子どもの頃になりたかった職業はなんですか?
今、その職業に就いていますか?
大人向けの職業体験が出来るツアーがあるというのを、新聞記事で知りました。
数時間から丸一日までの様々なツアーが用意されていて、実際にプロが働いている現場を、見学出来たりするという。
大人版のキッザニアみたいなものでしょうか。
テレビ番組の企画で、社長が別の会社の社長のカバン持ちとなって、丸一日仕事ぶりを見学させて貰うというのを見たことがあります。
カバン持ちとなった社長が、他社の社長業を間近に見て、驚いたり、感心したりする様が映し出され、それを見ているこっちも面白いのです。
ツアーにもテレビ番組にも、それまでの仕事に対する考えが、大きく変わるきっかけがありそうですね。
どの仕事にも苦労があって、それを克服するための工夫があって、誇りがあって、喜びがある。
そうしたすべてを学べるのは、貴重な機会になるに違いありません。

フリーライターをしていた頃、とても流行っているイタリアンレストランに取材に行きました。
オーナーシェフはまだ二十代。
予約が出来ないランチタイムには、行列が出来るほどの人気ぶり。
そのオーナーに、どんな時に喜びを感じますかと質問しました。
これは、編集者から渡される質問リストに毎回入っているもので、必ず聞いてこいと言われるので、この時も尋ねたのです。
こうした問いに対する回答は「お客さんが美味しいと言って喜んでいるのを見た時」とか、「笑顔を見た時」といったものがほとんど。
返ってくる答えが分かっている中で出す質問なので、こっちは儀式のような感覚。
頭の中では次の質問を用意している状態です。
そのイタリアンレストランのオーナーは答えました。
「レジをしめて、売上の金を数えた時に喜びを感じるね」と。
おっと。
ここまでの正直者に取材したことはなかったぜ。
思わずメモ帳からオーナーに視線を移すと、彼はニヤリとしていました。
どこに喜びを感じてもOK。
動機はどんなものでもOK。
働くということは奥深い世界なのです。
FPから聞かれました。
「なにをしている時が幸せですか?」と。
ムムム。
なんだろう。
しばし考える。
即答出来ないって問題だよなぁと思いながら、必死で答えを探す。
でもなにも浮かばない。
私がなかなか答えないのでしびれを切らしたのか、FPは「それじゃ、宿題ということで」と言い、その場を締めました。
それから事あるごとに、幸せを感じる時はいつだろうと考えていました。
それから1週間後、小説の原稿を書き終えました。
執筆中は土日も関係なくずっと書き続けるので、1つ小説を書き終えた時には、少しの間休みを取るようにしています。
この休み期間中になにをするかというと、読書。
この時もさてさてと呟きながら、積んでいた未読本に手を伸ばし掛けて、はっとする。
ワクワクしていることに気付いたのです。
これか。
なにをしている時が幸せかといえば、本を読んでいる時だったと、ようやく気が付いた瞬間でした。
あまりに日常的な行為だったので、幸せ中などと意識することなく読書していましたが、FPからの問いに対する答えはこれでした。

そう分かってみれば思い当たる節が。
新刊を出した時、自分を祝ってあげたい気持ちになります。
どうやって祝えばいいのか検討した結果、ちょっと高額な品を買うことに。
新刊が出る度に、服やらアクセサリーやらを買っていました。
昔は。
やがて高額な品を手に入れても、あまり気持ちが上がっていないことに気付きました。
自分を祝いたいなら、楽しい所に行くなどの体験型の方がいいような。
楽しい所ってどこだろう・・・と、考えたら、書店でした。
思い起こせば小学生の頃から、行って楽しい場所は書店でした。
残念ながら今、私が住む家の近くに書店はないので、電車に乗り2つ隣の駅へ。
駅前にある書店の中をウロウロ。
楽しい。
ウキウキしながら店内を回遊し何冊か購入。
そして近くのカフェで一服。
買ったばかりの本を開き読み始める。
これぞ至福の時。
自分への最高のご褒美はこれでした。
知的能力は70歳頃まで伸び続ける・・・らしい。
ホンマかいな。
と、思いました。
新聞記事によれば、知的能力には2種類あるという。
1つは新しい状況や課題に素早く適応する「流動性知能」で、もう1つは経験や学習によって獲得する「結晶性知能」。
「流動性知能」は50代中頃まで維持されて、その後急速に低下するが、「結晶性知能」の方は70歳頃まで伸び続けた後で、緩やかに低下すると書いてありました。

自分の実感との乖離に愕然としてしまいます。
私はどちらも30代がピークで、その後ガクンと落ちたという実感なのです。
私は特にその能力の減退を感じている記憶力は「結晶性知能」と「流動性知能」のどっちでしょう。
これらとは別物でしょうか。
記憶力が弱っていることに気が付いたのは30代でした。
当初はそんな自分にショックを受けていましたが、段々折り合いをつけていくように。
自分の記憶力をあてにしない生き方を、するようになっていくのです。
部屋のあっちこっちに付箋とペンを置いてあります。
なにか思い付いた時に、この付箋に書き残すのです。
この付箋は1カ所にまとめておき、定期的にチェックします。
これは急がない内容の場合。
今日のことの場合には、付箋を目にする場所に貼るようにしています。
この貼る場所は重要。
例えば今日の昼食後に薬を飲まなくてはいけないような時。
自分のことがまだよく分かっていなかった頃は、置時計に「薬」と書いた付箋を貼りました。
ところが飲み忘れます。
私は食事中も後も、置時計を見ないのだと知る。
次にテーブルの隅に貼っておいたのですが、また飲み忘れました。
私は食事中も後も、テーブルの隅は見ないのだと知る。
そこでキッチンの作業台の中央に貼ることに。
使った食器を必ず置く場所なので目に留まり、思い出せるのです。
自分の行動を予測することが大事。
こういう知恵はつきました。

郵便受けにチラシが。
地元の携帯電話販売店のものでした。
チラシ上に印刷されているスクラッチを削ってくれと、書いてあります。
そこに出た卵の枚数分の卵ギフト券をくれるそうです。
携帯電話と生卵の取り合わせにびっくり。
この手のキャンペーンで貰えるものといえば、大抵主商品と関連のあるものが多い。
眼鏡店ならば、眼鏡のクリーナーを、花店ならば、生花の延命剤をなどなど。
しかしながらこの携帯電話販売店では生卵。
斬新です。
現在使っているスマホは4年もの。
もういい加減新しいものに買い替えようと思ってはいるのですが、なかなか重い腰が上がらない。
買い替えるにはショップに行き、スタッフの人から接客されることになりますが、このスタッフからの説明の内容が、90パーセントぐらい理解出来ない。
分からない点がどこかも分からない状態。
結局「じゃ、それで」と手を打つ。
なにを自分が決定したのかも定かではない。
どうしたら電話に出られるのか、どうしたらメールを受け取れるのかだけを頭に刻み、帰宅するというのが毎回です。
このチンプンカンプンな時間を過ごすのが億劫で、ついつい後回しにしてきました。
が、そうも言ってはいられないので、買い替えを真剣に検討することに。

私はアンドロイド派。
どんな機種があるのかとネットで調べてみたら・・・とんでもない金額が書かれていて、愕然としました。
いつからこんなに高くなっていたのでしょう。
しかも料金体系が不可思議。
一括で買うよりも、リースという形で2年間使った方が合計金額は安くなるという。
フツー、逆ですよね。
もう増々なんだか分からない。
一旦お茶を飲んで心を落ち着かせてから、改めて機種を比べてみましたが、それぞれの差が分からない。
すっかりお手上げなので、詳しそうなA子に相談してみることに。
すると「スマホでなにをしたいかによる」と言われました。
スマホでなにをしたいか?
哲学的な話になってきて、更に困ってしまいました。
私はスマホでなにをしたいのだろう。
今、私はその答えを探しています。