コンビニが24時間営業でなくなるかもしれませんね。
そうなったら暮らしはどうなるでしょうか。
便利な生活に慣れるのはあっという間ですが、不便になっていく生活に慣れるには、少し時間が掛かりそうな気がします。
我が家のすぐ近くにあるコンビニは以前から、オーナーは土日を休みにしたいと思っているだろうと推測していました。
平日と休日の混み具合がまったく違うから。
来店客のほとんどが周囲の企業で働く人たちという店なので、休日にはガラガラに。
その店の立地によって、色々な営業形態がある方がいいのかもしれません。

以前住んでいた家は私鉄のA駅から徒歩1分ほどでした。
残念なことに終電はA駅まで行ってくれず、ひとつ手前のB駅まで。
B駅からA駅まで遅い時間に、住宅街を15分ほど歩かなくてはいけませんでした。
街灯はあるものの、静まり返った住宅街を1人でとぼとぼ歩く15分は、疲れを倍増させるような時間でした。
世の中の多くの人はすでにぬくぬくとした家の中で、眠りについているのだろうなと思い、深夜にたった1人で歩いている自分の境遇を、不憫に感じたものでした。
そんな時、遠くにコンビニの灯りが見える。
あぁ、コンビニはやっている。
当時それは当たり前のことでしたが、その当たり前のことにほっとしたものでした。
そんな時間に活動しているのが、自分だけじゃないと思えたからでしょうか。
吸い寄せられるようにコンビニに入り、そこそこ客がいたりすると更に少しほっとして、翌日のパンを買ったりしたものでした。
そのコンビニとは別の場所にあったコンビニは、自宅からのアクセスが良く、しょっちゅう行っていました。
そのうちに顔見知りになっていく。
50代ぐらいとお見受けするパートのC子さんは、月曜から金曜まで毎日シフトに入っているといったことまで、把握するに至る。
ある日、そのコンビニが閉店に。
前日まで綺麗に商品が並んでいた棚が撤去され、工事関係者らしき人がうろうろしている。
窓ガラス越しに中を窺い、意外と広かったんだなと思う。
3日ほど経った頃、工事中のその前を通り掛かると・・・それまであったのとは違うコンビニのロゴが入った看板を取り付けている。
コンビニが撤退した場所に、別のコンビニが出店する?
びっくりしましたが、着々と工事は進み、外装のデザインがそれまでとは違うコンビニのものになっていく。
窓ガラスにはスタッフ募集の紙が貼られ、そこには未経験者さんも大歓迎と書かれていました。
1週間後、入り口の横に開店を祝う花輪が2つ。
そして店の前ではいかにも関係者といったスーツ姿の男性3、4人が、立ち話をしている。
買いたいものがあったので入店してみると「いらっしゃいませ」と女性のハスキーな声が。
その声には聞き覚えが。
レジ方向へ顔を向けると、C子さんが新しい制服姿で立っていました。
応募したんだ。
それで採用されたんだ。
目が慣れていないせいでしょうが、その新しい制服がC子さんとしっくりこない。
どうもどうもといった体で接するべきなのか、それとも初めましての体で接するべきなのか迷う。
結局、C子さんはレジ仕事を手慣れた様子で行い、私は笑っちゃうのを堪えながら支払いをしたのでした。
山形大学医学部によれば、「笑わない人」は「笑う人」より死亡率が2倍高いという。
ちょっとびっくりするデータです。
2万人の健診データを収集して分析した結果だとか。
データの規模が大きいので信頼性が高そうです。

笑う頻度では「ほぼ毎日」の人が36%、「ほとんどない」は3%だったとのこと。
ここで思う。
私は今日笑っただろうかと。
あ、笑った。
さっき人間ドックの予約を確認する電話をしたのですが、相手があまりに取っ散らかっていて、その仕事の出来なさ加減に、思わず笑ってしまったのでした。
昨日はどうだったのか?
打ち合わせがあったので、喋ったり、話を聞いたり、考えたり、迷ったり、最終的に決断したりといったことはしましたが、笑ったかどうかは記憶にない。
笑顔を作ったとは思うんです。
喧嘩腰で打ち合わせに参加する訳じゃないので。
ただ笑ったかどうかははっきりしません。
基本的に自宅で執筆する毎日なので、そもそも人と接する機会が少ない。
なので、笑う機会自体が人と比べて少ない。
マズいですね。
死亡率が高くなってしまいます。
本や映画、テレビなどを楽しんでいる時はどうでしょう。
そうそう笑わせてはくれないですよね。
と、ここまで考えて不安になってきました。
本を読んで大笑いしたのは・・・小説のタイトルも著者名も忘れてしまったのですが、海外の作品でした。
時間を行ったり来たりするタイムトラベルもの。
定番中の定番ものなのですが、その作品は他のと違っていました。
設定は、現実を変えるために過去のある時点に行き、修正をして現在に戻って来るという、タイムトラベルのオーソドックスなものと一緒。
ただ1ヵ所修正したら、そこから新たな展開をしてしまい、変えたかった結果が思い通りのものにはならなかった。
そこでまた前回とは違う過去のある時点に行き、修正をして現在に戻ってみると・・・また予想とは違う展開をしていた。
そんな風に現在と過去を行ったり来たりして修正をしているうちに、主人公はもうなんだかわからなくなってしまう。
どこをどう修正したら思い通りの結果になるのかと。
そしてやけくそになって、時間軸の中のあっちこっちに出没するという物語。
そのやけくそっぷりが可笑しくて、大笑いしました。
こんな風に大笑いする本をたくさん読んで、笑うようにしたいと思いました。
寝具メーカーが小型犬用のマットレスを発売したとか。
犬も人間同様眠りにはこだわった方がいいんでしょうね、恐らく。
ただ猫はいいのか? といった疑問はもちましたが。

頭痛が続いていて、どうしたものかと思っていました。
寝ている時から「あー、明日絶対頭痛になるな」とわかるんです。
予兆をひしひしと感じてしまう。
で、朝目覚めると、ほら、やっぱり。
頭痛の気配がしっかりとある。
この感覚はいつか来た道。
現在の枕と出合う前には、こんなことがしょっちゅうありました。
しかし枕を替えてから、こうしたことはなくなっていたのですが・・・。
枕がへたったのかと思って履歴を調べてみたら、現在の2代目は去年買ったばかりと判明。
突然枕との相性が悪くなったのでしょうか。
ネット検索してみると・・・枕をオリジナってる人たちの映像がたくさん。
私もオリジナるべきなのか?
と考えて、首の下に巻いたタオルを敷いて、首の傾斜を微妙に変えてみるといったことにあれこれトライしてみました。
バスタオルでは解決しなかったので、フェイスタオルにしてみるなど、厚みの調整に心を配って試してみましたが解決せず。
再びネット検索。
枕メーカーの人が、インタビューに答えているといった体の記事を発見。
「突然枕が合わなくなったのですが、どうしたらいいですか?」といった一般の人からの質問を受けていました。
おっ、私もそれ。
と、身を乗り出す。
その回答は・・・それは枕のせいではなく、身体の方に原因があると考えるべきでしょう。
というものでした。
こっち?
枕のせいだとばかり思い込んでいましたが、私の方が原因だとすると・・・思い当たる節はある。
囲碁を始めてから首の凝りがハンパない。
スマホ首が世間では話題になっていますが、私の場合は囲碁首。
首をやや前に倒した姿勢で碁盤を睨み、次の一手をどうしたらいいのかわからず固まる、といったことが多いのです。
そこでネットで簡単そうな首のストレッチをざっくり覚え、やってみることに。
ゆっくりぐるぐると頭を回してみたら、ゴキッゴキッとなんだか恐ろしい音がする。
なにが鳴ってる音なんでしょうか。
怖いながらもストレッチを終え、就寝。
すると・・・頭痛が来ない。
たまたまかもしれない。
と、思いながらストレッチを続けていると・・・頭痛にならない。
なんとなんと。
枕メーカーの人が言っていたように、私の方の問題でした。
「一瞬でもあなたを疑ってしまった私を許して」と、枕に頬擦りをして許しを請うたのでした。
首凝りに悩む皆様。
ストレッチ、侮れずでございます。
オリンピックチケットのゲットは出来ましたか?
私はダメでした。
全滅です。
朝、メールボックスを開けると、東京2020組織委員会からメールが来ているのを発見。
わわっと慌てながら開いてみると・・・落選と書いてある。
一気に哀しみのどん底に。
が、ふと、これは偽メールかもしれないと思い付き、その考えを気に入る。
そこでチケットのサイトへアクセス。
ログインしてマイページを確認してみると・・・落選となっている。
本物のメールだったか・・・。
残念無念。
簡単だとは思っていませんでしたが、1枚ぐらいは当たってくれるんじゃないかと、期待していたんですが。
それにしても・・・トランポリンもダメだったことがショックでした。
「頼むから、ほっといてくれ」という小説で、トランポリン競技の選手たちを描きました。
その取材過程で、トランポリン競技の面白さと大変さを知って以降、選手たちを応援しているつもりでいたので、東京オリンピックでは会場で、との思いが強かったのです。
が、落選してしまいましたので、テレビ観戦することに致しましょう。
私の周囲では落選した人たちばかりで、当たったという話を全然聞かないのですが、当たった人はいるんですよね?
その幸運な人たちは観戦日に向けて、カウントダウンが始まっているんでしょうか。
これからの400日弱は当選者たちにはワクワクでしょうが、選手の皆さんにとってはドキドキな期間でしょう。

まず出場権を獲得しなくてはなりません。
これが大変。
緊張という魔物がいるし、怪我やコンディションや、運や、いろんなことが絡まり合って、どんな物語が用意されているのか誰にもわからない。
だからこそその結果に感動するのですが。