毎朝、起きるとまずするのは、スマホの電源を入れること。
それからスマホでラジオを聞きます。
食事の支度や、歯磨きやら、色々とやらなくてはいけないことが目白押しの朝の時間帯。
情報収集は目からではなく耳からに限定しておきたいので、ラジオはとっても便利です。
祝日やゴールデンウイークなどになると、いつもとは違う番組になります。
そんな時に楽しみにしているのが、NHKラジオの「子ども科学電話相談」。
子どもからの質問は「それ、私も知りたい」といったものばかりで、講師陣の回答を聞くのは勉強になります。

質問はジャンル別になっているのですが、そこに「恐竜」というジャンルがあるのに驚きます。
それだけ質問が多いのでしょう。
恐竜への質問をしてくる子どもたちのほとんどが、男の子。
たまーに女の子の質問が取り上げられることもあるのですが、ほぼ男の子たちばかり。
何故男の子たちは恐竜が好きなのか?
絶滅してしまった動物への哀愁か、大きいってことが好きなのか・・・不思議です。
この番組で子どもたちからの質問を受ける講師陣は、個性的です。
中には話がどんどん横道に逸れていく講師が。
相槌を打つ子どもの声に、飽きが入っていくのがわかる。
聞いている私も集中力が切れて飽きてくるのだから、子どもだったら尚更でしょう。
こういう先生って、いましたよね。
こういう先生の授業って、本人が思うほど生徒たちから人気がないものです。
司会者のアナウンサーが「〇〇君、わかりましたか?」と聞くと、もうメンドー臭くなった子どもが「わかりました」と答えて、話を終わりにしようとするのを耳にする度、こんな幼い頃から、諦めるということを知っているなんて凄いなと思います。
小中高大で、様々な教師の授業を受けてきました。
この先生の授業は面白いと思ったのは、残念ながらごく数人。
ほとんどの教師は教科書に沿って、内容を教えるだけでした。
面白い授業をしようとか、興味をもたせようといった考えの教師には思えませんでした。
と、まるで私は授業が面白くなかったのは教師のせいで、だから成績が悪かったのは教師のせいといった展開に、もっていこうとしているかのよう。
でも同じ授業を受けていても、しっかりと理解して、好成績を収める生徒たちはいたのですから、楽しい授業にしてよなんて望んでいること自体がダメなのかも。
理解出来なくても、話がつまらなくても「わかりました」と言える電話相談の子どもたちのように、もっと大人でいるべきだった・・・と、今頃反省しています。
大谷選手の活躍が素晴らしいですね。
日本のプロ野球で、今どこが首位なのか知りませんが、大谷選手のホームランの数は知っていたりします。
これは報道の量の違いでしょう。

二刀流での成功は驚きです。
野球の本場アメリカのメジャーリーグには、一流の選手が集まっています。
そこでしっかりと成績を出しているのが、凄いですよね。
その大谷選手が盗塁したというニュースを聞いた時には、驚き過ぎて顎が外れそうに。
足まで速いのかよ。
と、思いました。
どんな鍛え方をしたら、そんなことが出来る身体になるんでしょう。
天は1人の選手にいくつもの才能を与えたようです。
世の中にはいくつもの才能をもち、マルチに活躍する人がいます。
それに引きかえ私は・・・と、へこむことがあります。
そんな時には大切にしている言葉を唱えます。
「努力を続けることも才能の1つである」という言葉です。
これはある野球選手の父親の言葉。
息子の野球選手は、この言葉を書いた紙を枕元に貼っていたと聞きました。
この言葉を初めて聞いた時「それ、嬉しいな」と思いました。
私はなんの才能ももっていないけれど、努力を続ければ才能を1つもてるってことだから。
手帳に書いて時折眺めるようにしています。
小学校を卒業するにあたり、文集のようなものを作ることになりました。
そこに好きな言葉を書く欄がありました。
私が書いたのは「笑う門には福来る」。
どうして?
と、今は思います。
その時マイブームだったんでしょうか?
どこかで聞きかじったのかもしれません。
好きな言葉というよりは、こんな言葉知ってるよ、ぐらいの気持ちで書いたように思われます。
この文集の表紙は、生徒それぞれがオリジナルで作るのが決まりでした。
絵の上手な子は、絵やイラストを描いて素敵な表紙にしていました。
私は絵が下手なのに、絵を入れないと間がもたないと判断したようで、一本の木を描きました。
それだとやはり出来が悪いと子ども心に考えたのか、詩を入れました。
宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」です。
詩と表現しましたが、宮沢さんのメモとして残された作品ですね。
小学6年生の私がなにを思って、この詩を表紙に書いたのか・・・謎です。
今この詩を読めば、その素晴らしさがわかります。
またこの詩のように生きられたらとも思います。
あなたが大切にしている言葉はありますか?
医者から「なんのお仕事をしてるんですか?」とよく聞かれます。
あー。
と、心の中でため息。
何故医者は職業を聞きたがるのでしょう。
診察に必要な情報なのでしょうか。
その症状の要因に職業が関係しているかどうかを、確かめているとか?
その後の医者と私の展開が読めるので、なんだかなぁと思いながらも嘘を吐くわけにもいかず「作家です」と答えます。
ほー。
日常生活で「ほー」という相槌は、そうそう聞くものではないと思うのですが、私は診察室でしばしば耳にします。
「どんなものを書いているの?」と医者。
それ聞いてどうするのさ。
もう完全に診察ではなく、ただの好奇心ですよねと言いたくなる。
しょうがないので「どんなもの・・・エンタメ小説と呼ばれているようなものです」と答えます。
「なんにもないところから生み出すんだから、大変だ」と医者は言います。
「まぁ、そうですね」と頷く私。
医者は診察室に入って来た看護師に「作家さんなんだって」と、私の職業を報告したりする。
だから、それ、診察ですかって。

恐らく作家あるあるで、多くの作家が似たような経験をして、心中で「それ聞いてどうすんのさ」と思っているはず。
先日、胃の定期検査を受けました。
これまで行っていた病院は止めて、ネットで調べた初めの病院へ。
検査終了後に診察室で医者の前に座ると・・・内視鏡で撮影した胃の内部の画像を印刷した紙を見せられ、説明を受けました。
そして医者が質問を口にしました。「お仕事はなにを?」
出た。
「作家です」と答えると、妙に納得したような顔で「それではストレスがかかりますね」と言う。
「まぁ、そうですね」と私。
心中では、生きている限りすべての人にはストレスがあるだろうにと思うものの、口には出せない。
そして医者は、作家の仕事とストレスを結び付けて、薬を出してお大事にという流れにもっていきたいのだなと理解する。
胃は不調をストレスのせいにし易い臓器ですしね。
案の定、私が想像した通りの台詞を医者が発しました。
恐らく患者がどんな仕事を答えたとしても、「それではストレスがかかりますね」と言うような気がします。
働いていませんと答えたとしても「家に籠っている生活はストレスですよね」と話をもっていくのでは?
取り敢えず職業を聞け。それをストレスと結び付けて、お帰り頂け。
と、医科大学で教えているんじゃないかと思ってしまうんですが、本当のところはどうなんでしょうかね。
今、どうしているだろう。
時々そう思うのは、会社員時代の同僚A子のこと。
給料前になると、コンビニでバターロールパンを1袋購入。
それだけで1週間を乗り切っていました。
1日1個の計算です。
辛い1週間が終わり給料日が到来。
するとA子には笑顔が戻りフツーの食事に。
これを毎月繰り返していました。
なにか特別なことがあって、今月はピンチになったというのではなさそう。
根本的なところに問題があるとしか思えない。
確かに給料はびっくりするほど安かったのですが、額は決まっているのですから、その中で遣り繰りをしなくてはいけないと思うのですが、A子にはそれが難しいようでした。

数年後にA子は退職。
私も転職をしました。
それから5、6年後のことです。
表参道駅で猛ダッシュする女性を発見。
大人の女性が駅で猛ダッシュする姿というのは、あまり見ないので、驚いてその女性を目で追うと・・・A子でした。
なんか・・・頑張れ。
そう彼女の背中に声を掛けました。
A子は今、どこで、どうしているでしょうか。
ちゃんと暮らしているでしょうか。
先々のための資産設計を、計画通りに実行出来ているでしょうか。
小説「終活の準備はお済みですか?」には終活相談員が登場します。
三崎清、53歳。
ファイナンシャルプランナーに、自分の資産について提案して貰ったら・・・このままだと70歳で貯金はゼロになりますよ、と言われてしまいます。
すっかり目が覚めて慌てる清。
大雑把な計算をして、なんとかなると自分の目を誤魔化し続けてきた結果、老後の準備が出来ていなかったのです。
清は副業探しを始めます。
出来ることならその副業で、定年後にも稼ぎたい。
というか、稼ぐしかない。
すったもんだの結果、清がどんな選択をするのかは小説で。
そういう私も、全然他人事じゃないんだよなぁと思いながら書いていました。