クリスマスですね。
この日を指折り数えて楽しみにしている方は多いのでしょう。
ですが私はよく忘れる。
しかしながら12月になると、あっちこっちで「クリスマスだぞ」と教えてくれる。
フツーの居酒屋の前に小さな電飾ツリーが置いてあるのを見つけ、「あぁ、そっか」と思い出す。
眼科クリニックに行くと、待合室の窓ガラスにツリーやサンタクロースのシールが貼ってあり、「あぁ、そっか」と思い出す。

これぐらいの興味の低さのため、今度の飲み会のタイトルがクリスマス会だということも、すっかり忘れていました。
クリスマス会と称すその飲み会では、千円以内のプレゼントを持ち寄るというお約束があったのでした。
そのプレゼントは誰に渡るかはわからない。
輪になってクリスマスソングを歌いながら、隣の人へとプレゼントを次々に渡していく。
そして曲が終わった時に、手にしていたものを貰えるというルール。
これ、難しいんですね。
千円というシバリも難しいのですが、参加者には男性も女性いるので、どちらに渡るかわからないというのも大変。
なのにクリスマスを忘れがちの私は、プレゼントを用意することも失念していました。
思い出したのがクリスマス会の4日前。
マズい。かなりマズい。
誰が貰っても便利といったモノにするか、笑いを取れるモノにするか二者択一です。
過去のクリスマス会で最高に盛り上がったのは、つけ毛のプレゼント。
シュシュのようにゴムが付いていて、お団子にした髪にそれを装着すると、カーラーで巻いたようなくるくるしたボリュームのあるヘアスタイルに、一気になれるという便利グッズ。
それが当たったのが男性でした。
使い方を説明されたその男性は、薄くなった自分の頭頂部にそれをポンと載せました。
大笑いしましたね。
もう今日ここで笑い死ぬかもしれないと、恐怖を覚えるほど笑い倒しました。
当人も気に入ったのか二次会のカラオケボックスでも、ずっと頭にそれを載せていました。
笑いを取れるモノというのは、これだけ切羽詰まった状態では無理だと諦め、グレーのマフラーにしました。
そのプレゼントは女性に当たり、気に入って貰えたようです。
私はグリーンの地のハンドタオルで、中央にツリーがどーんと描かれている、クリスマス感いっぱいのモノを貰いました。
好きなアーティストの新アルバムが出たと知りました。
それじゃ買おうといつものサイトへ。
ところがCDなら売っているのですが、ダウンロードでは購入できない模様。
このサイトではCDもダウンロードでも購入してきたのですが、今回のようにダウンロードだけできないというのは初めての経験。
別のページにあるのだろうかと、あっちゃこっちゃへ移動してみる。
が、定額の音楽配信サービスを勧めてくるばかりで、肝心の買いたいアルバムのダウンロードがあるのか、ないのかはわからない。
結局諦めて他のサイトへ。

そこは普段映画のDVDを定額プランで契約しているサイト。
調べてみると、ここではその新アルバムをダウンロードで購入できるらしい。
このサイトで音楽をダウンロードで購入するのは初めてですが、別のサイトでは何度もしてきたのだから大丈夫だろうと高を括る。
そして購入。
するとあっという間に「ダウンロードが終了ました」との文章が。
早過ぎないか? との思いを抱えながらパソコンの中を探してみると・・・どこにもダウンロードされていない。
そこで「再ダウンロード」のボタンをクリック。
瞬きを二回した頃には「ダウンロードが終了しました」の文字が。
早過ぎる。
パソコンの中を探してみましたがどこにもなく、今度もまたダウンロードに失敗した様子。
Q&Aのページで、私と同じように困っている人からの質問への回答を読んでみると、なんとかかんとかが、なんとかかんとかになっているかどうかを確認し、なっていなければ、なんとかかんとかに設定を変更してから、ダウンロードしろと書いてある。
書いてある単語の意味がわからないので、それを一つひとつ調べていかなくてはいけないのかと考えた途端、眩暈を覚える。
そしてまた恐怖も感じる。
それは「設定を変更して」というところ。
すでにお気付きだろうと思うのですが、私はPC・ネット関連にとても疎く相性も悪い。
結構な長い付き合いになるのですが、互いに心を開けていない。
今年PCを買い替え、同時にスキャナーやプリンターやレコーダーを変更し、通信環境も変えたのですが、丸ごと詳しい方にお願いしました。
私はなにをしたかというと、どのボタンを押せばスイッチが入るのかを覚えたことぐらい。
設定もすべてお願いしたので、私はどうなっているのか全然わからないし、できればそうしたことにはタッチしたくない。
下手に私がいじったら、それまでできていた他のことができなくなる可能性は高い。
「設定を変更して」などという言葉を気軽に使わないでいただきたいのです。
どうすっかなぁとしばし考えた結果、まず1曲だけダウンロードをしてみようと決意。
アルバム全曲を一気にダウンロードはできなくても、1曲だけならできるかもと考えたのです。
その根拠は・・・ありません。
ただなんとなくです。
で、やってみたらできた。
1曲だけPCのダウンロードのファイルに入りました。
再生できるのを確認し、良かった良かったと胸を撫で下ろした時、曲のタイトルが変な漢字の羅列になっているのに気が付きました。
そこで正しいタイトルに名前を変更。
これを15曲分繰り返しました。
予想外の時間と手間が掛かり、すっかり気持ちが疲労しました。
それじゃ聴いてみようかと再生してみると・・・音楽ファイルではなく映像ファイルとなっているようで、ファイルを最小化すると音楽が止まってしまう。
そしてリピートができず、アルバムの最後の曲になったらそこで止まってしまい、最初の曲に戻ってくれない。
再生中に他の動画は見られない。
といった状態です。
度々思うことなのですが、世の中は本当に便利になっていますか?
私のようなぽんこつにとっては、却ってしちめんどーくさい世の中になっていってるのですが。
電車に乗っていた時のこと。
昼間の車内は空いていました。
私の隣に座っていたのはお母さんらしき女性。
その女性は前に置いたベビーカーのハンドルを、しっかりと握っています。
仰向けに寝るタイプのそのベビーカーの中では、赤ちゃんがすやすやと眠っていました。

育児にお疲れなのか母ちゃんも爆睡。
眠り込んでいるのにベビーカーのハンドルをぎゅっと握っているところに、母の愛を感じます。
ふとベビーカーの中を覗き込むと、赤ちゃんが両手を真っ直ぐ天に向けて伸ばした状態で、眠っていることに気が付きました。
どうやら寒くないようにと厚着をさせた結果、赤ちゃんの肩幅とベビーカーの幅がぴったりになってしまった模様。
隙間がなくなって身動きがしにくい状態になってしまい、赤ちゃんは天に向かって前へならえをしたままで眠っている様子。
可愛いし、可笑しい。
母親になにかを訴えるつもりで、両手を上げたのでしょうか。
でも自分の肩がすぽっとベビーカーの横枠に嵌ってしまい、両手を下ろせなくなってしまったのか。
その時赤ちゃんはパニックになったでしょうか。
それとも「ん?」ぐらいだったでしょうか。
そんな状態でありながらも、やってきた睡魔に負けてしまったのでしょうか。
赤ちゃんが天に向かって前ならえをした状態で眠っていることに、母親は気付かず爆睡を続けています。
隣に居合わせた者として、赤ちゃんの腕を直してあげるべきだろうかと一瞬考えましたが、とても気持ちよさそうに眠っているのを起こしてしまってはと、自重しました。
その後私は母娘より先に電車を降りたため、赤ちゃんの腕がどうなったのかはわかりません。
別の日には、二十代ぐらいの女性が車内で爆睡している姿を見かけました。
その女性は首を後ろに倒し大きく口を開けていました。
疲れているのでしょうか。
無防備過ぎます。
私は鼻に難があり出先で辛くなった時のために、使い捨てのマスクを持ち歩いています。
同じ電車に乗り合わせた者として、口呼吸で眠るその女性に自分のマスクを掛けてあげるべきだろうかと一瞬考えましたが、とても気持ちよさそうに眠っているのを起こしてしまってはと、自重しました。
電車の中ではいろんな人を見かけますね。
ファッションへの熱には波があります。
どうでもいいやと思う時期と、こういう風にしたいと必死で研究する時期があります。
15年ぐらい前どうでもいいやと思う時期でした。
私はこの時期を自分の人生の第2氷河期と呼んでいます。

身繕いに興味がなくなった私はぶくぶく太り、今よりも14キロ多い体重になりました。
当時の私はダークブラウンのニットの上下と、黒のセーターとスカートを、かわりばんこに着ていました。
太ったために手持ちの服が着られなくなり、だからといってファッションへの興味がゼロになっていたため買う気にはなれず、ウエストがゴムではくことができたのが、この2着だったのです。
その頃知り合った人たちからは「ダークブラウンの人」と言われていました。
この第2氷河期はどうやって終わったのか。
第2氷河期に入り半年ほど経過した頃、小説を書き始めました。
そして私にとって書くことが生きることだと知りました。
辛いけれど楽しいことを見つけたのです。
すると不安定だった精神が安定したようで、周りのこと、自分のことに興味をもてるようになりました。
さらに不規則だった生活のリズムが規則的なものへ。
こうなると体重が落ち始めます。
とたちまちファッションへの興味が復活。
メイクの練習をしてみたり、雑誌で服の勉強をしてみたり。
気が付けば第2氷河期が終わっていました。
久しぶりに会った友人A子は、氷河期に入っているように見えました。
待ち合わせはホテル内のレストラン。
スタッフに案内されて歩いていると、その先に老けた女がぽつんと座っているのが目に入りました。
スタッフが真っ直ぐそこへ向かって歩くので、もしかしてと思っていると、その老けた女がやっぱりA子でした。
驚愕の表情を必死で抑え「久しぶりー、元気だった?」と明るい声を上げる自分に演技賞をあげたい。
目の前に座るA子と、自分が同い年だということに打ちのめされながら、メニューを開く。
注文を済ませて、無難な話題はなんだろうと必死で考えるも浮かばない。
喉が渇いてもいないのにグラスの水ばかり飲む。
A子はノーメイク。
なのでシミ、クマ、たるみがドーンと飛び込んでくる。
きっと事情があるのだろう。
そう思った私は、A子の近況に探りを入れるべく話題を選んで口にする。
ところがどうもA子は幸せそう。
夫との仲は良さそうだし、子どもも順調に育っている模様。
となると、幸せ故の「ファッションなんてどうでもいいや」みたい。
私の場合は精神が不安定になった時に「ファッションなんてどうでもいいや」が訪れましたが、幸せで人生に満足している時にも「ファッションなんてどうでもいいや」がやって来るようですね。
「しばらく美容院に行ってないよね?」とか、「そのセーターはもう引退させても罰は当たらないんじゃないかな」とか、「歩き易そうなスニーカーだね」といった私の頭に浮かんだコメントなんざ、A子の自信の前では吹き飛ばされてしまうでしょう。
会食を終えてA子とは駅で別れました。
「じゃぁね」と元気よく手を振ったA子の後ろ姿を、しばらく見つめました。
どんな事情があるのだろうと心配した私でしたが、A子はとても幸せそうでしたので、良かった良かったと胸を撫で下ろしました。