い知ることに。
我が家の狭いキッチン内でも、三歩歩いて冷蔵庫の前に移動し、野菜を取り出して三歩戻ってカウンターに置き、一歩下がってザルを取り出して、一歩戻ってシンクに置き・・・と数歩の動きではあっても頻繁に足を動かしています。
この時両足に900ml分の重しがあるとしたら、そりゃあ大変です。
足を鍛えられるじゃないかと己を説得してみたりしましたが、1日でギブ。
台所仕事の時にはこちらのもこもこルームシューズを履くことにしました。
温かいし、なんてったって軽い。
スキップだってできちゃうぐらい。
ただ歩いているだけで、ウールの繊維が抜け落ちるのが玉に瑕。
部屋のあちこちに毛玉が。
こちらは見て見ぬふり作戦で応戦することに。
そこに毛玉があれば、ちっと舌打ちでもして拾い捨てなくてはなりませんが、そこには毛玉はないと思うことにすれば、なにもしなくて済むのです。
大抵のことは、この見て見ぬふり作戦でなんとかなります。
ということで、今日も私はもこもこルームシューズを履いて、スキップをしながら台所仕事をするのです。
トイレのコーナー用の棚を買ったのは随分前のこと。
ノータッチで泡状になった石鹸が出てくる自動ディスペンサーなるものを置くためだけに購入。
棚の一番上にこの自動ディスペンサーを設置し、手洗い環境が向上。
が、この棚にはあと3つの板がある。
なにを置くか。
トイレットペーパー?
置いたっていいけど、あとの2つの板はどうする?
弱った。
アイデアゼロ。
こういうところでセンスが問われるんだよな、なんて思ったら、ますますなにを置いたらいいのかわからなくなってしまいました。
ふと思い付いたのが、ミニチュアの家具。
ドールハウスというのでしょうか。
実物そっくりだけど、サイズだけ小さくしたアレです。
憧れの部屋や書斎を、そこの棚に飾ってみようかと、なぜか突然思いました。
どんなのがいいかと考えるうち、トイレの中にトイレがあったら面白いのではないかと思い付き、トイレのミニチュア家具をネットで探すことに。
トイレの棚でウケを取ろうと考えるこの時点で、すでに間違った方向へ進んでいるのですが、私は気が付かない。
ネットには様々なミニチュア家具を扱うショップがあるのですが・・・童話の中でウサギが使うようなトイレとか、格式ある英国調といったものばかり。
メルヘンチックでも、厳かでもない我がトイレに置いたら、浮きまくること間違いなし。
残念ながら、現代風のトイレはない様子。
やがて、ネット世界を彷徨ううち、ミニチュア家具のオーダーができるサイトを発見。
実際の部屋の写真をメールに添付してお金を払うと、それを縮小した小さな部屋を作ってくれるというのです。
これだっ。
と歓喜し、カメラを片手にトイレへ。
トイレの中央に立ち壁にカメラを向け、ファインダーを覗いた時ようやく私は冷静に。
このフツーのトイレを、わざわざ縮小して作って貰うほど私は気に入っているのか?
トイレの中にまったく同じデザインのトイレのミニチュアが棚にあったとして、どれだけの笑いが取れるのだろうか。
と、ここまで来て、自分がとんでもなく違う道を歩いていたことに気が付きました。
なぜ私はトイレの棚に小さな家具を置こうとしているのだったっけ? と振り返ると、そこに空いた板があるからでした。
もうここら辺になると「どーでもいーわ」といった心情になっていて、絵か花だなと思うようになりました。
やっとまっとうな思考になったことを祝いたいぐらいです。
絵を置くにはスペースが小さすぎるので、ポストカードにすることに。
どこかで買っておいたポストカードを飾り、一件落着。
なにかをする時に、ウケるだろうかとまずは考えてしまう癖を失くしたいと、痛切に思う次第です。
フードアレルギーがあると判明してから、色々なものを我慢する生活になりました。
大人ですから、食べたい欲望を抑えることはできています。
ただピザのテレビCMを見た時に、舌打ちをするぐらいです。
こうなってみて気が付いたんです。
私はピザが好きだったということに。
私のようにアレルギーのある人向けの食材を通販しているHPを見つけました。
そこには原材料名がきっちり表記されていて、個性のある品が並んでいます。
卵や牛乳、小麦、大豆といったアレルギー源となりがちな食材を使わずに、様々な工夫で作られたものばかり。
目に留まったのが、乳製品を一切使っていないとするチーズ。
おお、開発者の皆さん、サンキュー。
と天に向かって声を上げたくなりました。
牛乳も卵もチーズもNGの私は、もうピザは諦めなくてはいけないと思い、美味しそうな宣伝を目にする度、舌打ちするしかなかったのですが、このような天の助けがあろうとは。
早速購入し、ついでに焼き肉のたれも取り寄せてみました。
それがこちら。
まな板にのせ包丁をあてたところ・・・硬い。
予想以上の抵抗感。
ぐっと力を入れて、包丁を下ろそうとするのですが、なかなか下りていかない。
こんなに包丁を強く握ったのは久しぶり。
最後にこんなに強く握ったのはいつだったかしらと記憶を探りますが、思い出せないぐらい。
ここ最近はかぼちゃを買う時、カット済みのを選んでいるせいで、こんなに奥歯を噛み締めることがなかったんでしょう。
で、なんとかカットして、茄子の上にのせオーブンに。
ピザ生地がなかったので、まずは茄子のチーズ焼きにしようと考えたのです。
オーブンを覗くと・・・茄子はすでに焼き上がった色をしているのですが、チーズはカットした形状のまま。
まったく溶けていない。
しばし我慢してからオーブンの扉を開けて確認すると・・・茄子の一部は黒くなっていて、もういいタイミングを逸している状態なのですが、チーズは投入した時のままの状態。
高温に晒されながら何十分間も同じ状態でいられるというのは、根性があると褒めるべきなのでしょうか。
もしかするとチーズがとろけるというのは、乳成分がなせる技だったのか?
乳成分を使っていないチーズに、溶けるという行為を期待してはいけなったのか?
かもしれない。
多くを望み過ぎた私が悪かった。
と反省し、とにかく食べてみることに。
味は・・・?
チーズってなんだっけ? と大きな質問が浮かぶはめに。
私が子どもの頃から、アレルギーがあると判明するまでの間に食べてきたチーズという概念と大きく違っています。
ほかにこれと似た味がないので、こんな感じと表現することもできない。
それぐらい初めての味。
ただしばらく噛んでいると、ふわっと口の中に香るのはチーズの匂いなんです。
不思議です。
香りはチーズでも味は違うし溶けないので、これをピザ生地にのせても、新味のピザになることでしょう。
それでいいのか?
それが食べたかったものなのか? と己に問えば「違う」との答えが。
なんともビミョーな経験となりました。
メールの整理をしようと思い立ちました。
受信トレイや送信済みトレイに溜まっていて、いざ、あれはどうしたっけと過去のメールに目を通したい時、それを見つけるのにとても時間が掛かってしまう・・・といった状態に。
もしかすると皆さんは、その都度整理をしっかりやっているのでしょうか?
ずぼらな私は「そのうちに」という魔法の言葉を呟いてから放置。
が、「そのうち」は決してやってこない。
で、メールが溜まっていく。
意を決して整理を始めることに。
まずはメールを開き、削除するか保存するかを検討。
保存する場合は、分類してある各フォルダに移します。
そこでざっと過去のメールを読んでいるうちに気付いたのは・・・私は編集者とサッカーの話ばかりしているという事実。
原稿のことについて書いているものも、勿論ある。
が、その何百倍もの言葉で熱く語っているのが、サッカー。
バレーボールやフィギュアスケート、ラグビーなど、その時旬なスポーツに話題が変わることはあっても、それが文学に変わることはない。
そこで改めて打ち合わせの際の会話を思い出してみると・・・やはり多くの時間をスポーツにまつわる話に割いていることに気が付きました。
2時間の打ち合わせがあったとして、1時間30分ぐらいは四方山話。
その四方山話の8割ぐらいがサッカーなどのスポーツの話でした。
私はなにしてんだろう・・・と今頃になって反省。
友人にこの件を話すと、「その割に、ブログではスポーツネタはあんまり多くないよね」と鋭いツッコミが。
確かに。
スポーツの場合、思いが強過ぎて、始めたら終わらないぐらい延々に書き続けてしまいそうで、自らセーブしようとの意識があるのかも。
このブログでは、毎回なにか1つのことに絞って書こうと思っています。
そうはならないこともしばしばではありますが、あっちこっちいかない方が読み易いであろうとの考えによるものです。
ところが、スポーツには様々な要素があって、とてもじゃないが絞り込めない。
だって、スポーツは社会の縮図のようじゃないですか。
光の当たっている選手、当たっていない選手、華々しくデビューした新人がいて、出場機会が減ってきたベテランがいて、駄目だとわかっていても選手を鼓舞する監督がいて、黙々とサポートに徹するコーチがいて・・・ね、盛りだくさんでしょ。
とてもじゃないけど、ブログに書ききれない。
それで私は、その思いを編集者へのメールに書いてしまう・・・みたいですね。
よしっ。
これからは文学について語り合っちゃうよ、と編集者にメールを出そうとしてみたら・・・指がまったく動かない。
語れるほどのものが自分にないことに愕然としました。