風邪を

  • 2015年12月21日

風邪をひいていませんか?
私は今のところ大丈夫なのですが、周りには風邪をひき、ダウンしてしまう人が続出しています。

芝居を観に劇場へ行ったら、咳をしている人の多いこと。
この季節は勿論、劇場には1年を通して咳をしている人が多いと感じています。
平日の昼間に観劇に行くせいか、演目のせいか、お客さんの平均年齢は結構高め。
これが理由の1つかもしれませんね。
seki
以前劇場に行った時のこと。
隣席の友人と開演前にお喋りをしていると・・・背後から女性の咳が聞こえてきました。
女性の咳にしては結構な大きさ。
が、こっちも喋っているし、開演前で客席はざわざわしているしで、気に留めませんでした。
やがでブザーが鳴り、客席が暗くなって幕が上がって・・・そこで咳が。
で、これで終わらなかった。
3分に1度大きな咳をする。
計った訳ではありませんが、その間隔は一定に思えます。
休憩タイムになって振り返り、咳をしている人を探してみました。
最後列にいる女3人組の1」人でした。
言いたいことは山のようにあります。
まず、その咳はただ事じゃないので、こんなところに来ている場合じゃなく、病院へ行った方がいいということ。
すでに診察を受け治療中だというのであっても、周囲への迷惑を考えて、チケットは誰かに譲り、自宅で休んでいようとは考えなかったのかということ。
連れは「その咳じゃ、あなたちょっと無理よ」と引き留めることはできなかったのかということ。

その咳をしている当人も連れの人たちも、恐縮している気配を醸し出してはいません。
出ちゃうんだからしょうがないじゃないという開き直りなのか、日常的に咳をしていて、それが与える影響に鈍感になっているのか・・・わかりません。

OLをしていた頃、突然軽い咳が出て、それが半年ほど続いたことがありました。
市販の風邪薬を飲みましたが、咳は止まりません。
咳止めの薬を飲むと止まるのですが、とてつもなく眠くなる副作用があって、できれば飲みたくない。
そこで近所の病院へ行き風邪薬を貰いましたが、それを飲んでいる時には咳が止まるものの、薬がなくなるとまた咳が再発。
良くない病気じゃないかと同僚らが心配し出して、病院を変えた方がいいと言います。
当時はネット環境が未整備でしたので、キーボードを叩いて検索なんてことができず、知人に電話を掛けて情報を収集して病院を調べてくれました。
そんななかの1つの病院で、埃とダニへのアレルギーと診断され、処方された漢方薬を飲んだら、翌日には咳がぴたっと止まりました。
漢方薬を飲むのを止めても咳は再発せず、1年間に亘った苦しい咳とようやくオサラバできました。
当時はまだそうしたアレルギーは広く知られていなかったので、自分がそうした原因で咳をしていたことにびっくりでした。

こうした経験をした私だからこそ、その咳は大丈夫なのか? との思いもツッコミも、人より強いのかも。
咳が続くようなら、風邪以外の原因も探ってみてはいかがでしょう。
今は病気や病院や治療について調べやすくなっているのですから。

電子書籍を

  • 2015年12月17日

電子書籍なる単語を初めて耳にしたのはいつだったのか。
もう思い出せないほどの年数が経った気がします。
どれほど普及し浸透しているのか、私には見当がつきません。

電車のシートに座り向かいのシートへ目を向けたら、そこに並んでいる全員がスマホを見つめている・・・なんて景色には慣れてきました。
皆さんはスマホでなにをしているのでしょう。
両隣の人がスマホを弄っていると、見ないように見て、なにをしているのかをチェックします。
1番多いのはゲームをしている人。
その次に多いのが、SNSで誰かと会話をしている人。
その次が電車の時刻を調べたり、ニュース記事などを読んでいる人。
その次がマンガを読んでいる人。
大体こんな感じで、スマホで小説らしきものを読んでいる人を見掛けたことはありません。
小説だけじゃなく、ビジネス書系や新書系の類を読んでいる人も見たことがない。
どうしてでしょう。

そういう私もこれまで一度も電子書籍を読んだことがありませんでした。
このまま電子書籍エリアには触れずに生きていくような気がしていたのですが・・・先日、ひと回りほど先輩の女性が「電子書籍にハマってるのー」と言っていて、びっくり。
なんでも文庫サイズだと、文字のサイズが小さすぎて辛くなってきたところ、友人に勧められて電子書籍を買ってみたら、とても読み易かったとか。
文字を拡大することができる電子書籍は、老眼の身にはとても有り難いものだと、その先輩は語りました。
そして、電子書籍だとちょっと恥ずかしいものでも抵抗感なく読めるのも嬉しいと言うので、恥ずかしいのってどういうのですかとツッコむと・・・明らかに若い子向けの装幀だと、ちょっとレジに持っていくのは恥ずかしいし、それを避けるためネットで買って取り寄せたとしても、家族に「こんなの読んでんのー」と思われたりするのも恥ずかしいと言うのです。
「それ、ホントーに装幀の問題っすか? 内容が官能系だからとかじゃないんっすか?」と尋ねたい言葉をぐっと呑み込み、「なるほど」と頷いておきました。
今後はこうしたシニアの人たちが、電子書籍業界を牽引していくのかもしれませんね。
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文庫「頼むから、ほっといてくれ」は、どの世代の方がレジに持って行ってもまったく恥ずかしくない装幀ではありますが、電子書籍版もありますのでそちらもご検討ください。

ういろうのタイプ

  • 2015年12月14日

あっちこっちで「ういろう」を好きだと言い触らしていると、頂戴できることがあります
ういろう好きだというのを覚えていた方が、送ってくださったり、持参してくださったりするのです。
言っておくもんです。
で、送っていただいた品がこちら。
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オーソドックスな生ういろうに塩ういろうをあわせ、そこに変わり種としてトマト味を見繕う感性が素晴らしい。
送りましたというメールをいただいた時には、すでに手元に届き食べた後だったので、お礼と共に「すでに私のお腹の中です」というメールを返信したら「仕事が早いですな」とのコメントを貰いました。
こういうことは素早いんです、私は。

ういろうには様々な味とサイズがあります。
ひと口サイズで個別包装になっているものや、20センチ以上の長さの棹物タイプなど色々です。
棹物タイプは要注意。
皆さんは棹物タイプだった場合、包丁でスライスしふた切れ程度を小皿にのせて、菓子楊枝で上品にいただく・・・のでしょうかね。
が、私の場合こうはしない。
まず端をハサミでカットし包装フィルムを剥いたら、ガブリと噛み付く。
包丁で、なんて手間をかけず、がぶりといきたいんです。
で、DVDを見ながらがぶりをしていると・・・ふと気が付くと、ういろうが消えている。
おかしい、さっきまでこの手にあったのに。
そう、1本まるごと食べてしまっているんですね。
こんなことがしょっちゅう。
これはさすがによろしくないだろうと思うわけです。
そこで、包装フィルムにマジックペンで線を引きます。
今日はここまでにすると、最初に決めるのです。
それはだいたい棹の三分の一ぐらいのところ。
齧り付き、線のところまで食べ進みます。
ここで止めるべきなんです。
そのために線を引いたのですから。
が、ここから葛藤がスタート。
もう少し食べたらどうだっていうんだ。限界を決めちゃいけないと元アスリートが語っているのを聞いたことがあるぞ。
いや、そんなに一度に食べなくていいじゃないの、明日にしなさいよ。
と、私の中の悪魔と天使が囁き合うことに。
結局どうなるのかって?
私の場合、悪魔の方が強い傾向にありまして・・・天使が割とあっさり負けちゃう。
そこで、引いた線よりずっと下の方に、またマジックペンで線を引き直すことに。
この線までは行こう。そうすれば満足するはずだし。
なんて呟きながら食べ続けます。
で、線までいったところでどうなるか・・・ここでまた悪魔と天使が登場します。
結局、再び天使が負けるんですよ、もう確実に。
結果完食。
どうせこうなるならば、小芝居なんぞせず、最初っから1本行きますと宣言した方がよっぽど潔いと思うのですが・・・。

トランポリンの大会

  • 2015年12月10日


先日デンマークでトランポリンの大会がありました。
ご存知でしたか?
あまりメディアで取り上げて貰えないので、知らなかった人も多いのでは。
来年のリオデジャネイロオリンピックへの出場選手を決める、大事な試合でもありました。

オリンピック行きを決めた選手、決められなかった選手、どちらにも拍手を送りたいと思います。
オリンピック行きの夢を叶えられなかった選手のなかには、競技生活から引退する人もいるでしょう。
ずっと1つの目標に向かってきたのでしょうから、次の目標を見つけるのは難しいと考えるかもしれません。
でも、人生は長い。
ゆっくりと次の夢を見つけて欲しいと思います。

子どもの頃大きくなったらなにになりたかったですか?
おもちゃ屋さんとかパン屋さんとか、戦闘モノのヒーローになりたいと思う子は多いですよね。
しかしながら大抵そうはならない。
現実と能力と様々なことが絡み合ったなかで、将来の進むべき道を探し始めます。
就職活動前にその道を見つけられたらラッキーですが、そうそうタイミングが合うとは限らない。
なにが向いているのか、なにがしたいのかわからなくて、進路を見つけられなかったとしてもくさったりする必要はありません。
きっといつか見つかります。

文庫「頼むから、ほっといてくれ」では、トランポリン競技に情熱を向ける人たちが登場します。
当然、オリンピックに出場する選手の話も出てきます。
が、オリンピックへ行けなかった選手の話も書きました。
そしてオリンピック後の選手たちの話も描きました。
目標を失い、次の目標を見つけようと模索する人たちです。
それぞれが見つけた次の人生も、きらきらと輝くものであって欲しいと願いながら執筆していました。
競技とはまったく違う世界へ行くことになっても、それまでの競技人生が糧となるはず。
努力を重ねてきた時間は、人生を豊潤にしてくれるのですから。


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