子どもの頃、生野菜に掛けるものといえばマヨネーズでした。
一択です。
稀にマヨネーズではなく、塩を選ぶ人がいました。
当時はマヨネーズを選ばず塩を掛ける人を、私は頑固者と思っていましたっけ。
中学生になったある日、食卓に瓶が置かれているのに気が付きました。
ドレッシングだと母が言いました。
音の響きが、なんだかオシャレだと思いました。
母はどこかで、そのオシャレなものの存在を知ったのでしょう。
マヨネーズを掛けていた時は、生野菜を食べているといった感覚でしたが、このドレッシングを掛けた途端、サラダを食べているといったものに変わりました。
以降我が家ではドレッシングが登場する日が増えていき、食卓には常に2~3本程度瓶が並ぶように。
その日の気分で、ドレッシングを選ぶスタイルになりました。
どの家も大体こんなもんだろうと思っていました。
数年前に友人A子の家に遊びに行った時も、食卓にドレッシングの瓶が3本並んでいましたから。
ところが。
友人B子の家に行ったところ、食卓に生野菜があるのにドレッシングの瓶がない。
有機野菜を自分で育てたの。本来の美味しさを味わって欲しいから、そのまま食べて。
なんて言われるんじゃないかと思い、だとしたら地獄だなと身構えました。
たまにレストランなどで、同じ理由から生野菜を、そのまま食べさせられる目に遭ったりすることがあるのですが、そんな時にはウサギってこんな気持ちなのかなと想像し「私はウサギじゃないけどね」とボヤきます。
固まっている私にB子が言いました。
「これと、これがドレッシングなの。お好きな方を掛けて」と。
よく見れば小鉢が二つ、テーブルの中央に置かれていました。
どちらにも小さなスプーンが入っていて、それを野菜に掛けろと言っている模様。
恐る恐る尋ねました。
「もしかしてドレッシングを自分で作った?」と。
「勿論」と答えるB子に、「凄いね」と言うと、B子は「料理を美味しく食べて貰いたいから、その前のサラダの味とのバランスが大事で、それを考えると自分で作った方が調整し易いから」と説明しました。
「なにそれー」と危うく叫びそうに。
料理人かと思うような発言じゃありませんか。
私は更に尋ねました。
「もしかして焼き肉のタレとか、鍋のタレとかも自作っすか?」と。
B子はにっこり微笑み「うん」と答えました。
B子がどういう時間の遣り繰りをしているのか、全然わかりません。
子育てをしてパート仕事もしながらで忙しいはずの主婦が、ドレッシングもタレも手作りしちゃうっていうのは、もはや反則。
こういう人がいると、それがスタンダードだと勘違いする男を生んでしまいかねない。
生野菜になにを掛けるかには、時代と考え方が反映されると知りました。
友人A子はタロット占いが趣味でした。
いっそのこと商売にしてしまおうと、数年前から占いの専用サイトに占い師として登録。
有料でお客さんを占っていました。
新型コロナウイルスが猛威をふるい出してからは、お客さんが増加して結構忙しいんだとか。
不安を抱えている人が増えているんでしょうかね。
A子によればお客さんは99%が女性。
10代から70代までと、幅広い世代を占っているそうです。
内容は圧倒的に恋愛に関する相談が多く、友人関係、家族関係、仕事関係の相談もあるそうです。
また「それ、占ってる場合じゃない」といった相談も時折持ち込まれるそうで、そんな時には専門の相談先を紹介していると言っていました。
十年ほど前のこと。
B子が長く付き合っていた彼から、プロポーズされたといった話が伝わってきました。
めでたい、めでたい。
ということで、皆で集まっての食事会が開かれました。
この時点で全員が、B子がこのプロポーズを受けると信じて疑わなかったんです。
全員のグラスにビールが注がれて、幹事が言います。
「B子、おめでとー」と。
そして全員がグラスを掲げて「おめでとー」と声を上げました。
そこでB子が笑顔で「ありがとう」と言うもんだと思っていたら・・・困ったような顔をしている。
あれ?
レストランの個室は静まり返り、皆は互いの顔を見回すばかり。
それからB子が話し出しました。
確かにプロポーズを受けたのだけど、占って貰ったら相性が悪いので、長続きしないと言われた。
それでプロポーズは断ったの。
と、言うではありませんか。
はぁ?
出席者たちは言葉を尽くして、B子を説得しにかかりました。
「自分の人生を他人の判断に任せてしまうの?」
「相性が悪かったなら、そんなに長いこと付き合ってなかったでしょ」
「まだ間に合うから、彼に謝って遣り直そうと言うべきよ」
などと、B子の気持ちを変えさせようとしました。
B子は言いました。
「プロポーズにすぐにはいと言えない自分がいて、答えを出せなくって占って貰おうと考えた時点で、すでに私が聞きたい答えは決まっていたみたい。だから相性が悪いと言われた時はほっとしたの。断る理由を教えて貰えたように思ったから」と。
出席者全員、ため息。
その後は「B子のこれからにかんぱーい」と唱和。
夜遅くまで食事会が続きました。
占いって、そういうところがありますよね。
すでに聞きたい答えは決まっていて、それを言って欲しくて、占いというツールを使っているだけだったりする。
だから迷っている体ではあっても、占い師を知らず知らずのうちに自ら誘導していく。
それがわかった上で、占いと付き合っていくのが良さそうですね。
私は占いをまったく利用しないんですが。
小説の中で登場人物がどんな家に住んでいるかを、しっかり書くようにしています。
それによって年収や生活レベルを、想像し易くなるであろうと考えるからです。
小説「諦めない女」に登場する京子は、タワーマンションに住んでいました。
その後京子はこのタワーマンション近くの、古いマンションに移り住みます。
住まいの変化は、京子の人生に変化があったから。
執筆していながら、それまでの暮らしぶりとの違いが、なんとも切なくなりました。
広さ、場所、どう暮らしているか・・・住まいには、その人の価値観や好みが反映されます。
駅から近いのがいい人。
家賃が安いのがいい人。
ペットと暮らしたい人。
こうした好みは、その人なりの一面を見せてくれます。
私はどうかというと・・・打ち合わせが出来る部屋という視点で、今の部屋を探しました。
以前住んでいた部屋がとても狭くて友人は呼べるけれど、打ち合わせなんて、とんでもなかったのです。
また交通の便が決して良いとはいえない場所にあり、自宅近くの喫茶店まで、編集者を越させるのも忍びなかった。
そこで編集者も来易いターミナル駅近くの、ホテルのラウンジで打ち合わせをするように。
そのラウンジまで、私は電車を2本乗らなくてはいけませんでした。
メンドー臭い。
そこで引っ越しを検討した際、今度は自宅で打ち合わせが出来る部屋がいいと考えました。
この視点で部屋を選びました。
そして部屋全体の半分ほどを来客スペースに充て、2人掛けのソファを1つに、1人掛けのソファを2つと、ローテーブルを用意。
これで、打ち合わせの度に靴を履いたり、バッグを持ったり、電車を2本乗ったりしなくても済むぞと喜んだものでした。
ところが。
物がどんどん増えていき、置き場所がなくなっていく。
そんな時ソファやローテーブルが目に入る。
ひとまず置いておくか、となる。
この「ひとまず」という単語は、時として「永遠に」という単語と同意語になったりします。
気が付けばソファとローテーブルには物が置かれ、それらが積み重なる状態に。
で、来客予定の30分ほど前になって、慌ててソファの上の物を片そうとするも、それらを置ける場所があるのなら、そもそもそこに置いていない訳で、そんなスペースは見つからない。
部屋の中をぐるぐる探し回った挙句、バスタブに隠すことになる。
来客の度に物をバスタブに隠し、ゲストが帰ると、またソファに戻すというのを繰り返しているうちに、当然ながらメンドー臭いという着地点に落ち着きます。
やがてマンションのすぐ近くにある、ホテルのラウンジを利用するように。
靴を履きバッグも持たなくてはなりませんが、電車には乗らずに済みます。
それになんといっても、物をバスタブに移動しなくても済みます。
ここ数年はもっぱら、打ち合わせにはこのホテルのラウンジを利用しています。
となると、そもそも打ち合わせをするために選んだ部屋というのは、なんだったのかって話になります。
今更自分が、整理整頓が出来る女になれるとは思えません。
己の性格を考慮に入れた上で、住まいを選ぶべきでした。
部屋選びに成功するにせよ、失敗するにせよ、どんな部屋で、どんな暮らし方をするのかは、その人の一面を窺わせます。
こんな視点で小説を読んでみるというのはいかがでしょうか。
ここ最近目につくのは高額商品の広告。
へ? と驚くような高額なハイジュエリーや、誤植でしょ? と疑うような金額の時計の広告を目にします。
クリスマス用でしょうね。
あなたのボーナス、狙われてますよ。
会社員からフリーライターになった当初は、ボーナスという単語を聞くと「いいなー」と羨ましくなったものですが、これだけ長いことフリーランスをしてくると「けっ」のひと言で済ませられるようになります。
コロナの影響で友人の中には、ボーナスが例年より減額される人が続出。
貰えるだけで有り難いと思えと、説教を垂れておきました。
友人A子の家ではボーナスの使い道について、毎回家族全員がプレゼンをするそうです。
家族の賛同を得られれば、ボーナスでの購入が許されるんだとか。
息子さんと娘さんがまだ小さい頃のプレゼンは、かなり可愛いものだったらしい。
息子さんが何故このゲーム機を買うべきなのかを、家族の前で必死にプレゼン・・・想像しただけで笑顔になってしまいますよね。
2人の子どもはすでに独立し、プレゼンは夫婦間だけで行われるように。
そして今年A子の夫、B男がプレゼンしたのは・・・自身のエステ通いだっとか。
男も見た目が大事であり、そのためにはプロの手によって、きちんと手入れをして貰う必要があり、これによって自信がつき仕事は勿論プライベートも充実する・・・云々かんぬん。
一方のA子は投資にトライすることを提案。
この提案にB男は「今?」と言い、A子は「今だからこそ」と答えたんだとか。
先の見えない今だからこそ、攻めないとというA子。
プロだって利益を上げるのが難しい混沌としている今、素人が始めるにはリスクが高いと心配するB男。
A子が熱心にプレゼンを進めていると・・・B男が自身の耳を手でふさぎ、目を閉じてしまったそう。
なにそれ? とA子が尋ねると、「言いくるめられていくー」と嘆き、押し切られていく自分が哀しいとぼやいたんだとか。
A子のプレゼンには力があったんでしょうね。
普段の力関係で、すでに勝負は付いていたんだろうとも思いますが。
結局、A子のプレゼンだけが通過し、ただしどういったものに投資するかは、二人で勉強してから決めるということになったそうです。
B男のエステ通いは却下されましたが、その代わりに、セルフで出来る手入れグッズの購入は許されたということです。
お金をどう使うかというのは、どう生きていきたいかにも繋がっていくものなので、とても大切ですよね。
あっ。
なんか小説が書けそうですね。