北陸新幹線「かがやき」と「はくたか」では、7月1日から弁当の車内販売を止めるという。
なんか、寂しい。
新幹線にしょっちゅう乗っているといったヘビーユーザーでもない癖に、車内で弁当を買えなくなることに、反対票を投じたくなる。
これを報じた記事をよく読んでみると・・・車内販売を中止するのは弁当、サンドイッチ、デザート、土産物、雑貨とある。
そして今後はソフトドリンク、菓子、アルコール類、つまみのみの販売になると書かれている。
ん?
どうやら車内販売自体を止めるんじゃなくて、扱う種類を減らすってことのようです。
駅やコンビニで弁当を買って乗り込む人が増えて、車内であまり売れなくなったことが理由だとか。
私が是非ともお願いしたいのは、「かがやき」と「はくたか」の車内で弁当を売っていないことの告知。
昔、東京へ戻るため新幹線に乗った時のことです。
お腹はペコペコでした。
同行の三人も「お腹空いた」と連呼していました。
が、発車まであまり時間がない。
車内で弁当を買えばいいよね、と考えた私たちはそのまま乗車。
まだかな、まだかなと、首を伸ばして車内販売が来るのを待つ。
そして「来た」と誰かが言えば、別の1人が立ち上がり「はい」と挙手して、車内販売員にアピール。
そしてバッグから財布を取り出して、買う気満々でカートが来るのを待つ。
ところが。
弁当は売り切れていた。
スナック菓子もつまみもないという。
絶句する私たちに販売員はすまなさそうな顔で、滅多にないことなんですがと言う。
オレンジジュースが1本だけあったので、それを買い皆で分け合って飲みましたが、そんなもので腹が満たされる訳もなく。
どっちかというとオレンジジュースが入ったことで、胃が刺激されてしまったのか、飲む前より空腹感が増してしまった印象さえある。
「お腹空いたと言うのは禁止ね」と俄かルールを作り、皆で空腹を耐えることに。
車窓の景色を眺めるのですが、頭に浮かぶのは食べ物のことばかり。
鉄塔は串揚げに、電線は蕎麦に、ビルは食パンを思い起こすきっかけとなってしまう。
自分を励まし、仲間を励まし、なんとか空腹を凌いで東京駅に到着。
駅ビルのファストフード店に駆け込み、ハンバーガーを貪ったことを、はっきりと覚えています。
私たちのように悲惨な目に遭う人がいなくなるよう、ホームで「〇時△分到着予定の新幹線かがやきでは、弁当の車内販売はございませんのでご注意ください」といったアナウンスをしてあげて欲しい。
出来ることならみどりの窓口でも「弁当の車内販売はありませんから、必要ならご自分で買ってからご乗車ください」と言ってあげて欲しい。
チケットに「*弁当の車内販売はありません」と1行入れるのは大変ですか?
と、やり過ぎといってもいい対応を望んでしまうのは、私が経験者だから。
買えると思っていた弁当が、車内で買えないと知った時のショックは、筆舌に尽くし難し。
空腹を抱えての数時間が永遠に思えるのです。
だから全力で告知して欲しいと思うのです。
ゲーム依存は病気。
と、世界保健機関(WHO)が認定したとか。
ギャンブル依存症と同じ精神疾患に分類されたそうです。
認定されたということは、深刻な事態が世界的な規模で進んでいるのでしょう。
私は幼き頃から、ゲームを楽しいと思ったことが一度もありません。
ここでいうゲームとは機械と戦うもの。
トランプや人生ゲーム、オセロなど目の前の人と対戦するものは、結構好きなんです。
これはつまり・・・人と対戦するのは好きだけれど、機械相手に戦ってもつまらん。
ということ。
なので、ネットを通して人と対戦したら楽しいのかもしれませんが、未だトライしてみたことはありません。
小学生の頃にファミコンが登場しました。
私が通っていた小学校では、世の中同様大ブームに。
なんだかよくわからないけれど、もっていないとマズいみたいだと判断した私は、親におねだり。
買って貰ったファミコンをテレビにつないで、カセットを差し込む。
それはテニスのゲームでした。
ボールが飛んでくるので打つ。
またボールが飛んでくるので打つ。
これの繰り返し。
これのなにが楽しいんだ?
と、小学生の私は疑問をもち、数回やっただけでファミコンに別れを告げました。
来年1月に東京都が「eスポーツ」の大会を開催するとか。
参加者が熱い戦いをするシーンや、それを息を呑んで見守る観客たちの姿を、テレビニュースなどで見たことがあります。
挑戦者たちは皆真剣で、勝利に向けて頑張る姿は、アスリートとダブるものがありました。
だからこそ誰かがスポーツと名付けたのでしょう。
この「eスポーツ」の国内市場は拡大しているようなので、これから益々盛り上がっていくのかもしれませんね。
「ゲームばっかやってないの」
「違うよ、オカン。俺がやってるのはeスポーツだよ」
「ゲームでしょうが」
「だからeスポーツだって」
といった親子の会話が、あちこちで展開されているような気がします。
新卒採用の売り手市場が続いているとか。
就職氷河期を経験した人たちからすれば、なんとも羨ましい話です。
時代によって就職活動は随分と様変わりしますね。
どんな時代であっても「就職」では、学生側も会社側も、どちらも賭けの要素が大きいように思います。
学生は会社のデータを入手することができます。
資本金や創立年や年商額、初任給や有休消化率などといったデータは入手可能なので、比較することも出来ます。
でも欲しいのはそうした情報だけじゃない。
社風とか、社長の性格とか、職場の雰囲気とか・・・。
仮に知り合いやOB・OGがいて、話を聞ける機会があったとしても、それは今の会社の情報。
翌年には社長が交代して様子がガラリと変わったり、合併や、どこかの傘下に入ったりといった事態になるかもしれない。
結局どこの会社にするのかっていうのは、賭けになる。
会社側もそうですよね。
学校の成績や筆記試験の結果はわかりますが、その物差しでは欲しい人材を採り逃す可能性がある。
勉強の出来と仕事の才覚とはリンクしてないことが多いから。
面接時の受け答えだけで、その学生の将来性を推し測るなんて・・・賭けですね。
そのうちこうしたことはAIで解決して貰えるようになるんでしょうか。
私が知らないだけで、すでにもう使っている企業もあったりして。
『過去のデータからみて、こういう性格・考え方の人は40代で大化けするから、学校の成績は今ひとつでも採用するべし』なんてアドバイスが出て、採用担当者がそれを参考にするといった日も近いのかもしれませんね。
ただこうした場合には学生側だけじゃなく、社員全員をAIで分析して貰わないとダメですよね。
どんなに可能性を秘めた学生であったとしても、上司がタコでその才能の芽を潰してしまうかもしれないし、相性などもあるでしょうから、採用だけでなく、採用後の配属先でもAIにアドバイスを貰わないと。
AIにお伺いを立てて採用するような時代が来るのか、もう来ているのかはわかりませんが、出て来たアドバイスは、統計上上手くいく可能性が高いといったものでしょうから、ここから零れ落ちるケースというのはあるはず。
そんな時は自分を責めたり、へこんだりすることなく、次の場所を探して欲しいと思います。
転職を勧める気はないのですが、今の職場や仕事に行き詰まっていて、毎日が苦しいのであれば、飛び出してみるというのも選択肢の一つ。
これも賭けなんですけれどね。
なんだか就職や仕事では「賭け」ばかり。
いやいや。
他にも色々ありますね、「賭け」の判断を迫られる時って。
つまり・・・人生は「賭け」の連続なのでした。
友人A子からメールが。
明日写真スタジオで撮影するので、今日はその準備としてエステに行って来たと書いてある。
「写真スタジオで撮影って?」と疑問を書いて返信。
ブログやSNSで使用するプロフィール用の写真を、スタジオで撮影して貰うのだという。
「シミやクマを消すなどの修正はしてくれるのだけれど、一応エステに行っておいた方がいいと思って」と言ってきた。
突っ込みどころがたくさんあって、どこから攻めたらいいのかがわからない。
まずブログやSNSで使用するプロフィール写真は、そんなに重要なのかと私は尋ねる。
すると「当たり前だ」との回答が。
全世界に自分の顔写真が発信されるのであるからには、これぐらいでいいかなといった出来の写真を使用したら、一生後悔する。
100%納得できる自分の顔写真を用意し、それを掲載したいと宣う。
次にスタジオで撮影するとなるとお金が掛かるわけですが、その出費を後悔しないぐらいの仕上がりなのかと質問。
プロの力というのは凄くて、素人とは仕上がりは全然違うのだという。
オプションのヘアメイクも頼むそうで、プロたちの力の結集によって、大満足の1枚となるらしい。
素人とプロの違いというのは、私も体感したことがあります。
取材の種類によっては、ヘアメイクさんが付くことがあり、それをプロのカメラマンが撮影してくれます。
こうした時にはそのテクニックを1つでも学ぼうと、ヘアメイクさんの手元を凝視するのですが、普段私がやっていることとそう変わらない。
なのに、出来上がった顔を見ると・・・どちら様でしょうと、鏡の中の自分に問い掛けてしまいそうなぐらいの別人になっている。
そしてカメラマンの前に。
「右の肩を少し後ろに引いてください」「顔はこっちに」「目だけこっち」などと、細かい指示がカメラマンから出る。
私はただ言われた通りにする。
こんな不自然な体勢を取ったことは、生まれてから一度もありませんと思っていても言葉にはしない。
大人しく指示に従う。
そうして撮影された画像を見せて貰うと・・・本来の私とは違う生き物が写っている。
そしてプロってすげぇなと思うのです。
問題はヘアメイクさんが付かない時との差。
ヘアメイクさんが付くのが特殊で、多くの場合は自分で行い、それをプロのカメラマンが撮影。
カメラマンの腕によって、普段の私より充分マシにはなっているのですが、ヘアメイクがセルフだと限界が。
これによって私の写真には、2種類のものが存在することに。
が、それをいったい誰が気にするのかと考えると・・・私だけでしょう。
であるならば、私さえ忘れてしまえばそれでいいんだと、この論法で着地するようにしています。
1週間ほどしてA子のブログを覗いてみたら・・・じっと見続けた後で、えっと、多分、A子かな? となんとか確認できるぐらいのプロフィール写真でした。
やっぱりプロってすっげぇ。