去年から多くの人たちの生活スタイルが変わりました。
私もそうです。
元々引き籠りがちの生活ではありましたが、それでも、ちょいちょい出掛けていました。
そうした外出がなくなり生活は様変わり。
美術館に最後に行ったのはいつだったのか……思い出せません。
音声ガイドのサービスがあれば必ず申し込み、イヤホンを耳に装着。
ゆっくりと作品を眺めながら解説を聞く。
やがて足が疲れて、館内にあるオットマンを探して腰掛ける。
足の疲れが取れるまでぼんやりする……こんな時間も好きだったのですが。

劇場へもしばらく行っていません。
役者さんたちの生の演技に心を震わせる……なんて体験もすっかりご無沙汰です。
服も買わなくなりました。
断捨離中のこともあり減らしたいと思っている服を、買い足す気持ちにはなりません。
そうそう。
手土産も買わなくなりました。
手土産を選んだり、買ったりするのが好きで、雑誌などで見掛けると、そこのサイトにアクセスして、調べたりしたものでした。
でも打ち合わせや会議などがなくなると、当然ながら買わなくなり、またこうした情報をチェックすることもしなくなりました。
そしてメイク。
これもしなくなりました。
普段は化粧水とクリームを塗った後で、日焼け止めクリームを塗るだけ。
メイクは人と会う時だけ。
自粛生活で人と会わなくなるとメイクをしないので……やり方を忘れます。
病院に行かなくてはならず、久しぶりにメイクをしようと思ったら、その手際の悪いことといったら。
メイク道具をずらっと台に並べたのはいいものの、手順を思い出せず、えっと、どうするんだっけと、しばし固まる。
そうだ、下地だ。
で、下地を塗っている途中で、あっ、失敗したと気付く。
下地の前に、目の下にアイクリームを塗るようにと、ヘアメイクさんから教えて貰ったことを思い出す。
下地の上からでもいいだろうか?
それだったらしない方がいいのか?
正解はよくわからないけれど、今日はアイクリームはなしにしよう。
こんな調子。
あっ、しまった。こっちが先だったかと何度も呟きながらメイクをし、なんとかゴールに到着。
手慣れていた頃とはやはり仕上がりに差が出ていますが、しょうがない。
一からやり直す気も、時間もなし。
メイクって毎日やっていないと、やり方を忘れるものなんですね。
あれっ?
私だけでしたか?
大学などでは対面授業が始まっているようですが、一部ではオンライン授業も継続されているようですね。
このオンライン授業を、実際の学生さんたちはどう思っているのでしょうか?
新聞の記事によれば、賛否がわかれているのだとか。
通学時間がゼロになることとか、何度も再生出来ることとか、チャットで気軽に質問出来るといったいい点がある一方で、実習や実験が出来ないことへの不満があるようです。

テレビのニュース番組では大学生が、体育の授業は先生がバスケットボールの動きを解説している動画を見ているだけで、これで単位を貰っていいのかと思ったと語っていました。
授業の科目によっては、オンラインに向いているものと、向いていないものがあるでしょうね。
私は大学生時代は国文科専攻でした。
ただひたすら先生の話を聞いているだけの授業ばかりでした。
オンライン授業でも問題なさそうな学科でした。
オンライン授業だと、何度も再生して受講出来るのがいいなと思います。
以前、囲碁を習いに行っていたのはリアルな教室でした。
そこで他の生徒さんたちと一緒に、複数の先生から教わっていました。
先生は皆丁寧に親切に教えてくれるのですが、なかなか身に付かない。
私の理解力が低いんでしょう。
覚えるのも遅いですし。
コロナ感染が広まったため、教室に通うのは諦めて、違うスタイルの囲碁レッスンを受講することにしました。
まずソフトと対局し、その棋譜をメールで先生に送ります。
数日後に先生からアドレスが届きます。
そこにアクセスすると、ユーチューブのあるページが再生されます。
そこでは私の対局を再現しながら、この時にはここじゃなくて、こっちですね・・・といった解説を聞くことが出来ます。
このスタイル、私にはとっても合っています。
何度も再生出来るから。
一度教えて貰ったぐらいじゃ理解出来ない私は、何度も再生してようやく、そっか、そうすればいいのかと理解する。
教わった通りにソフトと対局してみると・・・勝てたりします。
リアルな教室だとちゃんと理解していないのに、首を捻ってばっかりじゃ、先生に申し訳ないとの気持ちのあまり「わかりました」などと、その場しのぎをしてしまいがち。
他の生徒さんもいるのに、私ばっかりに時間を掛けさせちゃ悪いしなんて、殊勝な気持ちもありますしね。
動画ならば気兼ねなく、理解出来るまで何度も何度も再生出来るのが、囲碁には合っています。
自分に合うレッスン方法を見つけたのならば、さぞかし上達したのではと思いましたか?
ま、思いますよね、話の流れからいっても。
ところが。
そうはいかない。
囲碁は奥が深いのです。
自宅マンションのエレベーターに乗ったら・・・ケンタッキーのフライドチキンの匂いが。
誰か買って帰って来たんだな。
と、思った私。
冷凍庫にチキンがあったはずだから、唐揚げにしよう。
と、エレベーターの中の残り香で、夕飯のメニューが決まりました。
以前なにかで読んだのですが、スーパーの野菜売り場で人工的に作ったカレーの匂いを薄っすら放出させると、その日はジャガイモと人参と玉ねぎ、カレールーが売れるんだとか。
わかる。
そんな匂いがしたら、夕飯のメニューはカレーライスに即決してしまうでしょう。

もしあなたがスーパーで、ふと今夜はカレーにしようと思ったなら、どこかから人工的に作ったカレーの匂いが、放出されているのかもしれませんよ。
ジャガイモや人参を買わせられるぐらいだから、へぇなんて言っていられますが、応用されたものが出現したら、ちと怖い気がします。
戦闘意欲を高める匂いとか、憎悪の感情を増す匂いとか・・・人々の心を操る手段として匂いが使われたりしたら、逆らうのは難しいかも。
考え過ぎでしょうか。
子どもの頃に母とお出かけをした時の思い出には、ナフタリンのにおいがいつも一緒でした。
防虫剤のにおいです。
今の防虫剤は無臭が当たり前ですが、昔のには強いにおいがあり、箪笥に長く仕舞っておくような服には、それがしっかりと移ってしまっていました。
だから箪笥の隅にあった、とっておきの服を着た母の横を歩く時、ナフタリンのにおいを嗅ぐことになったのです。
祖母から貰うものには、いつもお香の匂いがしていた思い出もあります。
匂い袋をバッグや服に忍ばせていたせいでしょうか。
色鉛筆や折り紙などにお香の匂いがすると、祖母を大好きだった私は、祖母を近くに感じられて、気持ちが落ち着いたものでした。
他の孫たちからは、お婆ちゃん臭いと評判が悪かったようですが。
小学六年生の時には家庭教師が我が家に来ていました。
実力より上の学校を狙っていた私を、塾だけでは間に合わないと判断した親が、家庭教師を付けてくれたのです。
その女性家庭教師が来るのは午後八時頃。
その先生からはいろんな匂いがしました。
その匂いから、その日の先生の夕飯を想像するのが、密かな楽しみでした。
んー、今日は難しいなとか、絶対に豚肉の生姜焼きだと思うなんて日がありました。
実際に今夜の夕飯はなんでしたかと尋ねることはしなかったので、私の予想が当たっているのか、外れているのかわからないのですが、想像するのが楽しかったことを覚えています。
匂い。
どうも奥が深そうですね。
友人A男の趣味は釣り。
密にはならない場所で楽しむ趣味なので、コロナの影響を受けず、一人で川に行っているそうです。

退屈しない? と尋ねました。
すると「退屈する」と回答。
なんでも退屈するために、わざわざ釣り道具を持って、川に行っているといっても過言ではないんだとか。
とっても退屈したいのだと言います。
実際魚が餌に食いついてリールを動かした、なんて時間はほんの数分で、それ以外のほとんどの時間はボーっとしているだけ。
川のせせらぎを聞きながら、ボーっとする時間が最高なんだとA男は言います。
その日、釣りを始めてまず頭に浮かぶのは、仕事での嫌なこと、家庭内のいざござ、心配事など。
そういうことを考えている間の気分はブルー。
でもやがて考えるネタも尽きてくる。
すると無のスポットにすとんと落ちるらしい。
心がゼロになっている感覚に気が付いて、それがとても気持ちいいのだとか。
写経を始めた友人B子。
彼女もまた同じようなことを言っていました。
「文字を書いているでしょ。そうするとね、気が付くと無の状態になっているのよ」と。
なんか……羨ましい。
これまでの人生を振り返ってみましたが、彼らがいうような無の状態の経験はありません。
ちょっと損をしているような気分。
と、友人C子に愚痴ったら「ウオーキングとかランニングをしてみたら? やってる途中でそういう感覚になるよ」と言いました。
なりません。
と、私は速攻で否定。
以前健康のために自宅近くを一時間ぐらいかけて、ウオーキングしていたことがあります。
その歩いている間、私の脳内は活発に動いていました。
どうして歩こうなんて思っちゃったんだろう。こんな暑い日は止めておけば良かった。わっ。犬の多頭飼いだ。最初は1頭から始めたのかしら。2頭目を飼おうと決めた時と、3頭目を飼おうと決めた時は同じ感覚だったのかな。うっそー、あのオジサン、スラックスにアイロンを掛けるって習慣がないのかな。あっ、またここにあったお店、潰れちゃったんだ。場所としてはいいのに……なんて具合で、考えることがいっぱいあって忙しいぐらい。
無の境地なんて全然訪れませんでした。
心がゼロになって気持ち良くなる……そんな感覚を味わえる日を待ち侘びています。