外国語を勉強するのが好きな友人がいます。
仮にA子としておきましょう。
A子と久しぶりに会うと、まず「今なに語を勉強してるの?」と聞きます。
それぐらい常に外国語を勉強している。
ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語・・・ほかにもあったかも。
ある日、そうだ、ドイツ語を習おうと思うらしいのです。
それでA子はどうするかというと、学校の選択に入る。
自宅からのアクセスがよくて、希望する時間帯のレッスンがあって、評判がいいところを探す。
そして通い出す。
ここまでが非常に短い。
あっという間に調べて決断しちゃう。
新しいことを始める前には「やっぱりどうしよっかなぁ」とか「続けられなかったら授業料が勿体ないしなぁ」といった誰しもが立ち止まりがちなポイントがあると思うのですが、A子はそういうものをひとっ跳びする。

そして週に1回通い出す。
1年もする頃には、そこそこ喋れるようになっているっぽい。
「ぽい」というのは、私にはA子の力量がわからないから。
やがて度胸試しだとか言って、その言葉を使っている国に旅行に行く。
帰って来ると、その旅行中に撮ったという画像を大量に見させられる。
これ、見させられる方は結構メンドー臭い。
できれば編集して、5分ぐらいにまとめて欲しい。
300枚を超える写真を見るのは、友情があっても結構苦行。
芸術として見られるくらいの素敵な写真ってわけじゃない。
観光地でのピースポーズや、テーブルに並ぶ料理を撮った写真ばかりを300枚はキツイ。
しばらくするとA子には新しい友人ができている。
習っていた言葉を母国語とする友人。
どうやって知り合うのか不思議なのですが、友人ができている。
そしてホームパーティーに誘われたり誘ったりする仲になっている。
誘われた私がA子の家に行くと、グローバルなことになっていたりする。
でもA子はこれで満足しない。
ある日、そうだ、イタリア語を習おうと思う。
そしてドイツ語を習おうと思った時からの出来事を、イタリア語バージョンで繰り返す。
私はやがて訪れるであろうイタリア旅行時の大量の写真を見る苦行に思いを馳せて、吐息をこぼす。
予想通りその日はやってきました。
こうしてたくさんの言葉を学習していくA子は、出身国も年齢も様々な友人をたくさん作り続けています。
こうした生活がA子を変えたのか、それとも元々だったのかはわかりませんが、彼女はとても人生を楽しんでいます。
数人集まると愚痴ったり、人生を呪ったりする話が出るのが多いもんですが、A子からそうした類の話が出たことはありません。
毎日が凄く楽しそうでキラキラしてる。
友人らからたくさんの刺激を受けているせいでしょうか。
人としての魅力をどんどん増していくA子。
恰好いいと思いますし、憧れちゃいます。
素敵な友人がいてよかったと思います。
大量の写真を見させられることを除けば。
一人で仕事をしています。
秘書もスタッフもいないので、すべて自分でこなさなくてはいけません。
結構な量の事務仕事があります。
それは確認して返事をしなくてはいけないものや、書類にサインをして提出しなくてはいけないものなど色々。
時にはなんの連絡もない人に、例の件はどうなっているのかと催促したり、これこれをお願いしたいと発注したり・・・なんだかんだとあります。
気が付けば、事務仕事に忙殺されまったく執筆しなかった・・・なんて日も。
執筆時間がゼロだった日の心のうちを、どう表現したらいいのか。
凄く不安になります。
焦りも浮かんできます。
たった一日仕事が遅れたからといって、どうってことないと頭ではわかっているのですが、気持ちはそうは思わない。
アスリートが練習をサボった日、私と同じような気持ちになるんじゃないでしょうか。
三年後に振り返れば、たった一日の休みは大勢に影響はなかったとわかるのかもしれませんが、その時にはこれがなにかの差になって、結果として現れるのではないかと考えてしまうのです。
敢えて言えば、すんごく嫌な気分。
解決策はないもんかと考えた結果、時間割を作成することに。
メールチェックをする時間を、1日の一定の時間に1時間と決めました。
その時間にだけメールを開き優先順位を付けて、返信していきます。
1時間経った時まだ返信できていないメールについては、緊急性のあるものではないことを確認した後、翌日のメールチェックタイムに持ち越しとします。
こういうタイムリミットを自ら作ると、そういう制約がない時よりちゃっちゃとやろうという意識が働くのか、スピードが上がります。

こうして時間割を作ることで、事務仕事が執筆の時間を侵食する事態は避けられるようになりました。
執筆の時間を確保することができたのです。
これは精神的に落ち着けます。
だからといってすいすいと執筆が捗るとはいかないのですが、とにもかくにもパソコンの前に座り、物語の世界にいる時間をきっちりと取れるのは嬉しいことです。
そして改めて気付かされました。
私は小説を書くことが好きなのだと。
昔々猫を飼っていたそうです。
そうですと伝聞形にするほど、まだ私が幼い頃の話です。
唯一覚えているのはその猫の重さ。
私が寝ていると、何故か猫はその掛け布団に上りたがった。
そして私の掛け布団の上でくつろぐのです。
幼い私は「お、重い」と苦しみを感じながら起きる。
すると猫と目が合う。
こうした記憶が残っています。
元々は家にいたネズミを捕って貰おうと買い始めたらしいのですが、いざ対面すると、猫の方が逃げ出したという逸話を残しています。
小学生から中学生にかけて、インコを飼っていました。
雛から育てたのですっかり懐いていて、自宅内で放し飼い状態でした。
ペン先が好きで茶の間で字を書いていると、そのペン先を執拗に追いかけてきました。
すっかり邪魔をされて字が書けないぐらい。
なにか書きたい時は、インコを籠に入れてからにするか、手でペン先を隠すかのどちらかにするしかありませんでした。

ペン先がなんといっても一番でしたが、傾向として光る物が好きだったのかもしれません。
飴の包み紙も好きでした。
裏の銀色の部分がお気に召したようで、渡すと狂喜乱舞。
その銀色の包み紙の上でダンスダンス。
自分が包み紙に載っているのに端を引っ張るもんだから、足元が不安定になり、ずるっと滑ってコケるという一羽コントを披露してくれました。
そのインコが風邪を引いたことがありました。
クシュンと人間と同じようなくしゃみを繰り返すので、もしかしてと病院に連れて行ったら、風邪薬をくれました。
それが粉薬でどうやら苦い模様。
粉薬を溶かした水を飲もうとしない。
しょうがないので、首根っこを摑み水入れに嘴を付けるのですが、羽をバタバタさせて必死で抵抗してくる。
そうしている間にもクシュンを連発している。
どうしたらいいのかと考えました。
これはやはり、好きな物に夢中になっている時しかないだろうとの結論に。
テーブルに銀色の包み紙を置き、インコを呼び寄せます。
早速インコは喜び包み紙の上でダンスダンス。
そこへ銀色のスプーンを差し出します。
そこには粉薬を溶かした水が載っています。
光ってる物が2つも出てきた興奮からか、喜んでスプーンをつつき出しました。
が、苦みに気付いて体を固まらせる。
ここでただの水を乗せたスプーンを反対方向から差し出す。
用心したインコが後ずさりする。
でも強引に嘴に近づけると、恐々とながらもつつき出す。
なんだ、ただの水かと安心して飲む。
油断したところで、粉薬を溶かした水を載せた方のスプーンをもう一度差し出すと、インコはごくんとそれを飲んでしまう。
あっという顔をするインコ。
私は銀色の包み紙を少し引っ張り、ほら、あなたは今幸せの真っただ中にいるのだよと思い出させてあげる。
するとインコは、そうだったそうだったとダンスを再開する。
これを繰り返して、なんとか風邪薬を飲ませることに成功。
2、3日後にはくしゃみをしなくなりました。
インコとの薬飲ませ対決は、私の勝利で終わったのでした。
友人A子が「フラダンスを習い始めたの」と言いました。
運動はしたいけれど激しいのは無理。
ジムでひたすらマシンを使いながら「1、2、3・・・」と数を数えるような運動なんて絶対長続きしない。
と思ったA子はフラダンスを選択したそうで。
とっても楽しいの~と明るい声で話していました。

ところが次に会った時には、人間関係がメンドーでもう止めたいと一気にトーンダウンしていました。
なんでも数か月後に発表会があるそうで、初心者のA子は集団で踊るチームに参加が決まったとのこと。
端っこで皆の足を引っ張らないよう頑張ろうなどと思っていたそうなのですが・・・。
先生が作った振り付けでは、上手くて若い人がセンター。
これが古参の生徒たちには気に入らない。
かといって先生に文句は言えない。
ということで、古参の生徒たちはセンターの人にメラメラと嫉妬心を燃やす。
気が付けば2つの派閥が出来ていた。
古参の生徒たちVSセンターの人とそれを応援する人たち。
A子は教室に参加して日が浅いせいで、どちらにも所属しない無所属というポジションに。
が、レッスン終了後には、ロッカールームでどちらの派閥からも「お茶でもいかが?」と誘われてしまう。
そういう争い事とは距離を置きたいA子は、どちらにも参加しないことで無所属を貫こうとしたそうなのですが、それはそれで結構大変なんだそうです。
振り付けは先生がするのですが、衣装は生徒たちが意見や希望を言えるらしく、その打ち合わせでは、永遠に終わらないのではないかとA子は思ったそうです。
それぐらい紛糾した。
「舞台では派手な衣装を着ないと」と古参派が言えば、「これはあまりに下品じゃないですか」とセンター派が指摘する。
「これは下品じゃなくってよ。華やかというのよ」と古参派が反論すれば、「これじゃ衣装に目を奪われて、踊りを見ていただけないのではないでしょうか?」とセンター派が意見を述べる。
そして夜は更けていく・・・といった具合だったそうです。
発表会のその日、私は見学に行きました。
古参が勝ったのでしょう。
ド派手な衣装に身を包んだ友人が、端っこの方で踊っていました。
見事だったのは、全員が200%の笑顔で踊っていたこと。
派閥間の軋轢とか確執とか、そういったものを一切出さずに。
事情を聞いていなければ、チーム一丸となって頑張りましたといった風に、私は受け取ったことでしょう。
が、事前に話を聞いていたため、その皆の笑顔が私には少々怖かった。
習い事をするのも大変ですね。