手足の指先が冷えます。
1年中冷えていますが、この時期は特に辛いです。
物心ついた時から、私はこの冷えと死闘を繰り広げてきました。

西で新商品が発売されたと聞けば購入し、東に温めグッズの噂があれば、その品を突き止めて試す。
そうやって生きてきました。
現在自宅で執筆中の際には、ブーツ型の湯たんぽを履き、首に巻くタイプの湯たんぽを膝に載せるという対処で、事なきを得ています。
問題は外出した際の手先足先の冷え。
手袋をしてタイツを履いて出掛けるのは勿論、バッグにはカイロをハンカチに包んだものを仕込んであります。
会議室や飲食店などでは、このカイロを包んだハンカチをぎゅっと握りしめることで、冷えとの静かな戦いを続けます。
一方足の指先の冷えについては、未だ私は負け続けています。
靴用のカイロや、インナーソールなどを試してきたのですが、キツくなるばかり。
痛みを我慢して履き続けても、肝心の指先は満足するほど温かくなってくれません。
先日友人A子と食事をしました。
個室は座敷でした。
ふとA子の足元を見ると・・・素足。
思わず悲鳴を上げてしまいました。
「寒くないの?」と尋ねると、「靴を履くと密閉されるせいか、熱くてしょうがないんだよね。靴下なんてとんでもなくって、一年中素足だね」とA子は答えました。
世の中にはそんな人もいるんですね。
神様、不公平です。
私がこれまでの冷えとの闘いを切々と語ると、A子は「大変だねぇ」と言いながらも笑顔いっぱい。
なんで笑うかなぁと文句を言うと、「一生懸命過ぎてちょっと笑える」とコメント。
これだもの。
手足末端冷え性じゃない人って、手足末端冷え性の苦しみを理解できないんですよね。
社会を分断するものは色々あると思いますが、手足末端冷え性と、そうじゃない人での分断も深い。
負けるな、冷え性。
たとえ理解されなくても、信じる道をひた走り、自分に合ったグッズを見つける旅を続け、いつの日か冷えを完全に追い払おうではありませんか。
手足の先は冷えていても、心は熱くして頑張りましょう。
友人A子の家に遊びに行くと、手作りマフィンがテーブルに。
料理上手の人って幸せそうに見えますよね。
A子も幸せそうです。
テーブルには黄金色の瓶が3つ。
A子は「好きなハチミツをマフィンに掛けて」と言い、黄金色の瓶を指差しながら味の説明を始めました。
ハチミツを3種類常備している家って、この世にあるのか? と私は腰を抜かさんばかりに驚きました。
雑誌やSNSなどで見かけることはあっても、ファンタジーだと思っていました。

我が家に現在ハチミツはありません。
身体にいいとどこかで聞いて、チューブ式のを買ったのは随分と前のこと。
何度かトーストに掛けてみたりした後、突然興味をなくし、使わなくなってしまいました。
ハチミツは冷蔵庫の奥へ奥へと移動。
その存在をすっかり忘れた頃、偶然に冷蔵庫の中で発見。
腐ってはいないだろうと、久しぶりにトーストに掛けてみようとチューブを押す。
が、すっかり硬くなってしまっていて、どんだけ手に力を入れても出てこない。
温めるしかない感じ。
でもチンするにしてもこのままではダメと思われ、別の容器に移し替える必要がありそう。
しかし別の容器に移す方法がわからない。
こうなるとハチミツの行き先は2つ。
冷蔵庫へ戻るかゴミ箱か。
しばし考えた後冷蔵庫へ。
これを何度かリピートした後、ゴミ箱へと進むことに。
ハチミツは私の手には余るのです。
それにひきかえA子は3種類のハチミツを見事に使いこなしている模様。
前から凄いヤツだとは思っていましたが、改めて尊敬。
端の瓶を指差し、これはどんな時に使うのかと尋ねてみる。
煮物の時に砂糖のかわりに使ったり、鶏肉を焼く前に漬け込むタレにそのハチミツを混ぜたりすると言うA子。
おお。
やはりしっかり使いこなしている。
丁寧に生きているように見えるA子に感化されて、自宅に戻り冷蔵庫の中をチェックしてみると・・・豆板醤の瓶やマスタードのチューブ、カットワカメ、刻み海苔の袋を発掘。
いつ買ったのか思い出せない。
買ったら使え。
使わないなら買うな。
と、自分に言い聞かせました。
多分料理って、発想を柔軟にして、いろいろなことに挑戦するのが上達への道なんでしょうね。
午後3時頃いつものようにゴミを捨てに、エレベーターに乗り込みました。
住んでいるのは6階。
ダストルームは1階にあるので、ほぼ毎日のようにゴミ袋を手にエレベーターに乗ります。
ゴミをダストルームに移すこの時に、ついでにポストまで行って投函し、マンションに戻って来て、郵便受けに入っている新聞や手紙などを取り出すこともします。
ほぼルーティンになっている作業。
こんな時の私はぼんやりしています。
普段からぼんやりしているのですが、いつも以上にぼんやりしている。
それは自宅から外に出るという感覚がないからかも。
「ほぼ自宅」と思っているんでしょう、多分。
これは小さなマンションのため、ほとんど住人と出くわさないことも影響しているかもしれません。
エレベーターが1階に到着。
ドアが開き降りると・・・ぱっと灯りが点きました。
センサーなのか、エレベーターと連結しているのか、以前から降りた途端に灯りが点く仕組みになっています。
ところが昨日はその灯りがいつもと違った。
ものすんごい明るさ。
これまでの明るさが10だとすると、突然50ぐらいになっている。
たまに取材などでプロのカメラマンに写真を撮っていただくことがあるのですが、そうした時眩しいぐらいの光を当てられます。
その時ぐらいの明るさなのです。

思わず私はキョロキョロ。
どうした、なんだ。
ぼんやり気分は吹き飛びました。
ゴミを捨て、ポストに向かい、投函してUターン。
マンションの1階に戻り鍵をセンサーに翳すと、自動ドアが開きます。
するとまたぱっと灯りが点く。
これが先程のように眩しいくらいの明るさ。
何故か少し恥ずかしくなる。
強い灯りに照らされただけで、なんだか人目を意識した時のような感覚に。
すっぴんにボサボサの髪で、愛用し過ぎてヨレヨレのスエットにコートを羽織っている私に、スポットライトを当てないでくださいなと呟きながら、郵便受けを開けようとしたら、動揺しているのか、ダイヤルを回し過ぎて開錠に失敗する。
再トライして新聞や郵便物を取り出すと、急いでエレベーターに乗り込みました。
強いライトから逃れることができてほっとしたのか、思わず吐息が。
電球を替えたのでしょうか?
5倍ぐらい明るくできる電球があるのでしょうか?
それほど明るくする必要性を、管理会社が感じた理由はなんでしょう。
理由はなんであれ、私はその明るさに慣れるしかないのでしょう。
「ほぼ自宅」と思っていた場所が、「外部」となってしまったようで、なんだかなぁといった気分です。
趣味をもてと人は言う。
人生が豊かになるし、生活に張り合いが出るし、友人ができるだろうと。
そうでしょうとも。
がしかし、それはあくまでも、ほどほどに熱中した場合のこと。
そのはまり具合によっては家庭内で孤立したり、夫婦喧嘩の原因になったりもする。
友人A子の夫、B男の場合は・・・。
忠臣蔵が好きだというのです。
5年ぐらい前にたまたま忠臣蔵のテレビドラマを見たそうで、その時号泣したとか。
皆様ご存知の通り忠臣蔵は物語のタイトルです。
赤穂浪士の仇討をテーマにしたものは、歌舞伎や浄瑠璃、映画や小説などにおいて、ひっくるめて忠臣蔵と呼ばれます。

B男はそれまでも忠臣蔵の話を知ってはいたが、なんとも思っていなかった。
それが5年前のある日、忠臣蔵が彼の胸に突き刺さってきた。
それから時代劇のDVDを集め始め、関連本を買い、忠臣蔵をテーマにしている舞台を観に行くように。
A子が言うには、忠臣蔵を題材とした作品は物凄い数があるそうで。
あっという間にDVDや本はコレクションと呼べるぐらいになったとのこと。
平日の帰宅後にそうしたものを1人で鑑賞しては、毎度泣く。
そして休日にはこれまた1人で舞台鑑賞に行ってしまう。
文句を言うと、それじゃ一緒に行こうと誘われて、何回か観劇にA子も参加。
が、どれも忠臣蔵がテーマなので、登場人物も、そのキャラも、結末もわかっているから、全然楽しめないとA子は言う。
なのに隣のB男は毎回目に涙をいっぱい溜めて、感動しているのだとか。
A子はもう誘わないでと宣言し、B男は放置することに。
やがてB男は同じように忠臣蔵に惹かれる愛好家たちと知り合い、映画などで赤穂浪士たちが討ち入りの際に着ているのと同じデザインの和服で、居酒屋に集まったりしているそう。
B男は毎日楽しそうで忙しそう。
なのに夫婦の間では会話らしきものがどんどん減っているそうで、それがA子は気に入らない。
B男を放置すると決めたものの、幸せそうなのが癪に障ると言うA子。
こうなったら自分も夢中になれる趣味を探そうと動いたようですが・・・なかなか見つからないと嘆いていました。
どんな趣味でもいいけれど、それに対する熱中が、周りから応援して貰える程度におさまるといいのですが。