友人の家に遊びに行ったら・・・子猫が。
友人を仮にA子としましょう。
A子は最近独り暮らしを始めることになり、それがあまりに寂しくて猫と暮らそうと思い立ったそうです。
捨て猫を新しい飼い主に繋げるボランティア団体の紹介で、その子猫と知り合ったとか。
この子猫がウルトラ可愛い。
こんなに小さくていいんですかぐらいの小ささ。
その子猫は子どもだからなのか、それとも性格のせいなのかとても臆病。
部屋に敷いてあるラグの角にびびって、そこを踏み越えられない。
ラグの中央に座るA子に近付きたいのに、近付けずに悶々とする子猫。
やがてミーミーと鳴き出し、A子が抱き上げて自分の膝にのせると、さっきまでとは違った声音でミーミーと鳴く。
「あそこの角が怖かったんすよ。あれ、なんなんすか。マジであれ、勘弁して欲しいんすよ」と訴えるかのように。
「ビビりだねぇ」と私が言うと、「そうなんだよ」と頷くA子。
ふとこの猫は自分が猫だとわかってるのか? との疑問が浮かびました。
そこでA子に「この猫に鏡を見せてみようよ」と提案すると、そうしようと話がまとまって・・・手鏡を子猫に近付けてみました。
じっと鏡の中の自分を見つめる子猫。
と、突然くるりと背中を向けて部屋の隅に退避。
これは鏡の中の自分を敵、しかも勝てない敵と認識した上での行動なのでしょうか?
子猫は部屋の隅にうずくまり、怒るでもなく、怯えるでもなく、ただじっとしています。
「自分ほんとなんでもないんで。関係ないっていうか、誰にもなんにも言わないっすから」と心の中で呟いているように見える。
どうしてこの子猫を擬人化した際、チンピラ風になってしまうのかわからないのですが、目の前の未知なものと戦うこともせず、コミュニケーションをとろうともせず、現実逃避を選択したこの子猫の将来がちょっと心配。
猫とはパートナーとして暮らすので、猫に話し掛けたり自分をママと言ったりはしないと宣言していたA子。
ところが・・・「ママのところにいらっしゃーい」とまさに猫なで声で呼びかけるA子を見た時、彼女の将来もちょっと心配になりました。
友人が一人暮らしする部屋。
初めてそこに遊びに行った時のこと。
キッチンとダイニングの間にちょこっと出っ張った場所がある。
恐らく構造上それは柱として天井を支える、とても大切で必要な出っ張りではないかと思います。
出っ張ったところの隣はというと、引っ込んでいます。
実際は引っ込んではいなくて壁とは直線なのですが、横に出っ張りがあるため、引っ込んでいるように感じる場所。
そこに古そうな焦げ茶色の木製椅子が。
ゴミ置き場から拾ってきたというそれは、かなりの年代物。
そこに薄い座布団が敷いてあります。
なんとなくそこに座ってみました。
すると・・・座面の床からの高さが予想外に低い。
足を前に投げ出さないと邪魔になるぐらい。
その低い位置からだとダイニングテーブルに着いた友人を見る時は、ちょっと見上げなくてはならない。
そしてキッチンで料理をする友人なんて、巨人かってぐらい大きく見える。
このちょいと下から見る感じがなんとも新鮮で、なおかつどこか懐かしい。
なんでだろうと巨人が料理をするのを見ながら考えたのですが、それが自分がまだ身体が小さかった子どもの頃に見ていた景色に、似ているからではないかと思い付きました。
大人はこんな風に大きく見えたなとか、ダイニングテーブルは下にあるものではなく、上方に存在するものだと認識していたなとか、そんな子ども時代の感覚が蘇ってきました。
なんか居心地がいいと私が言うと、「皆そう言って、そこから動かなくなるんだよね。でも背中真っ直ぐで木だから痛くなるよ」と忠告されました。
友人のアドバイスはスルーしてダイニングテーブルには着かず、その椅子に座って左手でパスタの皿をずっと持ちながら、右手でフォークをくるくる回して食べるというぐらいの気に入りよう。
1時間後トイレに行こうと立ち上がったら、お尻は痛いは、背中はぎしぎし言ってるわで、身体のあちこちから悲鳴が。
「あたたた」と呟きながらガクガクとした動きでトイレに向かう私に、「だから言ったじゃん」と友人から声が掛かりました。
椅子の堅さは論外ですが、ちょっと低い椅子を部屋に一つというのは、なかなかいいアイデアだと思いました。
10日間咳が止まらない。
熱はなく身体の不調は感じられないのに、咳だけが続く。
20年以上前咳が止まらず1年間苦しんだ経験があり、これは病院に行った方がいいだろうと判断。
近所の病院をネットで探してみました。
呼吸器内科の看板を出しているクリニックに絞り込んでみると、歩いて行ける範囲内に5つあると判明。
病院の口コミを検索できるサイトで調べてみたら・・・どの病院も名前は出てくるのですが、誰もコメントを残していない。
これでは選びようがないのでなんとなくで1つを選択。
土曜日は午前9時からとなっていたので、午前9時5分にクリニックのドアを開けると・・・待合室は大混雑。
やられた。
こんなに人気のクリニックだったとは。
待合室にはテレビがありそれをじっと見る。
そして3つの番組を見続ける。
こんなにただひたすらテレビ番組を見続けたのは、いつ以来だろうと記憶を探るも、答えは出ない。
名前を呼ばれたのは午前11時。
やっと診察室に入ると、そこにはイケメンのドクターが。
人気の訳を知った瞬間でした。
このドクター顔だけじゃない。
こちらの話を優しく聞いてくれる。
パソコン画面ではなく、きちんとこちらの目を見て話を聞いてくれる。
そして考えられる病名を挙げて、念のためにレントゲンを撮ると言い、その後の治療方法についても丁寧に説明してくれる。
またその薬で効果が出なかった場合に考えられる、次の治療方法についてもきちんと教えてくれる。
いい先生だったのです。
こりゃあ、混むな。
と、納得して待合室に戻ると・・・それまで気付かなかったのですが、女性患者のミニスカートの着用率がちょいと高いのじゃないかとの疑念が。
私の穿った見方でしょうか。
そのドクターは左手の薬指に指輪をしていました。
仮に独身であっても左手の薬指に指輪をしておいて、防御しておいた方がいいだろうなと、私はどこからの目線だかわからない視点で思い、「だな」と呟きました。
出張が多い友人がいます。
仮にA子としておきましょう。
A子は荷造りを10分で完璧に整えると言います。
なんでもリストを用意してあって、それを見ながら準備をしチェックマークを入れていくのだとか。
ホテルにある物を使用するのかそれとも持参するのか、これをしっかり決めておくのが、素早く荷造りをするコツだそうです。
例えば歯ブラシ。
大抵のホテルには用意されています。
が、その使い心地は様々で当たり外れがある。
外れた時のダメージは予想外に大きいので、A子は歯ブラシを持参すると決めているそうです。
このリストは国内用と海外用の2種類があるのだとか。
日本のホテルにはスリッパなどの部屋履きが用意されていることが多いので、持参リストに入っていませんが、海外のホテルでは絶対に用意されていないので、持参リストに入れておかないといけないという。
確かに。
私が初めて海外へ行った時、部屋履きを持参しませんでした。
そのことの重要性をわかっていなかったからです。
チェックインして部屋に入り、中をウロウロしている時には、この失態にまだ気付きませんでした。
シャワーを浴びた後です、気付いたのは。
シャワールームを出ようとして素足を一歩外に出した時、その足の先にあるのは靴だとわかった瞬間、思わず引っ込める。
じっと靴を見つめてしばし考える。
スリッパがない・・・ということは靴を履いてベッドまで歩くのか・・・靴は履かずにつま先立ちで走ってベッドに向かうという案と、どちらにするか悩む。
せっかく洗って綺麗になった足を、靴の中に入れることに抵抗感があるものの、素足でカーペットを走るよりはまだマシな気がする。
カーペットの上は自分もそうだったように、宿泊者たちが外を歩き回った靴の底が接する場所。
外で付いた様々な汚れが、カーペットに転写されていることでしょう。
そこを歩くということは外の路面を素足で歩くのと一緒。きっと汚い。
自分の靴の中も綺麗とは言い難いけれども、路面と触れてはいない部分なので、汚れが転写されてはいない。
と、ようやく答えを見つけた私は、靴を履いてベッドに向かいました。
シャワールームの前で長いこと固まっていた私を不思議に思った友人が、なにをしていたのかと聞くので、スリッパを持参しなかったことを心の底から後悔していると話すと・・・そんなこと考えもしなかったと友人は言いました。
そして彼女は素足で歩き回っていました。
おおっ。
抵抗感って人それぞれなんだなと思った瞬間でした。