曜日

  • 2016年10月10日

OLをしていた頃は、しっかりと曜日を把握できていました。
「あー、月曜かぁ」で始まり、「あと〇日頑張れば土曜日だ」で過ごし、「のんびりする週末」に辿り着きます。
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フリーのライターになった時も、曜日を正確に認識できていました。
情報雑誌を担当していた時は、あちこち取材に行った後、自宅で決められた時間までに原稿を上げなくてはいけなかったため、曜日は勿論、時間も把握できていないと仕事になりませんでした。

作家になってから・・・曜日を捉える感覚を徐々に失いました。
そして今では「今日は何曜日か?」と問われたら、すぐには回答できない状態に。
特に水曜日と木曜日が苦手。
どこかで今日は木曜日と思って過ごしていて、さて、ゴミを階下のダストルームへ運ぼうという段になって、新聞を溜めてある引き出しを開ける。
と、いつもより溜まっていなくて、しばし固まる。
で、慌ててデジタル時計をチェックすると、水曜日と表示されていて、絶句。
今日は水曜日だったかと気付くのが、午後三時ぐらいだったりする。
それから手帳を開き、曜日を勘違いしていたせいで、どこかの誰かを困らせていないかを調べます。

土曜日と日曜日も難しい。
私が住んでいるエリアにはオフィスも多く、平日と週末では街の音が全然違う。
街の静けさは、部屋を閉め切っていてもわかるものなんですね。
で、静かだから週末ということはわかる。
とはいうものの、土曜日なのか日曜日なのかは、しっかりと把握はできない。
週末という意識はあるので、メールを出しても、返信は月曜日だなということはわかっている。
でも感覚としては「週末のどっちか」という程度。

このようになってしまったのは、曜日を意識しなくても暮らしていける環境になったから。
曜日の感覚というのは、常に意識していないと保ち続けられないものなんですね。

先日病院に行ったら、診察室からドクターの大きな声が聞こえてきました。
「今日は何年の何月何日で、何曜日ですか?」と患者に問うています。
待合室のベンチに座っていた私は、今日は・・・今日は・・・と必死で考えます。
私も同じことを聞かれたら、即答したいと思うからです。
年と月まではスムーズに出るものの、日にちが微妙。
4日か5日あたり? もしかすると、6日までいっちゃってるかもしれない。
日にちがそんなですから、曜日はさらに難しい。
マズイぞ。苦手な水曜日か木曜日あたりだぞ。
と、焦り出します。
で、早々に降参し、バッグから手帳を取り出して確認。
木曜日だったかぁと呟きました。

大丈夫でしょうかね、私は。
こんな私がもう一度、曜日を把握する感覚を取り戻すことはできるのでしょうか?

本を読む場所

  • 2016年10月06日

「いつ本を読むのか?」とよく聞かれます。
私はほぼ毎日半身浴をするのですが、その際本を読んでいますと答えます。
すると大抵「本がべこべこにならないか?」との質問が。
「なったことはありません」と回答します。

浴槽には二枚の蓋がありまして、その一枚だけを取り除きます。
一枚で覆えるのは浴槽の半分。
これが丁度良いデスク代わりになりまして、この蓋の上に本を置いて読んでいます。

以前住んでいた部屋にあったのはユニットバスで、蓋がなかった。
それでも半身浴と読書がしたかった私は、浴槽の縁に肘をのせ、本を持った腕をその縁で支えて貰って読んでいました。
これ、文庫だと楽勝なのですが、分厚い単行本だと腕がぷるぷるする。
腕を鍛えていると考えるようにして、毎日の読書タイムを過ごしていました。
これだと蓋がないため、本の真下が湯になり、その蒸気が思いっきりあたることになります。
それでも本がべこべこになることはありませんでした。
だからといって、この読書スタイルがオススメできるというわけではありません。

今から何年前のことでしょうか。
端末で本が読めると小耳に挟みました。
まず頭に浮かんだのは、それの防水対応はどうなっているのかということでした。
風呂場に持ち込むこと前提だからです。
やがてそういうものを自分の生活に取り入れた編集者が現れ出し、そうした話になる度、私は尋ねました。
「それ、防水対応はどうなっているの?」と。
すると「フツーぐらいじゃないですか」と、なんともいい加減な返事が。
「風呂場に持ち込んでも大丈夫かな?」と私が言うと、「それは無理じゃないですかね」と答えます。
フツーの中に風呂場は入っていない模様。
どうやら私の読書スタイルと、端末は相いれないと思っていたのですが・・・シートだか袋だかで端末を覆えるものが発売されたようです。
私のような人はそこそこいるのかもしれません。
独りじゃないとわかり、ちょっと嬉しかったです。

そのうち端末の種類が増え、また端末でできることが増えていきました。
そうなると私とは違う理由で風呂場に持ち込もうとする人が出始め、端末をラップで包んだり、チャック付きのポリ袋に入れたりと、それぞれが工夫をし始めたようです。

私はといえば、結局それまで通り、紙の本を風呂場に持ち込んでいます。
読書のスタイルの種類は増えました。
自分に合ったものを選択していただき、皆さんの読書タイムが増えたらいいなと思います。
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「手の中の天秤」の電子書籍版が配信開始になりました。
ご自分のスタイルに合わせて文庫にするか、電子書籍にするかを選んでいただき、楽しんでいただけたらと思います。

プールで悲鳴

  • 2016年10月03日

今夏泳ぎましたか?
水泳は夏の専売特許ではなくなり、今ではジムで一年中泳いでいるという人も多いかもしれませんね。
私は最後に泳いだのがいつのことだか思い出せません。
プールで使用されている消毒液が、私はダメなようなんです。
10分もすると全身に腫れが。
その腫れはどんどん広がり高さをもち、まるで立体地図のように盛り上がり、私を見た人が悲鳴を上げるほど、おどろおどろしい身体になってしまうのです。
が、当の私は痛みも痒みもなく、友人が「きゅ、救急車呼んだ方がいいよね」と慌てているのを、きょとんとして見ているといった状態。
で、シャワーを浴び30分ぐらいすると、元の状態に。
診察をして貰ったことはないので、あくまでも自己診断ですが、消毒液が原因ではないかと思うのです。
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小学生の頃は夏になると体育の授業でプールに入りましたが、こうした立体地図になることはありませんでした。
十分に消毒されていなかったんでしょうか。
それとも、まだ私の肌が強かったのか。
中学校、高校、大学と、学校にプールはありませんでした。
夏休みに友人らと有料のプール施設へ行きましたが、そこでも悲鳴を上げさせたことはないので、立体地図は二十代の中ば頃から始まったと思われます。

水泳は全身運動でとてもいいと聞く度に、いいなぁ、立体地図にならない人は・・・と長年羨ましく思っていました。
すると「知人が行っているジムのプールは、確かイオン洗浄方式だとかで、フツーの消毒液は使っていないと言っていた」と、友人が教えてくれました。
そこで、ネットで検索してみると・・・確かにプールの水質を、消毒液ではなくイオンの力で保っているところもあるようです。
自宅の近くにそういうプールはあるだろうかと更に調べてみると・・・徒歩で15分ほどの距離にあるジム内のプールが、そういうタイプだとわかりました。
この徒歩15分が、微妙。
10分だったら、楽勝。
でも15分となると、私からすると「結構歩く」という距離になる。
通わなくなる理由が、始める前からわかっているという状態に、すでに腰が引ける。
が、もしかすると私の性格が変わって「泳ぐために生まれてきたの、私。どんなに遠くても毎日通うわ」となるかもしれない。
ひとまず、ジムの営業時間や料金を調べてみようとそこのHP内をうろついてみると・・・「はぁ?」と大声を上げるほどの高い入会金。
さらに一ヵ月の会費が、今住んでいる部屋の家賃より高い。
どこのどいつが、ジムの会費にそんだけの金を払うんでしょうか。
もしかしてと思い、イオン洗浄方式のプールを擁するジムの会費を調べてみると・・・高い。
洗浄方式についてまったく記述がないジムと比べると、明らかに高い傾向がある。
勝手な推測ですが、イオン洗浄方式の方がコストがかかるんでしょうかね。
だから会費の安さをウリにしているジムでは採用していない。
採用しても採算が取れると判断するのは、高い会費を取っているところ。
このような事情がありそうです。

ということで、プールで泳ぐという計画は早々に消えました。

妄想から

  • 2016年09月29日


小説は作家の妄想から生まれます。
とはいうものの現実に出会った人や、こと、場所を小説の中に入れる作家もいらっしゃいます。
私の場合は必死で想像力を膨らませ、実際に存在する人や場所は書かないように努めています。
そうはいっても、自分の経験や出会った人をモチーフとすることはあります。

小説「嫌な女」には主人公の徹子が子どもの頃、近所の文房具屋に行っていたエピソードがあります。
これは私が子どもの頃に住んでいた家の近くにあった文房具屋をモチーフとして、イメージを広げて書きました。

「手の中の天秤」では主人公の先輩男性が、書店の二階にあるピアノ教室に通うというエピソードが出てきます。
これも、私が子どもの頃通っていたピアノ教室がモチーフになっています。
その書店は駅前にあり、長いこと通い続けた店でした。
物凄い急角度の階段を上がると、手前にエレクトーン教室の部屋があり、奥にピアノの教室がありました。
教室といっても四畳ぐらいの広さしかなかったので、アップライトピアノと生徒と先生でぎゅうぎゅう詰め状態でした。
部屋にちゃんとした防音装置はなく、隣のエレクトーン教室からの音が聞こえていたので、あまりいい環境ではなかったように思います。
元々やりたくて始めたピアノではなかったため、私は嫌で嫌でしょうがありませんでした。
親の手前家を出なくてはならず、レッスン開始時間前に書店に行くのですが、なかなか二階に上がらない。
で、本の立ち読みをする。
店内にある時計をちらちら見ながら立ち読みを続け、私のレッスン時間が終わる五分前ぐらいになって、やおら二階に上がる。
次のレッスンの生徒がすでにスタンバっているため、私は五分だけさっと課題曲を弾く。
まったく練習をしていなかったため、当然先生からOKは貰えない。
「来週のレッスンの時までに練習しておいてね」と先生は言い、「はい」と私は答える。
この不毛なレッスンを毎週のように続けていました。

「手の中の天秤」の中に出てくるピアノ教室にあるのはグランドピアノで部屋は広く、私が通っていた教室とは全然違います。
ピアノの先生のキャラも、生徒の熱心さも、私が経験したものとはまったく違っています。
小説の中でこのピアノ教室は、先輩男性の仕事では見せない一面を覗かせます。


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