文庫「手の中の天秤」が発売になります

  • 2016年09月08日

文庫「手の中の天秤」が発売になります。
9月10日頃から書店に並び始める予定です。
p1010643
単行本版とは装丁が変わりました。
濃い感じの仕上がりになったと思うのですが、いかがでしょう。
人生の奥深さ、濃さを表しているかのようでしょ?

「手の中の天秤」では悲劇に見舞われた人々を描いています。
悲劇とどう向き合うのか、どう乗り越えるのか、乗り越える必要があるのか・・・そんな難しいテーマに挑戦した作品です。

執行猶予期間中は加害者が反省する期間・・・と捉える世界の物語です。
それは執行猶予被害者・遺族預かり制度と呼ばれています。
裁判で有罪の判決が出て執行猶予が付いたら、その間の加害者の生活状況が担当係官によって調査されます。
そのレポートは、係官から被害者や遺族に届けられます。
加害者がどんな生活を送っているのかを知らされた被害者や遺族は、なにを思うのか。
どういうレポートだったら満足するのか、心の傷みが減るのか・・・新人係官が戸惑いながらも様々なケースと向き合っていきます。

執行猶予期間が終了する時、加害者を刑務所に入れるか、入れないかを決められるのは、被害者と遺族。
どんな決断を下すのか、またその際にレポートが果たした役割はなんだったのか・・・読者の皆さんに見届けていただきたいと思っています。

小説を書くという仕事の中には、登場人物に感情移入しながら書く作業と、少し距離を置いたところから眺めて推敲する作業の2種類があります。
役者さんと監督さんの2種類の仕事があるといった方が、わかり易いでしょうか。
まずは自分がその登場人物になりきって言葉を発し、心を動かす作業。
そうして書いたシーンを「いや、そうじゃなくて、突然立ち上がってから、指を相手に付きつけて大声でセリフを言ってみようか」とやり直しをさせる作業。
これを交互に行って書き進めていき、1つの小説が出来上がります。

「手の中の天秤」ではこの2つの作業の切り替えが難しかった。
どの登場人物も悲劇を経験しているので、その人物になりきった時の、心の荒れ様がしんどかった。
それだけでも充分しんどいのに、今度は監督の立場でダメ出しをしなくちゃいけない。
今のはもっと感情を内に秘めてやり直し、なんて思っちゃう。
もう一度登場人物の辛い気持ちにすぐには入れなくて、お茶を飲んだりします。
一服して覚悟を決めてから、登場人物に再び侵入していく。
この繰り返しは、こちらの心身に負荷が掛かります。
途中で放り出さず、なんとか最後まで彼らに寄り添えたのは、それが彼らを生み出した私の責任だと思っていたからでしょう。

ぜひお手に取ってみてください。

走り方が

  • 2016年09月05日

電車の中でなにをしていますか?
ここ数年、スマホを弄っている人を見掛けることが多くなりました。
私は電車内で取り出すことは滅多にない。
車内にいる人をちらちら見たり、会話を盗み聞きしたり、中吊り広告を眺めたりしています。
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先日電車のシートに座っていた時のこと。
電車が駅に停車し、乗客が降り、乗ってくるのを眺めていました。
発車ベルが鳴り出します。
と、階段を駆け下りてきたオッサンが、猛ダッシュで電車に向かってくる。
それが、女の子走り。
全然速くない。

フツー走る時は、肘を曲げた状態で腕を前後に動かして足を連動させます。
では女の子走りはどういうのかというと、肘を曲げた状態は一緒なのですが、腕を前後には動かさず、肘を支点として手を左右に動かす走り方。
前に行きたいのに手を左右に動かしちゃうので、スピードを上げるどころか、むしろ走りを邪魔しちゃう。
運動下手な女の子の典型的な走り方。

これをオッサンが必死の形相でしてる。
オッサンは奇跡的に電車に飛び乗ることに成功し、ドアが閉まりました。
肩で息をするオッサン。
「アンタ、それほど速くなかったからな」と私は心の中で声を掛けました。
このオッサン、そっち系ではなさそうな佇まい。
なのに女の子走り。
飛び乗ることに成功したせいか、ちょっとした達成感と満足感を漂わせています。
女の子走りだったくせに。
見れば、結構仕立てのいいスーツを着ている。
そこそこの収入がある人なのでしょうか。
女の子走りだったけど。
靴をチェックすると、イタリアの高級ブランドの物っぽく、結構なオシャレさんとお見受けする。
女の子走りだったけど。

走っていた時の姿が思い出されて、私の顔はにやついてしまいます。
が、辺りを見回せば・・・スマホ画面を見つめている人ばかり。
オッサンの女の子走りを見た人は私だけの模様。
なんて勿体ないことでしょう。
電車の中には様々な人がいて、びっくりすることもしばしばです。
車内で見掛けた人やエピソードをアレンジして小説に使うこともあります。
今日もなにかないかと、私は電車の中できょろきょろします。

靴下の片方を

  • 2016年09月01日

洗濯物を取り込んでいました。
干していた洗濯ネットを洗濯バサミから取り外したところ、ちょいと重い。
ん?
と、中を見てみると・・・靴下の片方が。
私は洗濯物を干す時、まず洗濯ネットを洗濯バサミで留めます。
そしてそのファスナーを開けて、中に入っている靴下を取り出しちゃ、洗濯バサミに挟んでいきます。
そこで、片方を取り出し忘れちゃったんでしょうね。
しょっちゅうではないけれど、そこそこあるミステイク。

友人に話したら、目を真ん丸にされてしまいました。
どうして気付かないのと彼女は言います。
小物を干すハンガーには色々な大きさやデザインがありますが、大抵洗濯バサミは偶数個付いていると。
右足と左足の靴下は、隣り合った洗濯バサミか、辺の両端か、一対として干していくものだから1つだけ洗濯バサミが余った時点で気付くはずだと。
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今度は私が目を丸くする番です。
私はこれまで靴下の右と左の相棒同士を、対にして干していなかった。
洗濯ネットから取り出した靴下を、順に洗濯バサミに吊るすだけ。
靴下以外の小物もあるため、干し終わった時、洗濯バサミが偶数個余っていようが、奇数個余っていようが気にしたことがない。

私は尋ねました。
1足の靴下をセットで干していくのは何故なのかと。
すると彼女は、その方が気持ちがいいからと答えました。
なんと。
人の心というのは、こんなにも違うものなんですね。
洗濯物を干す時メンドー臭いと思うことはあっても、そこに気持ちの良さに繋がるものを見つけたことは一度もありませんでした。
こんな私は少数派でしょうか。

この件以来、街で洗濯物が干してあるのを見掛けると、靴下の配置をチェックするようになりました。
まだ調査数は少ないものの、私が少数派であることは間違いない雲行き。
ごくたまに私のように自由奔放に靴下が干してあるのを見つけると、同志を確認できた喜びで顔がにやけます。

ティッシュペーパーの謎

  • 2016年08月29日

鼻に難がありまして、1年中トラブルと死闘を繰り広げています。
鼻が詰まったり、逆に洟が滝のごとくになったりの毎日です。
このような事態ですから、当然のことながらティッシュペーパーにはお世話になっています。
常に5箱は在庫としてキープしてないと、心配でしょうがない。
狭い我が家のあちこちに配置し、すぐにティッシュペーパーを鼻に当てられる状態にしています。
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来客者が座る場所においてあるティッシュペーパーだけ、ケースに入れてあります。
これが茶色。
で、この茶色のケースに白い微小な粉のようなものが溜まる。
最初は部屋に漂っている埃が溜まっているのかと思ったのですが、どうもティッシュペーパーを引き出す時に白い微小な粉が舞い、それが付着している模様。
なんでしょうね、これ。
売られているままの紙製の箱からティッシュペーパーを引き出して使っている時には、それらは大抵白いので粉が見えない。
が、白い粉が出ていないわけではない。
見えないので、気にならないだけ。
が、茶色のケースに溜まる白い粉を見ると・・・結構な量です。

アレルギー体質で鼻が敏感になっているからこそ、ティッシュペーパーのお世話になっているのに、そのティッシュペーパーに微小な粉が付いているとしたら、それを吸ってまた鼻が刺激されてしまうのでは?

これ、思い当たる節があります。
ティッシュペーパーで1度チーンとすると、またすぐにチーンとしたくなる。
で、チーンを繰り返すはめになり仕事が滞る。
チーンして、『お世話になっております』とキーボードを打つと、また催すのでチーンして、『先日は』と入力し、チーンして、『長時間お付き合いいただきまして』チーン『どうも』チーン『有り難うございました』チーン・・・メールを1つ書く間に、数えきれないほどのチーンをすることに。
これはティッシュペーパーに付いている白い粉のせい?
だとすれば、白い粉はティッシュペーパーメーカーの策略?

鼻にトラブルを抱える民よ、立ち上がれ。
白い粉が舞わないティッシュペーパーが誕生するよう、メーカーに開発を求めようではありませんか。

と、一人の友人を思い出しました。
同じように鼻にトラブルを抱えていて、私が小結だとすると、彼女は横綱クラス。
白い粉の陰謀について私が自説を披露すると、そんなことは何年も前に気付いていたと言われてしまいました。
彼女はティッシュペーパーでチーンするのを止め、ハンカチでチーンすることにしたそうです。
海外の映画で時折見掛けますね、ハンカチでチーンする人。
で、ハンカチだとチーンの連鎖には陥らないと彼女は言います。
ってことはやはり白い粉が犯人なのでしょうか。
詳細は不明ですが、取り敢えず今度はハンカチでチーンしてみようと決意。
数日後、その時が到来。
一瞬ティッシュペーパーに伸びた手を慌てて引っ込め、クローゼットからハンカチを取り出して・・・チーンした後のハンカチはどうするのか? といったことに気が付きました。
ハンカチを使い捨てにはできません。
手洗いなんてシチメンドー臭いことは嫌なので、ほかの洗濯物と一緒に洗濯機でということになる。
なんだろう、この抵抗感。
思考がストップしている間にも、洟は滝のごとくで、気が付けばティッシュペーパーを引き抜いていました。
まんまとティッシュペーパーメーカーの謀略に乗せられているのでしょうか?

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