シェフの舌

  • 2021年06月03日

フリーライター時代のこと。
その日、取材に行ったのはレストラン。
繁盛店でした。
オーナーシェフがまだ若くてびっくり。
成功の秘訣は? と私は尋ねました。
すると彼は言いました。
自分の舌に合わせないことだと。
合わせない? 合わせるんじゃなくて? と驚く私に、シェフは説明をしてくれました。
自分はプロなので繊細な舌をもっていて、様々な味を理解出来るが一般の人は違う。
だから自分の舌に合わせた味のものを、出さないようにしている。
一般の人が美味しいと感じられるものを出す。
どうしたら一般の人が美味しいと感じられるかといえば、味をはっきりさせること。
だから自分が美味しいと思う味より、ほんの少し濃くしています。
こうシェフは言ったのです。
なるほどねぇ。

それから数年後に、アニメ界の巨匠、宮崎駿さんのドキュメンタリーを見ていたら・・・スタッフにダメ出しをしていました。
リアルじゃダメなんだ。
ほんの少しオーバーに身体を動かすようにしないと、泣いているとわからない。
少しだけ大袈裟に。
と、仰っていました。
この時、以前シェフから聞いた話を思い出して、共通点があるなぁと思いました。

私は小説を書いている身。
この2人の言葉を胸に刻みました。

新刊小説「終活の準備はお済みですか?」には、繁盛店のオーナーシェフが登場します。
原優吾は33歳。
以前取材したシェフと同じように、自分の感覚と一般の人の感覚の差を理解し、味の調整が出来る人。
優吾は野心家で日本国内に複数の店をもち、海外でも勝負したいと思っていました。
しかし大病を経験し人生観がガラリと変化。
今の1店舗を大切にしようと考えるようになっていました。
そんな優吾が定期検査のために病院に行くと、検査入院をするよう医者から言われます。
再発したのか?
不安に押し潰されそうになります。
そんな中で彼がどんな終活をするのか・・・本書でお確かめくださいね。

士業

  • 2021年05月31日

10年ぐらい前のこと。
その日の飲み会に初参加の男性がいました。
40代の彼は一級建築士だと言いました。
なんか、凄い。
「儲かってウハウハですか?」と尋ねると、いやいやと首を左右に振りました。
そして「仕事がなくて、コールセンターでバイトしてます」と答えました。
のけ反りそうになりました。

一生懸命勉強をして、難しい試験に合格して資格を取っても、それでウハウハになる訳じゃないんですね。
士業も大変なようです。

拙作「嫌な女」を執筆する際、弁護士さんに取材をしました。
ここでも私は「儲かってウハウハですか?」と質問。
すると「どこの世界でもそうだと思いますが、儲かっている人と、そうでない人がいます」と大人な回答が。
弁護士事務所を開きました。
で? ってな感じで、それだけで仕事が舞い込んでくるはずもなく、営業をして依頼を一つひとつ貰っていく。
それを誠実にしっかり務めることで実績となり、また他の人を紹介してくれるようになっていく。
これを続けていくしかなく、また続けていても、商売として安定して儲けられるとは限らないので、非常に不安定だと言っていました。

新刊「終活の準備はお済みですか?」には行政書士が登場します。
名前は神田美紀。
32歳のシングルマザーで実家暮らし中。
OLをしながら行政書士の資格を取った美紀は、実家で開業します。
でも仕事は全然入ってこない。
片っ端から営業の電話をしても、誰も話なんて聞いてくれない。
両親にやっかいになっているので、なんとかやっていけてるといった状態でした。
育児は両親に任せて次の恋を模索中。
ところが。
親の介護をしなくてはいけなくなります。
それまでなんだかんだ言いながらも、両親に甘えていた生活から一転。
美紀は仕事と育児と介護を担うことになり、フル回転の毎日に。
そんな慌ただしい生活の中で、美紀が見つけるものは・・・。

興味をもたれた方は本をお読みくださいね。

コインランドリーで

  • 2021年05月27日

以前住んでいたのは、静かな住宅街の中にあるマンションでした。
引っ越したばかりの頃、洗濯機がなかったので、近所を偵察散歩した時に見つけたコインランドリーへ。
そこはとても小さなお店で、洗濯機が6台ぐらいで、乾燥機は8台程度あったように記憶しています。

到着したのはお昼頃。
使用中だと知らせるためでしょう。
洗濯機の蓋の上には、ビニール袋や洗剤容器が載っています。
空いていたのはたったの1台。
結構皆、ここを使っているんだなと思いながら、洗濯機に洗い物を投入。
ベンチに腰掛けて本を読み始めました。

しばらくすると40代ぐらいの女性がやって来ました。
そして1台の洗濯機の蓋を開けて、中身を背後の乾燥機に移し始めました。
そして乾燥機の扉を閉めてコインを投入し、スイッチオン。
こういった彼女の動きを、本を読みながら肌で感じていました。
次にその女性は、さっきの隣の洗濯機の蓋を開けました。
そして中身を背後の乾燥機に移し始めます。
洗濯物がたくさんあって2台使いしたのか。
結構ここを使い慣れしている人っぽいな・・・なんてことを、やはり本を読みながら肌で感じていました。
2台目の乾燥機のスイッチを入れた彼女は、さっきの隣の洗濯機の蓋に手を掛けました。
嘘でしょ。
もう本を読んでるふりをするのは止めて、しっかりと顔を上げました。
彼女は3台目の洗濯機の中身を乾燥機に移しています。
あなたはいったい、どれほどの洗濯物を溜めましたか?
それは何日分の洗濯物ですか?
それをコインランドリーで洗うのと、洗濯機を購入して家で洗うのとでは、どっちの方がコスパがいいのか計算しましたか?
たくさんの質問が頭に浮かびます。
でも見知らぬ人に聞くことは出来ません。

結局、彼女が使っていた洗濯機は5台だったと判明し、もしかしたらお店をやっていて、そのスタッフの洗濯物を洗っているのだろうかと、違うアプローチから彼女の正体を検討してみました。
そこで乾燥機の中で回っている洗濯物を見てみたら・・・制服っぽいものはなく、パジャマやTシャツやタオルなど、生活感いっぱいのものばかり。
ということは、大家族なのか、ずぼらさんなのか・・・。
今の私なら「洗濯物って溜まっちゃうわよねぇ」なんて声を掛けて、彼女の正体を探っていたでしょうが、当時はまだ若く、恥じらいとか遠慮というものがあったので、呆然と見つめるだけで終わりました。

新作小説「終活の準備はお済みですか?」の中に、コインランドリーのシーンがあります。
主要キャストの1人、森本喜三夫は68歳。
2人の兄と一緒にコインランドリーで洗濯物を畳みます。
何度もやっているので、流れ作業のように手際がいい。
そしてコインランドリーから外に出ると、美しい夕陽に気付きます。
3人兄弟はベンチに座り夕陽を眺めます。
関係性が微妙に変わってしまった兄弟ですが、仲の良さは変わらず。
このシーンを執筆している時、私は彼らを背後から見つめているような感覚でした。
そしてその背中を眺めながら、人生の重さや素晴らしさを教わったような気がしました。

未読の方はぜひお買い上げを。

紙が

  • 2021年05月24日

友人の中には自宅にパソコンはあっても、プリンターはないという人が結構いました。
コロナの流行によって、自宅で仕事をするようになり、プリンターとスキャナーを買ったという話を何人かから聞きました。
私生活ではプリンターは不要な人も、仕事となれば必要になるのでしょう、

自宅の書斎が仕事場である私は、プリンターとスキャナーは必須アイテム。
壊れた時には仕事が滞ります。

なにかを調べた時、証拠として印刷しておく習慣があります。
これはフリーライター時代から。
校正者や第三者から、私が書いた文章中のどこかの箇所について、なんらかの指摘が入った時などに、自分がどのように、どこを調べて、それを書いたのかといったプロセスが残っていると便利だからです。

新刊「終活の準備はお済みですか?」の執筆の際にも様々なことを調べ、勉強し、印刷しました。
それをソファに載せたら、こんな感じになりました。

中央に聳え立っている書類の山が「終活の準備はお済みですか?」の執筆で使った資料です。
この山の高さは標準的。
特殊な世界を舞台にした場合には、もっと増えることもあります。

フリーライター時代はこうした紙の状態でしばらく残していたので、狭い部屋のあちこちに、難攻不落の山がたくさん出現することになり、歩けるスペースがなくなっていました。
スキャナーを投入するようになってからは、山の数は大分減りました。
印刷しておいたものを、スキャナーでデータとして残しておけるようになると、山は減ります。
減るはず。
どう考えたって減るしかない。
そのはずなのですが・・・なかなか減らない。
スキャナーが腕まくりをして「さーて、それじゃ、やりますかね」と、自分で書類を口に入れてくれるわけじゃない。
私がスキャナーの書類投入口に書類を差し込んで、スイッチボタンを押さなくてはならない。
これだけの量を一度に投入できるはずもなく、30枚ぐらいずつ差し込んでは、ボタンを押すという行為を延々と繰り返さなくてはならない。
心弾むような作業ではない。
だからつい明日にしようと先送りにする。
そしてソファに出来た山は減らず、座れない状態がずっと続くように。
えっと、ソファってなにをするものでしたっけ?


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