もう10年ぐらいになるでしょうか。
最寄り駅のロータリーにある銀行のATMを利用し始めて。
カウンターには6人ほどの行員さんが並ぶくらいの、大きな店舗の一角にあるATMコーナーです。
駅前という立地のせいでしょうか。
ATMコーナーには20台近い機械が並んでいます。

私が行く時は大抵店舗は閉まっていて、ATMコーナーだけが営業しています。
客の姿はちらほら見掛けられますが、並ぶようなことはほとんどなく、ATMの機械は選び放題です。
で、入口から入ってすぐの1台が開いていれば、その前に立つのが習慣に。
この機械がとてもシュールなんです。
普通通帳記入をしている間なんぞは、ぼんやりと待つだけなのですが、この機械ではそうはならない。
操作タッチ画面に釘付けになる。
男女の行員をイメージさせるイラストが画面に出てきます。
上半身姿のこの2人が、時折お辞儀をして、待たせていることを詫びてくる。
このイラストが古いのなんのって。
線が太くて直線的。
昔コンピューターが普及した当初は、滑らかな曲線が難しかった。
短い直線を繋げて曲線を描くといった感じで、その出来栄えはぎこちないものが多かった。
が、それから30年。
ソフトもハードも進化し、現実とグラフィックの境界線は曖昧になり、リアルってなんだろうと思わせるような画像や映像が氾濫する世の中に。
なのにこの機械のイラストだけは、頑固なまでにその姿を変えていないのです。
目なんて死んでいる。
子どもが描いた絵のように。
死んだ目の行員2人がこっちを見てくるのは、ちょっと怖いぐらいです。
画面に釘付けになっているうちに通帳記入が終わる・・・というのがいつものパターン。
で、ここのATMコーナーに並んでいる機械のうち、死んだ目のイラストが出てくるのは、この1台のみ。
ほかの機械では定期預金をしませんかとか、キャンペーン情報などが出てきて、ごく普通のタイプ。
入口から入ってすぐの1台だけが、何故かシュールなイラストを客に見せ続けている。
銀行の人たちは、これに気付いていないのでしょうか。
それとも、わかっていてオマケ的な感じで置いているのでしょうか。
「息子がこの絵が怖いと言うんですけど」と訴える母親とか、「この人たちは具合が悪いんじゃないのかい?」と心配するお婆さんとかは出現していないのでしょうか。
でも、と思います。
もしこの機械が撤去されるなり、新しいソフトに入れ替えられてしまったら・・・私はちょっと寂しくなるかもしれません。
死んだ目の2人にお辞儀をされるのは、怖いっちゃ怖いのですが、もうこんな古いタッチのイラストはここでしかお目に掛かれないので、遺産として残しておくべきではないかとも思うのです。
頑なに進化を拒むATM。
ピクサーさんが物語にしてくれたら嬉しいのですが・・・。
海外ドラマは一度ハマると、次のシーズンが待ちきれなくなりますね。
最近ハマっているのは「ダウントン・アビー」。
ご覧になりましたか?
賞を取りましたし、人気のシリーズなので、すでに観た方も多いかもしれませんね。
なんといっても脚本が上手い。
「ダウントン・アビー」という名の屋敷を所有する貴族一家と、その家に仕える下僕やメイドたちの物語。
1912年頃のイギリスのお話です。
時代も国も違いますし、貴族の暮らしも知らないけれど、すっとドラマに感情移入できるようになっている。
それは登場人物の動かし方が上手いから。
たくさんの登場人物がいるのに、それぞれをちゃんと動かし続けるので、観ていて飽きない。
これだけの脚本はチームで作っているのではないかと思い、ネットで調べてみたら、脚本の蘭にはたった一人の名前だけ。
びっくりです。

優しい家長がいて、アメリカから嫁にきた夫人がいて、貴族の誇りを持ち続けている姑がいて、三人姉妹がいます。
それぞれの個性があり、仲が良かったり、苦手だったり、衝突したりで目が離せない。
さらに彼らに仕える下僕とメイドたちの人生も絡んでくる。
厳しい執事がいて、冷徹な侍女がいて、いい人なんだけど口うるさい料理長がいて、可憐な台所の雑用係がいる・・・彼らのドラマからも目が離せません。
役者さんたちも見事です。
演じているというより、そこで生きているといったぐらいの生々しさで、画面の中を動き回ります。
素晴らしいドラマです。
以前観たドキュメント映画の中で、舞台監督が言っていた言葉を思い出します。
「暖炉が20個もあるような屋敷に住んでいるという設定の人物に、観客は誰も興味をもたない。だがその人物が、孤独を抱えているとわかった途端、観客はすうっとその人物に寄り添ってくれる。その心根がわかれば、時代設定や国や文化の違いなんか吹っ飛ばして、登場人物に心を通わせてくれるものなんだ」
といった内容のことを、舞台監督は言っていました。
小説を書く時この言葉を度々思い出しています。
そして、それぞれの登場人物の心根がきちんと描けているだろうかと自答します。
作家にはいろんな人がいます。
個性は勿論好きなこと、嫌いなことは違いますし、年齢もそれまで経験したことも違う。でも間違いなく言えることが1つだけ。
一番好きな言葉は「増刷」。
これを「重版」と呼ぶ方もいますが、意味は同じ。
出版した本の在庫がなくなったので刷り増して、書店に配ることを「増刷する」または「重版になる」と言います。
この言葉を嫌いな作家は一人もいない。
小説を世の中に出す時、大抵ドキドキしています。
読んでくれるだろうか。興味をもってくれるだろうかと不安でしょうがない。
そんな時「増刷」「重版」の連絡が担当編集者から入ると、すんごく嬉しい。
10センチ飛び上がるぐらいの嬉しさ。
「増刷」「重版」は作家の気持ちを強くしてくれる魔法の言葉なんです。
お陰様で「総選挙ホテル」が増刷になりました。
これは書店の方たちや読者が応援してくださったからです。
どうも有り難うございます。
増刷分は11月10日に上がるようですので、書店の皆様には引き続きの応援をお願いするとともに、未読の方は本を入手し易くなったと思いますので、この機会に是非とご案内させていただきます。

「総選挙ホテル」はお仕事小説と捉えられているようです。
ホテルで働く人たちが出てくるので、確かにお仕事小説という面もあります。
ただプライベート部分を描いたシーンもたっぷりあります。
登場人物たちのそれぞれのドラマを描いたつもりですので、お仕事小説はあんまり・・・という方であっても楽しんでいただけるのではないかと思います。
やってきた新社長が選挙をすると言い出して、社員たちは落選してしまえば、首になるという事態に直面します。
突拍子もない事態ですが、そうした極端な場面で見せる人の本性や、右往左往する人間の心の襞を描きたいと思いました。
思ったはいいものの、そうしたものがちゃんと描けているかはわかりませんが、いろんなことを感じていただけたら嬉しいです。
パジャマを着て寝ていますか?
私は・・・パジャマというモノを着なくなって、どれくらいの年月が経ったか思い出せないぐらい昔にお別れしました。
子どもの頃にはパジャマを着て寝ていました。
高校生の頃はどうだったかと記憶を辿りますが、はっきりとしません。
ここらあたりが、パジャマとの別離の時期だったように思います。
Tシャツとトレーナーにジャージで寝ます。
朝起きるとTシャツだけ洗濯済みの物と交換。
トレーナーとジャージは続行し、エプロンを付ける。
寝ている時と起きている時の違いは、このエプロンのみ。
でもって午後4時頃、またTシャツだけ洗濯済みの物と交換し、再びトレーナーとジャージは続投。
勿論エプロンも続投。
夜、入浴後にTシャツだけ洗濯済みの物を身に付けます。
トレーナーとジャージにもうひと頑張りして貰って、続投。
エプロンはそこらに放っておく。
就寝し、翌朝になると前日の繰り返し。
2、3日に1度、トレーナーとジャージ、エプロンは洗濯済みの物と交換します。
パジャマの出番なし。

先日インターホンが鳴り、宅配便が。
印鑑を取ろうとエプロンのポケットに手を入れようとして・・・手がするっと滑る。
ん?
ポケットが消えた?
エプロンを確かめてみると・・・裏返しになっていました。
いつからだろう。
サザエさんでもやらない失敗のような気がして、ちょっと哀しくなりました。
Tシャツを着替えるためには、エプロンを外し、トレーナーを脱ぐ必要があります。
また哀しくならないよう、今ではすべての表と裏を確認してから着るようにしています。
Tシャツの表と裏を確認し、トレーナーの表と裏を確認し、エプロンの表と裏を確認し、最後にポケットに手を入れて最終確認。
今のところ緊張感をもって臨めているようで、同じ失敗はしていません。
でも・・・気持ちが緩んだ時に、またやってしまいそうな気がしてしょうがありません。