電気ケトルが壊れてしまいました。
もう何年も使っていますし、毎日酷使し続けてきたので、寿命だったのかもしれません。
私は毎日何度も湯を沸かします。
それは1年中湯たんぽを愛用しているから。
その湯たんぽの中に入れる湯を作るために、電気ケトルに働いて貰ってきました。
数えてみたら1日に11回湯を沸かしていると判明。
ブーツ型の湯たんぽの片足に入れるのに1回。両足で2回になります。
更に膝に載せるタイプの湯たんぽのために1回。
この3回を1セットとして、朝、昼、夕方と3回入れ替えるので合計9回。
寝る時に足元に置くための湯たんぽは大容量のため、2回沸かす必要があり、これを加えて総合計が11回となります。
我が家で一番の働き者といってもいいでしょう。

この電気ケトルは沸いた時にブザーが鳴るのですが、時々ならなくなってしまいました。
そのうちにブザーは鳴るのに湯が温い、といったことがしばしば発生するように。
そこでネット検索。
温度調整が出来る安いものを探してみると・・・良さそうなものを発見。
黒いプレートに黒いケトルを置いて湯を沸かすというもので、1度単位で温度調整が出来ると謳っています。
湯たんぽに必要な湯の温度は80度。
取扱説明書によれば100度ではダメだそうなので、80度のお湯が出来るというのは必須要件。
この要件を満たすお洒落な電気ケトルを購入。
翌日に届いたそれを早速使ってみます。
温度設定を80度にして、しばし待つ。
ブザーが鳴ったので駆けつけてみると・・・プレートのモニターには「82度」と表示が。
なにこれ?
80度に設定したのに、出来たよと呼び出した時の温度は82度っておかしくない?
「2度ぐらい大目に見てやれよ、大人だろ?」とどこかから声がした気がしたので、渋々ポットの取っ手に右手を伸ばして摑み、左手で本体を支えて持ち上げようとしたら・・・熱っ。
本体が熱いのなんのって。
ポットが熱すぎて手を触れられないって、そんなのアリかよと呟く。
それまで使っていた電気ケトルも湯が沸いてすぐの時には、そのボディはやや温かくなっていましたが、触れないほどではなかった。
でも今度のは触れないほどの熱さ。
右手だけで1リットルの水と、本体の重みが加わっているものを持ち上げるのは、ちょっと大変。
年寄りのことも考えてくれよと思いながら、グローブ型の鍋摑みを左手にはめた上で、本体を支えてプレートから下ろしました。
湯たんぽに湯を移し、また水を入れてプレートにセットしてスイッチをオン。
しばらくしてブザーが鳴ったので、電気ケトルに近付いてみると・・・今度は78度との表示が。
1度単位で温度設定が出来ると謳っていても、実際は「おおよそ」だったと知る。
温度設定は「約」だわ、本体熱くて触れないわで、「開発したヤツ、出て来いや」と叫んでしまいました。
自動車の運転を最後にしたのはいつだったのか。
ちょっと思い出せない。
それぐらい運転をしていません。
もはや運転出来る気が全然しない。
高齢者による交通事故のニュースを見聞きする度、他人事じゃないと思います。
そう思うと益々ハンドルを握ろうとの気持ちにはならない。
都内で暮らしていると電車とタクシーで大抵の所には行けるので、車を運転しなくても日常生活に支障がないことも、運転から遠ざかる理由でしょうか。
ほとんどの時間を自宅兼仕事場で過ごす私は、買い物もネットで済ませます。
このような生活をするのであれば、なにも家賃の高い都内に住む必要はないのではとの考えが浮かびます。
そこで地方の家賃はどんなもんなのかとネットで調べてみると・・・安い。
やはり東京よりリーズナブル。
引っ越そうか。
と、本気で考え始めた時に頭に浮かんだのは車のこと。
都内であれば電車が網の目のように張り巡らされていて、乗り継げば、どこにでも簡単に行けますが、地方ではそうはいかなさそう。
恐らく車がないと日常生活に支障をきたすでしょう。
昔、ライター時代に地方の観光地で取材を終えた私が、その日泊まる予定のホテルまでの行き方を、取材先の方に聞いたところ・・・「車しか方法はない」と言われてしまいました。
「電車は?」と尋ねると、「もう終わった」と言われて、時計を見ると午後6時。
私は呆然として「もう終わった・・・」と繰り返すしかありませんでした。
「バスはどうですか?」と思い付いた別の手段を口にすると、「もう終わった」と同じ回答が。
その町は午後5時で活動を止めてしまうと知り、立ち尽くした苦い思い出が。
結局、カメラマンに拝み倒してホテルまで送って貰い、事なきを得ました。
一番のとばっちりはそのカメラマンで、私が行きたいホテルまで、車を運転させられる羽目に。
でも彼が泊まる予定のホテルは反対方向にあったので、3時間ぐらい余計な労力を使わせてしまいました。
このように地方では観光地といえども、車がなければ話にならないのです。
元々運転が下手だったのに、判断力も鈍っているであろう私が、車を自在に操れる訳もなく、地方で暮らすとの考えは消え去りました。
自動運転機能は大分進んでいる様子。
駐車スペースにすんなりと車を入れられたり、ブレーキとアクセルを踏み間違えても、ストップしてくれたり、といった機能の車のCMを初めて見た時・・・「嘘だぁ」と思いました。
その後、他のメーカーからも様々なアシスト機能が発表されるのを見るうち、どうやら世の中は凄いことになっているようだぞと、認識するに至りました。

もうなにもしなくても、運転席に座って目的地を入力するなり、命令しさえすればいい世界も近いのでしょうかね。
アクセルやブレーキだけでなく、ハンドルさえも握ることなく、ただ座っていればいいのであれば・・・そうなったら地方で暮らすことを、再検討しようかと思います。
公害とされているものの中で、1番苦情が多いのは騒音だそうです。
除夜の鐘、子どもの声、消防署のサイレンの音などに対して、苦情が寄せられるのだとか。
騒音が理由で保育所の新設が出来ない街の話を、以前テレビのニュース番組で見たことがあります。
その時、私はちょっと驚いたのですが、どうやらそこだけの話ではなく、どこにでも起こり得る事態だったみたいですね。

これは音に対する寛容さが減っているということなのでしょうか?
それとも地域内のコミュニケーション不足が原因なのでしょうか?
我が家の向かいには高層マンションがあります。
そこの2階にはちょっとしたスペースがあり、マンションの住民たちだけが使えるようです。
そこが月に1度程度、子どもたちに開放される様子。
子どもたちの大盛り上がりしている声が聞こえてきます。
盛り上がってるなぁとは思いますが、煩いとはまったく思いません。
でもこういう子どもたちの声を、煩いと感じる人もいるのかもしれませんね。
昔々、私がまだ子どもだった頃、ピアノの音が煩いと、同じマンションに住む人を殺すという事件がありました。
これは当時、驚きをもって報道されました。
なんて恐ろしい世の中になったのかしらと、大人たちは言い合っていました。
そんな中、ピアノを習いたくもないのに、習わされていた私は「だってご近所に迷惑だから」と練習をしない言い訳が出来ると考え、しめしめと思った不届き者でした。
最近になって音に関するトラブルや苦情が増えたというよりも、昔からあって、それが徐々に増えているといったことなのかも。
元々耳の感度が悪い私は音に対して鈍感なので、煩っせぇなぁと思うことは滅多にありません。
滅多にないけれど、たまにはあります。
例えば渋谷駅周辺を歩いている時。
扉を開放した店内からは、音楽やキャンペーンを説明する声などが迫って来ます。
こうした録音されたものだけでなく生の音もあります。
店頭に立ったお兄さん、お姉さんがマイクを握って、ライブで訴えかけてくるパターン。
たったの20分で機種変更が出来ると訴える声には鬼気迫るものがあって、無視するのは不可能なほど、耳に圧を掛けてくる。
音が混じり合い攻めてくる中を、目的地を目指して歩いている時、顔を顰めている自分に気が付きます。
耐えているんでしょうね、恐らく。
それで眉間に皺を寄せて歩いているのでしょう。
でも渋谷駅周辺を歩いても全然平気な人たちもいる。
なにを騒音と思うのかは人それぞれなんでしょうね。
新型肺炎が猛威を振るっていますね。
ニュースなどで感染者数が物凄い勢いで増えていくのを見聞きする度に、その感染力の強さに驚きます。
対策としては風邪やインフルエンザの時と同じで、うがい、手洗い、マスクが大事なようです。
そうしたニュースを「へぇ、そうなのかぁ」とのんびり見ていた私。
次の考えに辿り着けない。
私は毎晩マスクをして寝ています。
年中鼻詰まりなため呼吸が苦しくなり、口を開けて寝てしまうことが多く、そうすると喉がカラカラになって、炎症を起こすという悪循環に陥り易いので、これを避けるためにマスクが必要なのです。
在庫がなくなりそうになったので、いつものネットショップを検索したら・・・ない。
あっ。
もしかして。
皆が買い溜めしてるから?
やばいぞ。
焦る心を抑えつつネット検索をし続けるも、どこも売り切れ。
完全に出遅れてしまったようです。

2011年の震災は金曜日でした。
私がスーパーに買い物に行ったのは日曜日。
食材が手に入らなくなるかもしれないなんて、ほんのちょっとも考えが及ばなかった故の出遅れです。
そこで大きく反省したはずなのに、今回も同じことを繰り返してしまいました。
教訓を全く生かせていない自分にがっかりです。
更にがっかりなのは、先日大量にマスクを捨ててしまったこと。
我が家には随分昔に買ったマスクが大量にありました。
それは普通のマスク。
敏感肌の私はそれをすると顔がむずがゆくなってしまい、別のメーカーのものに変更したため、クローゼットの中に長いこと眠っていました。
いい加減処分しなきゃと重い腰を上げて、まずはメルカリに出品。
ところが売れない。
付けた価格が悪かったのか、2週間経っても売れませんでした。
そこで出品を中止して、マスクを燃えるゴミの日に出してしまいました。
何年もクローゼットの中に放置していた癖に、よりによってこんな事態になる直前に廃棄してしまったなんて。
顔がむずがゆくなろうと、ないよりはましです。
勿体ないことをしてしまいました。
そしてこの経験が「いつ必要になるかわからないから、取っておこう」との気持ちを強くしてしまいそうで不安になります。
それじゃなくても整理整頓が苦手なのに「マスクの時のようになるのは嫌だから、取っておこう」との言い訳が出来てしまい、狭い部屋が益々モノで溢れる状態になってしまいそう。
今はこの新型肺炎が一刻も早く収束するよう祈るばかりです。