2020年はどんな年でしたか?
コロナに翻弄された1年だったと答える方が、ほとんどなのでは。
私は自宅で執筆をしているので、元々が引き籠り生活。
それでも打ち合わせや会食などがなくなり、生活スタイルは変わりました。
友人らとも直接会うことがなくなりました。
そんな生活を続ける中で、改めていろんな人に感謝するようになりました。
病院で患者さんと共に闘う医療スタッフの皆さん。
感染を食い止めようと働く保健所の皆さん。
感染者を出さないよう努力を続ける、介護施設の皆さん。
こんな状況下でも、スーパーの営業を続けてくれているお店の皆さん。
このような時期であっても、いつも同じ時間にゴミを収集しに来てくれるスタッフの皆さん。
電車を動かしてくれている皆さん。
荷物を届けてくれる皆さん。
書き出したらきりがないくらい、大勢の人たちに感謝をするようになりました。
そしてこうした様々な人たちの手を借りて、暮らしていたのだということに気付かされました。
本もそうです。
たくさんの人が諦めずに頑張ってくれたお陰で、今年も本を出版することが出来ました。
有り難うございます。
コロナ過で生活スタイルが変わり、本を読む人が増えたようです。
今年はどんな本を読みましたか?
物語の世界に浸るという素晴らしい体験を、たくさんの人が楽しんでいたらいいなと思います。
仕事以外で掲げていた今年の目標がありました。
それは囲碁で人間と対局するまで、レベルを上げるというものでした。
これは残念ながら実現せずに終わりました。
ソフト相手に全然勝てず、気持ちがどんどんささくれ立って、なんでこんな嫌な気持ちになってまで囲碁なんかしてるんだろう、といった疑問さえ抱く始末でして。
もう止めちゃおうかな。
と、100回ぐらい思いました。
来年も囲碁を続けているか・・・かなり怪しい。
継続は力だというけれど、囲碁だけは別のような気がしています。
皆さんも、そして私も、来年は平和に穏やかに暮らせますように。
そしていい1年だったねと振り返れますように。
受験生の皆さんは、今、大変ですね。
例年大変だとは思いますが、今年は特にコロナがあるため、様々な制約の中で、不安を抱えながら受験勉強をしているのではないでしょうか。
私が受験をしたのは小学六年生の時だけ。
これまでの人生で私の学力のピークは、小学六年生の時だったと言い切れるほど、勉強していました。
親からも、塾の先生からも、家庭教師からも、答案用紙が配られたら、まず自分の名前を書くことと、耳にタコが出来るくらい何度も何度も言われました。
そんなことと思うかもしれないけれど、名前を書き忘れる人が必ずいるのよと、大人たちは言っていました。
試験当日。
この指示を守り、まず名前を書いたことを覚えています。
あと覚えているのは後ろの席の人からきた答案用紙に、自分のを加えて前の席の人に渡した途端、ぐぅっと私のお腹が鳴ったこと。
緊張している時は鳴らなかったのに、終わったと思った途端、ぐぅっと鳴って、ちょっと笑っちゃったことを覚えています。
塾では成績順にクラス分けがされていました。
私は一番上のクラスには入れず、二番目か三番目ぐらい。
いつも一番上のクラスにいた女の子が、受験したすべての学校に落ちたと知った時、びっくりしたのも覚えています。
試験の前日に風邪を引いてしまったそうで、高熱が出ている中での受験だったとか。
そうか、そういうことで実力があるのに、不合格になってしまう場合もあるんだなと、子ども心に「人生の不条理」というものを感じました。
その子は地元の区立中学校に進学しました。
その後の彼女がどういう人生を送ったのかは不明ですが、きっと本来の実力を発揮して、人生を切り開いていったのではないかと想像しています。
人生の中には受験のように、合格か不合格か、判定を下される経験をしなくてはいけない時が訪れます。
精一杯やったのならば、願っている通りの結果にはならなくても、それまでのすべてがあなたの糧になっているはず。
だから上手くいかなかったとしても、へこむ必要はありません。
これから受験をしようとしている人に、不合格だった時のアドバイスをするのも変な話なのですが、あんまり肩に力が入り過ぎていると、上手くいくものも、いかなくなるってもんですからね。
ダメでも次があるぐらいの気持ちで頑張って欲しいなと、人生の先輩としては思うのです。
どうしても行かねばならない予定が入りました。
指定された時間に到着するには、午前8時半頃に自宅を出る必要があります。
電車が一番混んでいる時間帯です。
在宅勤務者が増えている今、電車の混雑ぶりはどの程度になっているのかは、わかりません。
ラッシュ時の電車に乗るにはコツが必要。
この駅で多くの人が降りるとか、このドア付近は比較的空いているとか、そういったことを、何度も経験していくうちに、自分なりの乗り方を見つけていくもの。
ラッシュ時に初めてその電車に乗るような場合には、こうしたコツをもっていないので、結構大変な目に遭ったりします。
そこで今回はタクシーを選択。
いつもは自宅から1分ほど歩くと、大きな道路に出るので、そこでタクシーが来るのを待ちます。
しかし寒い。
そういう時に限ってタクシーというのは、なかなかやって来ないものなのです。
そうだ。配車だ。
と、思い付き、配車を依頼することに。
どうやって配車を頼むべきなのかを調べてみたら・・・アプリをダウンロードすると、便利らしいとわかる。
アプリをダウンロード。
皆さんにとっては便利かもしれませんが、私にとって「アプリのダウンロード」という単語は、「役所に提出するようなややこしい書類を10枚作れ」と言われているのと同じくらい、ハードルが高い。
それでもやるしかないのよと自分に言い聞かせて、スマホでダウンロードしてみました。
何度も「んがー」と叫びながらも、希望する時間に自宅前にタクシーに来て貰うために、いろんなことを入力していく。
そして「予約をする」をぽちっと押す。
と、ご指定の時間帯は混雑しているので、ビジーチケットを購入してくれとメッセージが。
なんだそれと思いながらページを進んでいくと、実際に車に乗った分の料金と配車料金の他に、980円のビジーチケット代が掛かるとの説明が書いてある。
980円。
寒い中、タクシーが来るのを、まだかまだかと苛々しながら待つのは辛い。
この辛さを980円払えば体験しなくて済む。
でも、ちと高い気が。
どうしようかと迷いましたが、1度チャレンジしてみようと決心し、ビジーチケットを購入するのところをぽちっとして、予約作業完了。
当日、時間ぴったりにマンションの1階に下りたら・・・スマホに連絡が来ていた車体番号のタクシーが、真ん前に停まっていました。
運転手さんはすでに私の行き先を知っていて、スイスイと車を走らせます。
目的地に到着し支払いはどうしたらと聞いたら、ネット決済となっていますから、なにもせずに結構ですと言われました。
おお。
なんて楽ちんなんでしょう。
なんとかギリギリで世の中についていけている感じも、少し嬉しい。
しばらくこの配車アプリにお世話になりそうです。
大学生の頃スキーに行くためのお金を稼ごうと、アルバイトをすることに。
1日単位で働ける短期のバイトを探したところ、店舗での試食販売員の仕事を見つけました。
日給がいくらだったのかは覚えていないのですが、翌日には振り込んで貰えるので、そこで働くのを決めた記憶はあります。
私が派遣されたのはスーパー。
そこで新商品のヨーグルトを試食して貰い、買って貰うのが仕事。
売り場の主任に挨拶をすると「元気よく、試食はいかがですか? とお客さんに声を掛けてください」と指示をされる。
そこで「試食はいかがですか? 新商品のヨーグルトでーす」と声を張り上げましたが、やがて気付きました。
声を出すことで、あそこに試食販売員がいると遠い場所から知られてしまい、それによってお客さんは、私を避けるように回遊しているという点に。
まぁ、たとえ1個も売れなくても、私の日給が減る訳ではないのですが、なんとなくそれはマズいような気持ちもある。
やがて子どもとは100%の確率で、目が合うという点に気付きました。
売り場にぽつんと立っている私に気付くと、すべての子どもはガン見してくるのです。
だから目が合う。
大人たちが買わされたり、声を掛けたりしないように、目を合わないようにしているのに比べて対照的。
そこでガン見してきた子どもの目を見て「食べる?」と試食の容器を差し出すようにしました。
これに対する子どものパターンは2つ。
こくりと頷いて私に近付いて来る子。
「ママー」と、ママにあの人の誘いにのってもいいかと確認する子。
この2つ。
どちらの場合でも母親は「まぁ、それじゃ」と私に近付いて来るケースがほとんど。
そうすると私は子どもに容器を差し出し、更に母親にも渡す。
そして私は子どもに尋ねます。
「美味しい?」と。
「うん」と子どもは答えます。
これ、100%の確率でした。
知らない大人からどうぞとタダで食べさせて貰った子どもは、美味しいかとの問いに、必ずうんと答えると知りました。
子どものお墨付きを貰った私は、母親の説得に入ります。
有名なメーカーの新商品であること、賞味期限が3週間あること、特別安くなっていることを。
矢継ぎ早にいい点を繰り出して、母親が断る理由を思い付けないようにしてしまう。
「じゃあ、買うわ」と言って、買い物籠に入れてくれる確率はかなり高かった。
これはすべて子どもの「うん」のひと言があってのこと。
この「子どもを先に落とす作戦」が功を奏して、ヨーグルトはどんどん売れ、夕方になる前に完売。
売り場の主任から「あなた、うちで働かない?」と誘われた時には、驚きました。
子どもが大人に気を遣って生きていると知った一件でした。