自宅の近くには多くのオフィスがあります。
住宅も結構あるので、働きに来ている人だけでなく住んでいる人もいます。
こんな街の昼時はちょっと景色が一辺します。
ぞろぞろとビルから会社員たちが出て来るのです。
こんなにたくさんの人がいたのかと驚くほど。
ランチを食べるため、オフィスを出て街をウロウロしています。

私もOL時代には、職場の近くのお店でランチを食べました。
その街で働く人の数は多いのに飲食店は少なく、どのお店もとても混んでいました。
だから出足が肝心。
もたもたして出遅れたら席には着けず、列に並ぶことになる。
そうなるとやっと座って注文して時計を見ればもう12時半で、昼休憩の半分が過ぎていたなんて事態に。
出て来た料理を猛スピードで食べて、職場に急いで戻ることになります。
健康にいいわけない。
私が勤めていた会社では12時にチャイムが鳴りました。
このチャイムの「キンコンカーン」の「キ」が聞こえたら、もう立ち上がっていなくてはいけない。
これぐらい初速が大事なのです、ランチ戦争では。
今はどうかというと・・・冷凍のお弁当をチンして食べています。
週に1度、宅配便で7食分送ってくれるサービスを利用していまして、日替わりのお弁当のランチです。
栄養バランスやカロリー、塩分などを考慮したメニューになっているため、蓋を開けると「ええっ。こんなにちょびっと?」なんて日もあるし、「おっ。今日はなんとなく豪華」なんて日もある。
日によって見た目の豪華さが全然違う。
フツーに売られているお弁当の場合、容器にびっしりと食材が盛られていて隙間なんかはないですが、この冷凍弁当は見た目ではなく、カロリーと栄養バランスを計算した上でのメニューなので、すっかすかなんて日もある。
そうして学んでいくのです。
秋刀魚が割とカロリーが高いこととか、切り干し大根はカロリーが低そうなこととかを。
その容器の中に占める割合でもって、カロリーの高低を推察するのです。
また大学芋を最後に食べると歯茎を傷めるが、最初に食べると舌を火傷しかねないので、中盤で食べるようにするなど、レンジでチンしたならではの食べ方をも学習していくのです。
この日替わり弁当のいい点は、自分じゃ選ばないなといったメニューを、食べることになるところ。
好みってものがあるので、自分でメニューを選ぶと同じものになりがち。
でも今日はこれと決まっているので食べる。
これによって食の偏りがなくなる・・・のじゃないかと思っています。
スポーツ界はいつも以上に盛り上がっていますね。
来年に迫った東京オリンピックの出場権を獲得するための、熾烈な戦いが注目されています。
1つの、或いは2つしかない出場権を獲得するため、選手たちは努力を続けてきたことでしょう。
4年どころか、何十年と。
でもその出場権を獲得出来るのは1人か2人といった狭き門。
あと一歩で出場権を手に出来なかった選手に注目し、同情してしまいがちですが、実際は1人の勝者の背後には何千人、或いは何万人もの敗者がいます。

スポーツの残酷な部分ですね。
でもそうしたものも含めてのスポーツなんですよね。
勝者がいて、敗者がいるのは当たり前。
勝者と敗者の差が明らかな場合もあるでしょうし、運であったり、メンタルであったりといった差の場合もあるでしょう。
実力が足りなかったのか、練習量が足りなかったのか、トレーニングの仕方が悪かったのか・・・理由は1つではなく、複合的なものであったのかもしれませんね。
ただ夢が破れたとしても頑張って来たことは、無駄ではなかったと思える日は必ず来ます。
だからもう一度頑張る決意をしたとしても、新たなステージを探すと決めたとしても、胸を張って進んで欲しい。
どちらの決断をするにしても、大変な思いでのことになるでしょう。
だからじっくり考えてから、決めて欲しいとも思います。
フィギュアスケートのSPで失敗した羽生結弦選手が、演技後にインタビュアーから、今の気持ちを尋ねられた時「今すぐに練習したい」と言っているのをテレビで見ました。
凄いなぁ。
と、感じ入りました。
失敗した時、ダメだった時、瞬時に次のために努力したいと思えるのって・・・やっぱり凄いですよ。
フツーは一度へこみますよ。
あーあって。
そこから気持ちを立て直して、よし今度こそと思えるまでになってから、練習頑張ろうと、こういう流れがあるもんでしょう。
失敗した。
練習したい。
と、気持ちの流れをパチンと変えられるなんて・・・尊敬します。
そんな人になりたいとも思います。
私は割と負の気持ちを燻らせるタイプで、いつまでもぐちぐちと不満を心の中で呟き続けることが多いもので。
これを飲めばぐっすり眠れると謳った広告を、しばしば目にします。
それだけ眠れないで困っている人が多いということなのでしょうね。
友人らの中には、最近眠りが浅くなった気がすると言う人が結構います。
睡眠時間は昔と変わっていないのだけれど、朝起きた時にどんよりとした感じがあり、それがメンタルの理由でないとしたら、眠りの質が悪くなっているせいかもしれないと言います。
それをどこかに相談したり、検索したりしたら、出て来るのは「加齢によって」の言葉でしょう。
なにかというと「加齢」の言葉で丸め込もうとするんですよ、最近の世の中は。
今のところ私は「眠る」力だけは衰えてきていないようで、毎日熟睡していたのですが・・・。

先日、加湿器を買い足しました。
加湿器だけを検索窓に打ち込んじゃダメですね。
膨大な数の加湿器が出て来てしまう。
そんな星の数ほどある加湿器の中から、自分にとってちょうどいいのを探すのは至難の業。
しょうがないので冷たい風が出て来ないもので、お手入れが簡単なものにしたいと探していくと・・・フィルターがないので、お手入れが簡単というものを発見。
更に風で噴出されないので、部屋の温度を下げないとも謳っている。
いいじゃない、これ。
と、購入を決めました。
入れられる限度ギリギリまで水をセットすると、片手では持ち上げられないほどの重量に。
両手で持ち上げてヨタヨタと部屋の隅まで運び、スタート。
すぐに新入りの加湿器の存在を忘れて仕事に没頭。
しばらくしてピピピと突然なにかの合図の音が。
それは加湿器からの音でした。
給水ランプが点灯しているので、水がなくなったことを知らせてくれたらしい。
もう?
たっぷりと水を入れて、4時間ぐらいしか経っていないってのに。
湿度計を見てみたら20%台で、それほど潤ってはいない。
あれだけの量の水を、狭い部屋に4時間撒き散らしても20%台なのかと、冬の乾燥の凄まじさにちょっとたじろぐ。
その日の夜。
加湿器をセットして就寝。
夢の中の私は工事現場にいる。
ん?
違う。
これは夢の中ではなく本当に工事をしているんだ。
こんな夜中に?
あー、年末って予算を消化するために、不要な工事が多いんだよね、だからか。
それにしてもこんな時間に工事って。
誰か「近所迷惑だー」とどこかに訴えてくれないかなぁ。
と、むにゃむにゃ考えているうちに「あっ」と気付く。
ここか? ここだ。
そしてゆっくり上半身を起こすと、足元に置いた新入りの加湿器が、ボッコボコと大きな音をさせていました。
昼間は音楽や洗濯機の動作音など、他の音に紛れて気にならなかった稼働音でしたが、静まり返った夜中には、工事現場にいるのかと思うほどのボリュームで、耳に刺さってきたのでした。
これまで私は自分の熟睡ぶりには、そこそこ自信がありました。
「昨夜の雷、凄かったよねぇ」と言われて、「なんのことでしょう?」と返すぐらいの私。
旅先の宿でも、他の客が夜中まで庭で花火をしていて「うるさくって全然眠れなかった」と文句を言う友人らに向かって、「なんの話?」と聞いたぐらいの、この私を起こすぐらいの音を出した加湿器って、相当に凄いヤツなのです。
この買い物・・・また失敗でしたかね。
Tシャツに穴が開く。
それは決まって右の袖の脇に近いところ。
何故そこなのか。
何故開くのか。
わかりません。
そして左は決して穴が開かないという事実を、どう解釈したらいいのかもわかりません。

普段自宅にいる時はTシャツを着ています。
夏場はこの上に薄手の割烹着を着用。
それ以外の季節にはTシャツの上に長袖のカットソーを羽織ったり、割烹着を厚手のものにしたりで調整しています。
つまり1年中Tシャツは必ず身に着けているのです。
もっているのは20枚程度。
1日に2回ぐらい着替えます。
ネットなどには入れずにそのまま洗濯機に放り込みます。
これがいけないのでしょうか。
でもこれが理由だとしたら、左右どちらにも穴が開くはず。
解せません。
初めて穴を発見した時には「やだぁ。なんか恥ずかしい」と呟き、即ゴミ箱へ。
そして長年愛用しているブランドのTシャツを買い足しました。
そのうちに穴を見つける機会がどんどん増えていく。
見つける度に「またぁ」といった気持ちになる。
その度に買い替えていたらTシャツ貧乏になってしまう。
そこで穴を見つけても、見なかったことにするように。
穴が開いているのは、腕を下ろしていれば脇に挟まれて見えない場所。
だったら問題ないじゃん。
と、開き直りました。
でも一度出来た穴は消えてくれる訳じゃない。
数は増え、それぞれの穴のサイズは大きくなっていく。
どうするか。
捨てるタイミングをいつにするかとの難題と向き合う。
10円玉の大きさになったらと決めました。
一応ね。
でもそれではやっぱりしょっちゅうTシャツを買うはめに。
100円玉のサイズになったらにしようと変更。
そして今は・・・500円玉のサイズになったら捨てるというルールに。
このままエスカレートしていき、袖が身頃から外れてしまうまで、許容範囲を広げていくのはないかとの心配をしています。
誰か、私を注意して。