子どもの頃に食べた記憶はなく、いつの間にか食卓に登場し、今や確固としたレギュラーの地位を獲得した野菜。
それはミニトマト。
一体いつ頃から食卓に登場したのでしょうか。
昔のトマトは黄緑色の部分が多くあるものも売られていて、硬かったような気がします。
それはやがて真っ赤なものばかり売られるようになり、ジューシーなものに変化。
包丁でくし型切りにして、サラダにどーんと入っている野菜でした。
そして皮はしっかりしているものの、中にトロトロした部分があるため、お弁当に入れられることはありませんでした。
それがミニトマトの場合は、カットせずに投入できるため、皮で守られてトロトロが出ない。
これによって、弁当箱の中でもしっかりとレギュラーの地位をゲット。
トマト界において、ミニトマトは成功者といっていいのでは。
従来サイズのトマトからは嫉妬されているんじゃないでしょうか。
このミニトマト、誰が開発したのか知りませんが、当初は理解されなかったんじゃないかと想像します。
「大型化するんだったらわかるけど、小さくするって? おかしいんじゃないの」といった意見が圧倒的だったのでは。
そうした否定的で無理解な周囲の声にもめげずに、信念を貫き通しで開発した・・・ドラマになりそうですね。
野菜に限らず新しいものを生み出そうとする時って、まず固定観念をもっている人と戦わなくてはいけないのですが、これがなかなか大きな壁だったりしますよね。
そして年を重ねてきて思うのは・・・自分の固定観念で、新しい発想を否定しないようにしたいということ。
そこそこ経験があると、それまでのやり方に固執して、それがベストだと思い込んでしまいがち。
でもそうじゃないかもしれない。
違う視点からの意見や、新しい発想の意見を、素直に聞ける耳をもっていたいと思います。
これって、結構難しい。
常に頭を柔らかくしておく必要がありますね。
小説の原稿が完成した時、編集者に読んで貰います。
読み終わった編集者から意見が出ます。
大きなことから、小さなことまで。
その中には思いもよらなかった意見が出されることも。
そうした意見の一つひとつを吟味して、最終的には自分で判断しなくてなりません。
編集者の意見に従って直すのか、それとも直さないのか、或いは別のアイデアで解決するのかといったことをです。
そうした時、迷います。
かなり悩みます。
正解がない問題を解いているような状態ですしね。
こうした時に自分はこうしたいといった視点ではなく、読者にとってはどうなのかといった視点で、編集者の意見を吟味できるかどうかが大事。
新しい発想を、そんなの聞いたことがないとか、書いたことがないといった、未経験を理由にシャットアウトしないというのを、肝に銘じるようにしています。
言うは易く行うは難し、なんですけれどね。
友人A男が離婚しました。
15歳年下のB子と、二度目の結婚をしたのは去年のこと。
A男は2度目でしたが、B子は初めての結婚。
B子の希望通り、結婚式は大きなホテルで盛大に開かれました。
A男はB子にべた惚れで、仲間たちは散々のろけ話を聞かされ続けました。
が、破局したそうで、A男を慰める会を開くというので参加することに。
現れたA男はすっかりやつれていて、掛ける言葉を思い付けない。
離婚の理由や経緯は聞かずに「まぁ、元気出してよ」と言う程度。
乾杯していいんだか、いけないんだかわからず、各自おずおずと勝手にグラスに口を付けるというぐずぐずのスタート。
当たり障りのないテーマを選びながらA男をチラ見。
ちょっとお酒を飲むスピードが速い気がするも「ピッチが速いんじゃないの」と誰もツッコめない。
そんなこんなでありながらも宴は進み、1時間程経った頃でした。
ふと、A男に目を向けると・・・泣いていた。
50代のオッサンの涙は、いろんな意味でこっちを哀しくさせる。
静まり返った部屋で「俺と同じ部屋で呼吸するのも嫌だと言われた」と言ってA男は泣く。
B子がそのような発言をするまでには、色々なことがあったのでしょう。
こうした場合には大抵「もっと素敵な人に出会えるさ」的な言葉を掛けてきました。
若い頃には。
が、50代のオッサンに、この言葉を掛けてもいいのかといった疑問が。
ちょっと無理矢理な慰めの言葉ではないのかといった、抵抗感を覚える。
しかしながら、いつの間にか人生は100年時代となっているようなので、まだまだこれから大恋愛をする可能性がゼロではない。
とするならば、20代の頃に掛けていたのと同じ言葉「もっと素敵な人に出会えるさ」を言ってもいいのでしょうか?
躊躇する私より先に仲間の一人が発言しました。
「いい経験をしたと思えばいいさ。別のところにある縁と繋がるために必要な、別れだったのかもしれないぞ」と。
お見事。
思わず、その発言者に拍手を送りたくなりました。
このアドバイスのあやふやさが、素晴らしいじゃないですか。
もっと素敵な人に出会えるとは言わずに、経験というフォルダーに入れてしまえとアドバイスしているのです。
更に「別のところにある縁」といった表現をすることで、恋愛対象者に限定させずにぼやかしている。
これによって趣味や仕事や社会貢献といった、様々な世界で活躍できる可能性があることを遠回しに示している。
この深い言葉を言ったのも50代。
さすが。
今度同じようなケースに出くわした時には、この言葉を使わして貰おうと頭の中にメモしました。
今日は最近観た映画の中から面白かったものをご紹介。
まずは「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」。
この星で知らぬ人はいないのではないかというほどの存在である、マクドナルドが誕生するまでの実話を基にした映画です。
私はマクドナルドの歴史について全く知識がありませんでした。
だから冒頭でレイ・クロックというオッサンが、アメリカの地方の町を一人で営業して回る姿が描かれている時には、頑張ってるなーといった思いで観ていました。
やがてこのオッサンはマクドナルド兄弟と出会い、彼らが始めたビジネスに猛烈に惹かれて、自分もやりたいから契約してくれと言い出します。
この時点でなんかヤな感じがしてくる。
押しが強いオッサンに対して、マクドナルド兄弟は人がいい。
だからマクドナルド兄弟が酷い目に遭いそうなで、マズいんじゃないのと、兄弟に注意してあげたくなる。
そして残念ながらこの予想通りの展開に。
レイはマクドナルド兄弟から根こそぎ奪っていく。
夢や理念や希望や未来を。
観終わった時、深い吐息が出ました。
一人の男の成功ストーリーとしてだけでなく、映画としての面白さも楽しめる作品です。
次は「ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー」。
こちらはドキュメンタリー作品です。
この作品を観て映画の世界に「絵コンテ作家」と「リサーチャー」という存在がいることを知りました。
絵コンテ作家であるハロルドと、リサーチャーであるリリアンの夫婦の物語です。
長年連れ添った夫婦の物語が大好きなので、この作品も期待して見始めました。
生い立ち、周囲の反対、生活苦・・・様々な困難を二人で乗り越えていく様が、当人をはじめとした多くの人へのインタビューによって描かれます。
更にそれぞれの仕事についての変遷も紹介されます。
有名な映画がどんな風に作られていったかといったエピソードも、興味深いものでした。
ハロルドは脚本を読み監督の頭の中を想像し、手書きで絵コンテを作成します。
それは、こういったアングルで、こういったセットでといったことが、ひと目でわかるような絵です。
その絵の通りに撮影していけばいい・・・それって、もうあなたが監督なんじゃないの? と言いたくなるような仕事。
それなのにクレジットに名前が出ないこともあったという裏方仕事。
そして妻のリリアンが担当していたのは、リサーチの仕事。
映画に説得力をもたせるため、実際はどういったものなのかを調べ上げるのが役目。
資料を探したり、ツテを頼って当事者に話を聞きに行ったりといった仕事で、時にマフィアにアポを取ることもあったようで。
そんな大変な仕事を、とても楽しそうに回想していたリリアンの姿が新鮮でした。
結婚離婚を繰り返すハリウッドにいて、ハロルドとリリアンの愛情は確固としていて、傍目からは羨ましいを通り越して、美しく見えます。
一人の人を深く愛して、また愛されていると感じられることの幸せ・・・その素晴らしさに気付かされるドキュメンタリー映画です。
初めて動物園に行ったのはいくつの時だったのか。
そして最後に動物園に行ったのはいくつの時だったのか・・・思い出せません。
友人A子は近頃動物園にはまっているそうです。
月に1度程度自宅近くの動物園に行き、ぶらぶらするのが楽しいと言います。
通ううちに動物たちと顔馴染みになり、今日は元気がないなぁなんてことがわかるようになったと、A子は主張します。
A子によれば一番味わい深いのは雨の日だとか。
雨をまったく気にしない動物もいるし、そもそも檻の中にいる動物は雨に打たれない。
ただオープン型の飼育スペースで過ごしているけれど、雨を嫌がる動物もいる。
そんな動物が小さな庇や樹の下に寄り集まっている姿は、目に焼き付くと言います。
普段は割と仲が悪くて、しょっちゅう諍いをしているような動物が「お前は出てけよ」的な意地悪はせず、体を寄せ合い狭い場所を分け合っている姿は、見習いたいような思いになるとも話していました。
動物を狭い空間に押し込めて、本来の生態系とは違う状態で飼育し展示するという、現在の動物園の運営スタイルは、世界的には否定される傾向にあるようですね。
そうなるとやがては遠足の行き先は、バーチャル動物園になっていくのでしょうか。
バーチャル動物園にするならば、すべてを再現して欲しい。
あの「え、なにこれ?」といったくさい臭いも、ぜひ再現して欲しい。
とかく制作スタッフは皮膚の質感や毛並み、動きの滑らかさといったリアリティーを突き進めていきがち。
でも動物って独特の獣臭があるし、糞の臭いも強烈。
それが生きているってこと。
だからこそ、そういう汚い、臭い部分は表現しないようにしようと、なんらかのブレーキをかけてしまいがちですが、それだと本来の姿ではありませんよね。
生々しさは失われ、その動物を見知ったことにはならないように思います。
そしてバーチャル動物園では、雨の日の動物たちの様子も入れて欲しいですね。
人生のピンチの時をどう遣り過ごすのかは難題ですね。
庇の下に寄り集まって、雨が止むのを待とうとするのもアリでしょう。
皆が一休みしている今動けば有利になると考えるのもアリ。
その決断は難しいし正解が一つとも限らない。
1つの会社に同じ目標をもっている2人がいたとしても、ピンチへの対処法も同じとはいかない。
そこに感情というやっかいなものが加わると、決断は更に難しくなったりする。
小説「オーディションから逃げられない」の中では、こういったことも描きました。