今日は面白かった映画のご紹介。
まずは「エール!」。
フランス映画なのですがちゃんとストーリーがある。
そしてエンタメになっていて、きちんと結末ですっきりできるような作りになっています。
と、ここまで書いてくると、どんだけ普段フランス映画で苦労してんだろうと思われるかもしれませんが、そうなんです、苦労しています。
クレジット映像になった時「これで終わり?」と叫ぶことになるのは、大体フランス映画。
ちゃんとした結末が提示されず「で、結局、〇〇は捕まったの?」とか「〇〇はどっちの男を選んだのよ?」といった大事な点について、わからないままクレジット映像になってしまう場合が多い。
ところがこの「エール!」はフランス映画でありながら、正当なエンタメ作品になっていて楽しめます。
聴覚障害をもつ家族の中で唯一健常者の少女が、歌手になる夢をもち、その夢に向かって頑張る姿が描かれています。
印象に残っているのは家族で抱き合うシーン。
音のない世界に住んでいる彼らは黙って抱き合います。
そのシーンに音はありません。
気持ちを表現するのは、その抱き合う力だけ。
だから強く強く抱き合う。
胸に迫って来るシーンでした。
次にお勧めするのは「ロブスター」。
ギリシャのヨルゴス・ランティモス監督の作品です。
映画「籠の中の乙女」の監督です。
「籠の中の乙女」は大変強烈な作品で、観終わった時、凄い才能の映画監督がいるもんだと感嘆しました。
その監督の作品ということで「ロブスター」はかなり期待しながらの鑑賞。
そうした期待を裏切らない凄い作品です。
「籠の中の乙女」同様ぶっとんだ設定。
独身者が迫害を受ける世界。
45日以内にパートナーを見つけなければ、動物に変えられてしまう。
ただしなんの動物になるかは自分で決められる。
って、どういうルールだよと、思わず声を上げたくなるような設定。
この不思議な設定の中説明のようなものは一切なく、淡々と物語は進んでいきます。
そんな中にもくすっと笑ってしまうような可笑しみがあったり、時には背筋が凍るような恐ろしいシーンがあったりします。
人間が決めるルールの脆さと、残酷さについて描かれている・・・のかもしれません。
でもこの映画の場合はメッセージとか、テーマとか、そういったことは考えず、展開していく映像をシンプルに受け取ればいいように思います。
物凄い監督が、その才能を溢れさせている映画です。
昼食はお弁当です。
管理栄養士が考案したという、バランスが取れた、カロリーや塩分に気を遣った日替わりメニューのお弁当を、宅配して貰っています。
それはおかずだけなので、白飯は自分で用意します。
週に1度7食分が冷凍便で届きます。
これをレンジでチンして食べるのですが、漬物まで温まってしまうという問題が。
これを避けるためには・・・食べる10時間前に冷蔵庫に移して解凍し、チンする前に容器を開けて、漬物だけを取り出す必要があります。
これ、ちとメンドー。
ということで、直前にお弁当を丸ごとチンするため、温かい漬物を食べるはめになります。
コンビニのお弁当は滅多に食べないので、よくわからないのですが、この漬物問題は未だ解決されていないのでは。
この問題は漬物だけでなく、果物やポテトサラダ、醤油の小袋といった調味料などでも起こります。
AIだのなんだのと、時代はどんどん進んでいるんだよといったニュースを見聞きする毎日ですが、このお弁当の漬物問題が全然解決されないのは、どうしてなのでしょう。
本気になる人がいないからではないでしょうか。
是非とも本気で取り組んで欲しいと私は思うのです。
多分なんらかの工夫が施された容器を用意することで、解決されるのでは?
例えば・・・パキンと板チョコのように、端を切り離せるようになっていて、それだけ外せるなんてどうでしょう。
日本人は食べることにとても熱心という印象をもっています。
だからこそ作る側は、様々な工夫でベストな状態で食べて貰えるような、開発を続けてきたと思うのです。
紐を引っ張ると温まるというお弁当なんて、日本人じゃなきゃ絶対に生み出さないアイデアでは。
なのになのに。
お弁当の漬物問題は長いこと未解決のまま。
関係者の皆さま、頑張ってください。
と呟きながら、今日も温かいしば漬けを口に運んでいます。
風呂場で髪を洗っていました。
いつものようにぼんやりと。
すると突然「あれ?」と思う。
今、私が髪に付けたのは、コンディショナーだったっけ? と。
コンディショナーにしてはやけに泡立つ。
間違えてシャンプーのポンプを押してしまい、掌に出してしまった?
はて。
やがてもう一つの大きな疑問が浮かぶ。
私はすでにシャンプーを終えたのは確実か?
頭皮をごしごしした感覚がない。
だとすると、シャンプーを掌に出したのは合っていた?
いや、私のことだから、シャンプーは無意識の中ですでに終えていたというケースもあり得る。
大丈夫か、私。
ふと正面にある鏡の中の自分と目が合う。
固まっている表情の自分が不憫になる。
人生は何度でもリスタートできると、どこかで誰かが言っていた。
と自分に言い聞かせ、今、髪についているものを洗い流すところから始める。
そして「シャンプー」と声に出してボトルを確認。
掌で泡立てて頭皮に。
ごしごしする間中「シャンプーシャンプー」と呟く。
それを洗い流す間には「次はコンディショナー次はコンディショナー」と心の中で唱える。
コンディショナーを髪に付けて、それを洗い流す時には「これで終わりこれで終わり」と繰り返しました。
湯船に浸かりながら、これからは現状を心の中で呟きながら髪を洗わなくてはと誓いました。
皆さんはこんなことないですか?
洗髪とか歯磨きとか毎日同じことを繰り返す行為中に、それに集中できず別のことを考えていて、でも身体は習慣からいつも通り動いている――その最中に遠くにあった意識が身体に戻って来て、あれ? どこまでやったっけ、なんてこと。
私はたまにやらかします。
それはぽんこつのせいなのか、年のせいなのかはわかりません。
ビタミンが足りないとか、そんな理由もあったりして。
いずれにせよ、一日に何度もシャンプーするのは宜しくないので「シャンプーシャンプー」と呟くようにしようと思います。
女子会が開かれるレストランに向かっていました。
赤信号で立ち止まった時、前方にその女子会に出席する友人A子を発見。
A子は横断歩道の最前列にいます。
周囲に人がいて近付き難かったし、大きな声で名前を呼ぶのもちと恥ずかしかったので、歩き出したら追いつこうと考えました。
信号が青に変わりました。
と、A子が走り出した。
へ?
ワンピースを着てヒールを履いた中年女が、街中を結構真剣に走る姿って、そうそう見られるもんじゃありません。
時刻を確認しましたが、集合時間には余裕で間に合います。
フツーに歩いても、会の開始予定時間の5分前には到着できると思われます。
走る理由がわからない。
健康のためでしょうか?
レストランに到着すると、A子は涼しい顔ですでに着席していました。
「走ってたよね」と私が確認すると、「うん」と頷く。
それだけ。
説明がない。
そこで「なんで?」と尋ねると、A子は首を傾げる。
そして「なんでかな? なんとなく」と答えました。
はぁ?
なんとなく走る?
青春真っ只中の高校生かよ。
「よく走るの?」と更に質問すると、「どうかな。走ってる自覚はないけど、走ってる時があるかも」という。
走ってる自覚がない?
バッグを脇に抱えて両腕をしっかり振ってたっていうのに、それが無意識なのかよ。
絶句している私に、A子は「変だった?」と聞いてきました。
思わず「うん」と頷いてしまいました。
更に質問を重ねて確認しましたが、健康のために普段走っているといったことはなく、また昔陸上部だったといった過去もなし。
約束の時間に遅れそうだと思ってもいなかったと判明。
どうやら本当に走った理由が見当たらない。
街中をなんとなく両腕をしっかり振って走ってしまう中年女。
人間の不思議さについて考えさせられた一件でした。