登場人物の個性をどうやって決めるのか?
と、よく聞かれます。
身近にいる人をモデルにするのか?
とも聞かれます。
現実に存在する人をモデルに、小説の登場人物を書いたことは一度もありません。
すべて空想から生まれたキャラクターたちです。
そもそも小説を書こうとする時、まず登場人物を考えるのか、それともストーリーを先に考えるのか?
という質問もよく耳にします。
どちらのケースもあります。
「手の中の天秤」では、最初に決めたのは設定でした。
物語の世界設定を決めた後、ストーリーを考えました。
大まかなストーリーが頭の中に浮かんだ後で、キャラクターを考え始めました。
主人公の性格はすぐに決まりました。
大学を卒業したばかりで、社会人になったばかり。
これからに期待する一方で、これが望んでいた生活だったのかと迷いも浮かんだり。
真面目でちょっと小心者で、心根は優しい。
これに対して、主人公の職場の先輩となる人物をどういう性格にするのかは、なかなか決まりませんでした。
主人公の側にいるキャラクターはとても重要で、作品を生かすも殺すも、この脇役がどれだけ魅力的かに掛かっています。
そうわかっているからこそ迷いが生まれ、なかなか決断できずにいました。
完璧な先輩?
優しい先輩?
恐い先輩?
頑固な先輩?
気の弱い先輩?
俺の背中を見ておけといった、孤高の先輩?
性格が歪んでる先輩?
・・・あれこれ考えているうちに、ふと浮かんだのは・・・ちゃらんぽらんな先輩でした。
新人がどう接したらいいか困るのは、ちゃらんぽらんな先輩ではないかと思ったのです。
特に真面目な性格の新人君からしたら、いい加減な先輩の言動は理解できないし、腹も立つし、でも言えないしで、ストレスの溜まる毎日になるのではと考えました。
それこそが物語を前に進める力になるのではと、ちゃらんぽらんな先輩を採用することにしました。
「手の中の天秤」をお読みになった方が、この脇役の採用は成功だったと思ってくださったら嬉しいのですが。
リオで行われていたパラリンピック。
ご覧になりましたか?
私はLIVE観戦が難しかったので、録画をネットで観ました。
オリンピックより競技数が少なく、出場選手も少ないため、規模を比べてしまえばこじんまりとしていますが、そこで生まれる感動の大きさはまったく引けを取らず、何度ももらい泣きをしてしまいました。
パラリンピックの特徴といえば、障害によってクラスが細かく分かれていることですよね。
チーム競技の中には、障害によって選手にそれぞれのポイントが与えられていて、チームで〇点以下にしなくてはいけない・・・といったルールがあるということも、今回初めて知りました。
公平さを皆で一生懸命考えて生み出したといった感じのルールですよね。
競技によっては「もう少し柔らかいボールにしたらいいのに」とか「〇秒以内に投げなくちゃいけないって、ちょっと早過ぎない?」といった感想をもったりもしましたが、スポーツっちゅうもんには大抵無理も含まれているので、しょうがないと思うしかないのだと自分に言い聞かせました。
どれも夢中で応援しましたが、特に力が入ったのは柔道。
視覚障害のある選手たちなので、組んだ状態からスタート。
それまでオリンピックなどで見ていた柔道では、なかなか組めない。
自分に有利な組み手にしたいし、相手に有利な組み手にはさせたくないしで、この組み手争いに結構な時間が割かれる。
素人からすると、襟元を手で擦っているように見えるばかりで、柔の道はそれでいいのかと思ってしまう。
それがパラリンピックの柔道だと、審判の前で互いに組み合い、そこからスタートするのでまさに力の勝負。
と、応援するこっちもずっと身体に力が入っている状態になるので、観戦後の疲労がハンパない。
この柔道で銅メダルだった選手のお母さんが、試合をテレビ観戦している様子がスポーツ番組で流れました。
金メダルを取れずに涙を流す息子を見て、「泣くな。胸を張れ」と画面に向かって声を掛けている母ちゃんの姿に、ぐっときました。
こうした選手たち全員が、恵まれた環境にいるようには思えません。
恵まれた環境を用意して貰えているのは、オリンピック選手であってもごく一部。
マイナーな競技ではスポンサーがつかず、厳しい環境にいます。
こうしたことから想像するに、パラリンピック選手も恐らく厳しい環境の中、いろんなことを遣り繰りして出場しているのだと思います。
彼らの環境が改善され、東京オリンピック・パラリンピックで最高のパフォーマンスが発揮できるようにと願っています。
選手の皆さん、サポートスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
そして、たくさんの感動を有り難うございました。
発売されたばかりの文庫「手の中の天秤」。
読んでいただいたでしょうか。
それともこれからでしょうか。
この小説を執筆したのはおよそ5年前。
文庫化するにあたり、5年前に書いた原稿を改めて読み直し手を入れます。
この作業は精神的には結構しんどい。
昔の自分とがっぷり四つに組まないといけないから。
作業にあたり、まずテーマ音楽をなににしていたっけとリストをチェックします。
1つの作品に1つのテーマ音楽を決めて、執筆中ずっとその音楽を聞き続けるのが私のスタイル。
が、5年経ち、なにを聞いていたか忘れていたので、メモっていたリストを調べます。
リストにはJUJUの「Request」と書いてありました。
カバーアルバムです。
「Hello,Again」「ギブス」「WHITE LOVE」「First Love」・・・などの名曲をJUJUが歌っています。
パソコンにCDを入れて音楽に耳を傾けると・・・たちまち作品世界が蘇ってきます。
どんな色合いの世界だったか、どんな登場人物たちだったかを思い出します。
それは以前馴染みのあった場所へ行き、懐かしい人に再会したような感覚。
音楽の力を借りて原稿を読み、手直しをしました。
小説「手の中の天秤」では、現実とは少しだけ違う世界を描いています。
そこは「執行猶予」の捉え方が現状とは違っている世界。
「執行猶予」は加害者が自分の犯した罪を反省する期間とされています。
また執行猶予期間中の加害者の反省具合を、遺族や被害者がチェックできるというのも現実とは違う点です。
半年ごとに提出される、加害者の日常報告。
そこになにが書いてあったら、遺族や被害者は満足するのか。
この制度が遺族や被害者の哀しみを減らすのか。
執行猶予期間が終了した時、加害者を刑務所に入れるか、入れないかの判断をするのは遺族や被害者。
どんな決断をしたら心の痛みが減るのか・・・。
登場人物たちと一緒に、いろんなことを感じて欲しいと思っています。
自宅で10分の空き時間が出来たら、なにをしますか?
10分ってところがミソですよね。
これが20分だと、そこそこ時間があるので、なにか1つ用事をこなせそう。
もし5分だったら、なにもしないうちに時間は消えてなくなる。
しかし10分だと・・・ぼんやりするにはちょいと長くて、でもなにかするには足りないような、そんな時間。
ゲームをするとか、ネットでニュース検索する・・・なんて人が多いんでしょうかね。
私はこんな時、辞書を開きます。
我が家には広辞苑がありまして、この厚さ8.5センチの辞書をテキトーに開きます。
で、読んでいく。
あぁ、すっかり使わなくなったなぁなんて懐かしい言葉と出合ったり、なんすかそれ? という未知の言葉と出合ったり。
結構楽しい。
辞書ではなく、星新一さんの本を開くこともあります。
星さんが発表されたショートショートの全集をもっていまして、こちらは一冊が広辞苑より厚みがある本の三冊セット。
この中に1001編の作品が収載されています。
人間のおかしみにくすっと笑ってしまったり、業の深さに胸がしーんとなったり・・・星さんのショートショートでは、登場人物を奇抜な設定に置いてはいても、描いているのは人間そのもの。
だからこそ不朽の名作ばかり。
今は長い小説を読んで貰うのはなかなか難しくなっています。
作家としてはどっぷりと1つの作品世界に浸って欲しいのですが、現代人は忙しく、また興味の対象も多い。
だから短時間で面白さが味わえる、数分にまとめられた動画が人気に。
そんな現代人に、星さんのショートショートは合っているように思います。
星さんのショートショートを入口として、小説の面白さに気付いて貰って、ほかの作家の作品への興味に繋がっていってくれたら嬉しいのですが・・・。
先日のこと。
来客のためかる~く仕事場を掃除して準備。
と、約束の時間まで10分ほどある。
で、星さんのショートショートを読み始めたら・・・夢中になってしまい、チャイムが鳴ってはっとしました。
お客さんがいらっしゃる前にトイレに行き、顔の脂を取って身支度をするつもりだったのに、時すでに遅し。
このように夢中になり過ぎて、次の予定に支障をきたすこともありますが、充実した10分であったことは間違いありません。
こんな空き時間の活用、どうでしょう。