新聞を読もうとしたら・・・購読しているのとは違う新聞だった。
購読している新聞は、私が住んでいるエリアでは人気がないようで販売所がありません。
だからライバルであるはずの、別の新聞社の販売所に、配達を依頼するというスタイルを取っています。
今朝届いたのは、その配達を依頼されているところの新聞でした。
間違いか、或いは作為的なものか。
しょうがないのでその新聞を読むことにする。
まずその文字の大きさに驚く。
普段読んでいる新聞の1.5倍はありそう。
そして書体の違いのせいなのか、インクの量の違いなのか、文字が濃い。
だから読み易い。
しみじみ思う。
購読している新聞は読み難かったと。
やはりこの配達ミスは作為的なものかも。
「ほら、うちの新聞はこんなに読み易いよ」と言いたいがために、わざと違う新聞を入れたのではないかとの疑いが強まります。
普段読まないので紙面構成も内容も新鮮。
紙面の1/4ほどを使って、警視庁人事が掲載されています。
所属名と指名だけがずらっと。
凄い。
「そうそう、これ、待ってたのよ。欲しかったんだよね、この情報」と喜ぶ読者って誰?
紙面の1/4を使って掲載するほどの、価値がある情報なんでしょうか?
そしてテレビ欄がカラー。
これも新鮮。
広告を出稿した番組の欄には色が付けられていて、目立つようになっています。
非常に広告主を意識した作りに、営業意識の高さを感じます。
普段読んでいる新聞のテレビ欄なんてカラーじゃないし、文字が小さいから読み難い。
本当は削りたいと思っている欄だけど、慣例なのでやっていますといった、嫌々感がぷんぷんしているのに。
更にラジオ欄の大きさも新鮮です。
テレビ、ラジオの番組をチェックする読者が多いとの判断から、このようにしてあるのでしょうかね。
なんだかこっちの新聞の方がいいような気が。
単純な配達ミスだったのかもしれません。
しかしもし作為的なものであったとしたら、まんまとその術中に嵌りつつある私。
購読料金はどれくらい違うのか、チェックしてみようという気になっています。
短歌を楽しむ若い人が増えているのだとか。
SNSなどで短い文章で遣り取りをする今。
31文字で表現する短歌との相性がいいのかも。
以前、俳句が趣味という人物を、小説の中に登場させたことがあります。
執筆していたら、物語上、その彼の作品とする俳句が、少なくとも3つは必要になってしまいました。
どうする、私。
俳句なんて作ったことがない。
国語の授業中に、昔の人が詠んだ俳句の勉強をした記憶はありますが、その歌の意味を教えて貰っただけのような・・・。
ということで、生まれて初めて俳句を捻り出すことに。
五七五というのは知っている。
つまり合計17文字。
季語なるものを1つ入れるお約束事がある。
ここまでは分かっていますが、分かっているのはこれだけとも言える。
どういう手順で作るのが、スタンダードなのかも分からない。
しょうがないので季語がずらっと並ぶリストを探し、その中からいくつかを選ぶ。
その季語を使って、俳句らしく見えるものを作ろうと必死に考える。
17文字という制約の壁にぶち当たる。
仮に季語が5文字だとすると、残りは12文字しかない。
これでなにをしろと?
そこで私がまずしたことは・・・執筆中の小説に加筆。
俳句好きの登場人物が、下手な横好きであるという文章を入れました。
これで下手な俳句でも、違和感をもたれずに済みます。
そうしておいてから俳句作りにトライ。
私は長編の小説を書いています。
ちょっと油断すると「気が付いたら100枚超えちゃってました。へへ」というぐらい、言葉をたくさん使って世界を作っている。
こんな私にとって17文字でなにかを表現するのは、とんでもなく大変。
もうこの登場人物が俳句好きという設定を、止めようかなと百万回思いましたが、自分を叱咤激励しながらなんとか作りました。
これをきっかけに俳句を作るように・・・とは、ならなかった。
最近短歌を楽しむ人が増えていると知り、短歌ならば・・・との思いがちらっと。
短歌は31文字。
季語も不要。
俳句よりもハードルが低そうに見える。
それでもたったの31文字で表現するのは、難しいものでしょうが。
枕の厚みがあり過ぎると、脳卒中リスクが高くなるとの記事を発見。
なんでも厚みがあり過ぎる枕を使っている人の方が、そうではない人より、脳卒中の原因となる突発性椎骨動脈解離を、発症するリスクが高くなるという。
枕の厚みがあり過ぎると首が曲がってしまい、負荷が掛かり易くなって、発症する可能性があるらしい。
たかが枕。
されど枕。
枕は大事ですね。
先日もこのブログに書きましたが、オーダーメイドした枕を使い始めてから、頭痛に襲われなくなりました。
枕が大事というのを、身をもって実感しているところです。
頭痛薬を飲まなくて済む生活は快適です。
皆はどんな枕を使っているのかと聞いてみると・・・A子は「枕は使わない派」。
「なんで?」と強めに聞いたら、「いつから始めたのか覚えていないほど、小さい頃からそうだったので、今更変えられないから」と回答。
女優さんの中には枕を使わない人もいると、聞いたことがあります。
首にははっきりと年齢が出ます。
皺や弛みを避けるには、枕を使わない方がいいとする考え方をもつ派があるので、それを採用しているのかも。
B子は「抱き枕派」。
抱いた枕の端に頭を乗せるため、首をかなり曲げる状態になるそうですが、特段苦しくもないのでこのスタイルを貫いているそう。
ただ目覚めた時に枕を抱いてないことも多いらしい。
こうした時には、頭は敷布団の上に直置き状態だそうなので「枕は使わない派」に入れてもよさそうです。
C子は「タオル重ね派」。
バスタオルを折り畳み、好みの高さにして使っているとのこと。
肩凝りに悩まされ、自分に合った枕を探し歩くこと3年。
枕探しの旅にうんざりしていたある日、やけっぱちでバスタオルを畳んで寝てみたら、人生初のすっきりした目覚めを体験したそうで、それ以来バスタオルを使っていると言っていました。
色々な派があるようですが、それが医学的にオーケーな使い方なのか、厚みなのかを検証した方がよさそうですよね。
使わなくなった化粧品を、絵の具として活用する動きがあるらしい。
確かに色は豊富だしラメ入りの物などもあるから、とてもいい再利用ですね。
これを始めた人、天才。
アイシャドーやチークなどは86%の人が、使い切らずに捨てているとの記事もありました。
この数字、分かる気がします。
私もアイシャドーやチークが、ドレッサーの引き出しにたくさんありますから。
そもそも新商品を出し過ぎじゃね? と思っています。
各メーカーが画期的だの、新発想だの、待望のだの、人気色だのと謳って、どんどん新商品を出してくる。
その量がハンパない。
興味のない人から見たら、ほぼ分からないぐらいの小っちゃな違いしかないのに。
ガンガン広告を打たれて、そういった物を目にしているうちに、今使っている物は時代遅れなんだと思うようになっていく。
アイシャドーやチークは全然減っていないのに。
使い切れないぐらいの量で販売するのではなく、もっと少量にして安くしたらどうなんでしょう。
1ヵ月ぐらいで使い切れる量とか。
1回ごとの使い切りなんて物があってもいいかも。
私はリキッドファンデーションをスポンジで顔に塗る派。
このスポンジを清潔に保つのが、私にはちと難しい。
まず肌が弱いので、普通以上にスポンジを清潔な状態にしておかなくてはいけない。
週に1度中性洗剤で洗い、よく乾かすといいらしいのですが、この洗うという行為にハードルを感じます。
どれだけ濯げば、汚れと洗剤が落ちるのかが分からない。
この程度でいいんじゃね? と自分の勘を信じたら、湿疹が大量出現して皮膚科行きとなったことが。
そこでディスカウントストアで安いスポンジを大量購入し、使い切りとすることに。
私は毎日化粧をしないので、使い切りにしてもそれほどの額にはなりません。
使い切りにしてみると、洗ったり、本当に洗えただろうかと自分を疑ったり、干したりといったことが一切なくなるので、ノーストレス。
毎回新品のスポンジで塗れるので湿疹も発生せず、助かっています。
先日テレビで使い切りの食器用スポンジが人気だと、紹介されていました。
おお。
ナイスアイデア。
確かに食器用スポンジを清潔に保つのは難しい。
1日ごとの使い切りにすれば、菌の増殖はかなり防げそう。
使い切りにするには、1個当たりの価格がいくらになるかという点が一番の問題ですが、紹介されていたそれは、とてもリーズナブル。
売れているというのも納得の価格でした。
再利用と使い切り。
これからはこれがキーなんだろうな、などと勝手に思っています。