暑くなる前に早めに用事を済ませようと駅へ。
時刻は午前九時前。
そんな時間に行列が出来ている店がある。
なんの店だろうと首を伸ばしてみたら・・・パチンコ店でした。
開店前に並んでいる模様。
パチンコ店は小さな駅の前にも、必ずといっていいほどありますね。
店が成り立つだけのお客さんが、いるってことなんでしょうか。
私も何度かやったことはありますが、夢中にはなれませんでした。
A子の一家は全員がパチンコ好き。
夏休みに2人の息子たちが実家に帰って来ると「じゃ、行こうか」と言って、全員でパチンコ店へ。
「そんな時に?」と驚いて確認すると、「そんな時も」とA子は答えました。
終日各自でパチンコを楽しみ、夜になると全員で店を出て近くの飲食店に移動。
そこで食事をしながら「最近、忙しいの?」などといった、ありがちな会話をようやく始めるという。
で、1時間ほど飲み食いするとパチンコ店に戻り、閉店時間まで粘るのだそう。
これが大満足の夏休みの過ごし方だと言います。
こんな一家にもコロナの影響が。
パチンコ店に行けなくなった。
そこで代替として、ゲームをするようになったらしい。
健康を意識して、運動しながら楽しめるゲームをするように。
それはそれで面白いし盛り上がるという。
だが胸にぽっかり空いた穴を、埋めるまではいかないそうで。
コロナ感染者数が減って、安心してパチンコ店に行ける日を待ち望んでいるらしい。
代替するものがないほど、パチンコには魅力があるんですね。
私はパチンコにもゲームにも没入出来ません。
スポーツ観戦や映画鑑賞中には、没入しまくりなのですが。
読書でも没入します。
没入して時間を忘れてしまうので、いつもタイマーをセットしてから、本を開くようにしています。
30分とか、1時間とか、その時に許されている読書タイムが終わったら、アラームが鳴るようにしておくのです。
今の時期、冷房を効かせた部屋で本に没入する時間は至福の時。
いつもよりこの幸せな時間を増やすのが、私の夏休みの過ごし方です。
小説「残された人が編む物語」の帯が新しいものになりました。
それがこちらです。
帯というものをご存じでしょうか?
本の装幀の下部に巻き付いている紙のことです。
この帯は担当編集者が魂を込めて作ります。
書店でぶらぶら探索している人に「この本はこういう本です。だから手に取って」と訴える必要があります。
帯には、その本がどういうものかを知らせる役割を担っています。
限られたスペースなので、短い言葉で、瞬時に心に刺さるキャッチコピーを、考えなくてはいけません。
こうだろうか、いや、こうした方が・・・などと悩んで迷って、時間を掛けて作っています。
帯は編集者の渾身の作品なのです。
作家になってからこうした実情を知り、以降、書店で棚に並ぶ本を眺める時の姿勢が変わりました。
どの帯にも各編集者たちの熱い思いが滾っていると知ってからは、それまで以上に真剣に、その言葉を味わうようになりました。
そしてPOPも作って頂きました。
それがこちらです。
書店で「ここにあなたにお勧めの本がありますよ」とお知らせするためのPOPです。
こういうPOPがあると目が留まり易くなるので、こうした販促グッズを、出版社さんで用意して貰えるのは有り難いです。
靴店で働いていた頃、店内のディスプレイで、売上が大きく変わるのを目の当たりにしていました。
ただずらっと並べているだけだと、人はそれらをさっと見ていくだけ。
滞店時間も短い。
そこで店内の数ヵ所に、ディスプレイする場所を設ける。
周囲と少し空間を開けて、そこに1、2足だけを置き、お揃いのバッグや、色が合うスカーフなどを使って飾る。
それだけで人はそれに目を留めるようになり、同時に足を止めるようになります。
そこに飾った靴の売上は確実に伸びました。
それが3年前のデザインで、在庫をなんとかしたいからといった、店側の裏事情があったとしてもお客さんには関係なし。
出合った日が運命の日なのです。
「残された人が編む物語」は書店での運命の出合いを待っています。
暑い日が続きますね。
皆さん、お元気ですか?
外を歩いている時、気が付けば顔を顰めていて眉間には皺が。
暑さは皺を深くします。
暑いし、コロナ感染者は増えているしで、ネットスーパーを利用する人が増えている模様。
これまでは当日や、翌日の配達枠が結構空いていたのですが、最近では翌々日の枠しか空いてない、なんてことが増えてきました。
こうしたことを見越して、早めに注文するようにしています。
食料品や日用品はネットを利用しますが、それ以外のことではアナログ派の道を突き進んでいます。
普段なら便利さに背を向けるが故に、享受しなくてはならないメンドー臭さを受け入れています。
でもこれほどまでに暑いと、こうした生き方を改めようかと思うように。
映画を観るのはレンタルDVD。
2枚セットで郵送してくれるので、見終わったらポストに投函して返却するシステム。
ストリーミングではなく、未だにDVDという物体を郵便で行ったり来たりさせています。
ということは、返却のためにポストまで歩かなくてはいけない。
ポストは自宅から徒歩5分のところに。
いつもならなんてことはない距離。
だが猛暑の今はニューヨークよりも遠くに感じられ、アナログ派の自分を呪いたくなります。
そんな折、銀行で手続きをしなくてはいけない案件が勃発。
いやいや、今時ネットで手続き出来るでしょと思って調べてみたら・・・窓口でとあっちこっちに書いてある。
で、窓口がある銀行ってどこよと、自宅近くの店舗を調べてみたら・・・2つ隣の駅まで行かねばならないと判明。
ATMならあるが、窓口がある店は歩いていける範囲にはなし。
ということで、手続きをするためだけに電車に乗らなくてはいけない。
今一度関連書類を見てみると・・・手続きには期限があると書いてある。
涼しくなったら、なんて悠長なことは許されない様子。
オーマイガー。
アナログ派を全うするために、メンドー臭さを背負う覚悟はある。
一応。
でも銀行がそれを強いてきちゃダメでしょ。
ネット手続きと、アナログ手続きと2種類ありますが、どっちにしますか? としてくれないと。
アナログ手続き1つのみって、どうなのよ。
と、自分のことは棚に上げて、銀行に文句を垂れる今日この頃です。
ドテッと音がしました。
なんだ?
今度はなにが壊れた?
恐る恐る音がした洗面所へ行ってみると・・・ハンドソープのボトルが倒れて、洗面ボウルに落ちていました。
そこそこの大きさがある、泡タイプのハンドソープのボトルを、蛇口の横の小さな台に置いていました。
そこから落ちた模様。
ハンドソープのボトルを台に置き部屋に戻る。
少しするとまたドテッと音。
嘘でしょと呟きながら再び洗面所へ。
またハンドソープのボトルが、洗面ボウルに落ちていました。
WHY?
台には他にも色々置いてあります。
歯ブラシが入ったカップ、ハンドクリーム、ボディローションなどなど。
それらは落ちない。
なのにハンドソープのボトルだけが落ちる。
そのハンドソープは、ずっと前から使用しているメーカーのもの。
詰め替え式ではないため、中身がなくなると新しいボトルを置いていました。
それで、これまではなんの問題もなかった。
そういえば前日に中身がなくなったので、新しいものに変えたばかりでした。
底が濡れていて、それで滑ってしまうのでしょうか。
ボトルの底をティッシュで拭いて起き直し、じっと見つめる。
ボトルが動き出す気配なし。
そうしてこの日は無事に終了。
が、翌日になるとまたドテッと音が。
何度も置き直すのがメンドーなので、ボトルの定位置を洗面ボウルにすることに。
落ちるなら、最初っから落としておく、という解決法を選択したのです。
それからは一旦ボトルを台に載せてから手を洗い、終わったらボトルを洗面ボウルに戻しています。
手洗いといえば・・・先日、商標施設のトイレに入った時の事。
手を洗っていたら、隣に小学1、2年生ぐらいの女の子が。
身体が小さいため、ハンドソープが入った容器に一生懸命手を伸ばします。
そうやって手に取った洗剤の泡を使って、擦り始めました。
指の一本一本を丁寧に擦り、慣れた様子で手首も擦ります。
その手際は見事。
この2年ほどの間に、大人たちから手洗いの方法を何度もレクチャーされたのでしょう。
それ以前に、そこまで完璧に手を洗う子どもなんて見たことはありませんでしたが、その女の子はすっかり板についていました。
コロナによって、いろんなことが変わりました。
こんなところにも変化があったな、と思いました。