まめに手入れ

  • 2018年11月12日

友人A子はとても綺麗な手をしています。
同年代のはずなのに。
しかも「水仕事はすべてお手伝いさんがやってくれるの」といった環境でもないのに。

その秘訣を尋ねたところ、面倒がらずに小まめに手入れをするだけだとA子。
手が水やお湯に触れたら、すぐに手入れをするという習慣づけをしておくといいらしい。
例えばトイレに行って手を洗ったら、ハンドクリームを塗る。
このハンドクリームを塗るまでがセット。
これを無意識にできるようになれば、苦ではないとA子は言います。

また外に出る時には顔だけでなく、手と首にも必ず日焼け止めを。
外とはベランダも含まれるそうです。
顔、手、首に日焼け止めを塗ってから、ベランダで洗濯物を干すようにしているとのこと。
そうした対策は夏だけではなく、一年中行っているとか。

ふむふむ。
なるほどと思った私は自宅に戻るとすぐにネット検索。
そしてボディ用の日焼け止めを初めて購入。
あまりに種類がたくさんあって迷ったのですが、肌が弱い人向けとなっていた品を取り敢えず選択。

容器を上下にシェイクしてから、乳液状の日焼け止めを手に取り出し、実際に首に塗ってみると・・・サイトの商品特徴の欄には、伸びがいいと書いてあったのに広がらない。
しょうがないので日焼け止めを大量に掌に出して、それを指でちょびっとずつ首に移す。
塗り残しがないように指で広げようとするのですが、全然伸びないので何度も指で擦ることになり、気が付けば首が赤くなっている。
そして頭に浮かぶのは「耳なし芳一」の物語。
物凄く久しぶりに思い出した物語の恐ろしいラストがちらついて、落ち着かなくなる。
次に手に取り掛かり日焼け止めを必死で擦り付ける。

肌には摩擦が一番いけないとどこかで聞いたような気がして、これは本当に正しい道なのかとの疑問が。
疑問を抱えたまま近くのポストに行き投函。
自宅に戻るまでの所要時間は約1分。
これはないなと思う。
1分間の日焼けを阻止するために、掛かった準備時間はおよそ3分。
挫折するに充分な理由を見つけてしまう。
ポストはあまりに自宅の近くにあるので、この際そこは「外」ではなく「内」と決める。
本当に「外」へ出る時に日焼け止めを塗ろうと、自分ルールを作成。

次に私がすべきなのは、A子に使っている日焼け止めのメーカー名を尋ねることと、伸びの問題について質問すること。

「後」でメールしようと思ったのですが、その「後」がなかなかやって来ない。
そして気が付けば、洗面台の横に放置した日焼け止めの蓋に、埃が積もるぐらいの時間が過ぎていました。
三日坊主でさえなく、一回坊主となりました。

忘年会

  • 2018年11月08日

忘年会の幹事からクレームが。
私だけLINEをしていないため、連絡がメンドーだという。
他の参加者とはあっという間にいろんなことを決められるのに、私とだけはメールで遣り取りをしなくてはいけない上に、返信が遅いとのこと。
申し訳ない。

去年の別の幹事からも同じことを言われました。
が、聞き流す。
いつまで聞き流せていられるのか・・・。

私は常時誰かと繋がっていたいと思わないのです。
用事がある時だけドアをノックして「今、いい?」と接触するぐらいの距離感が、私には丁度いい。
人が嫌いな訳じゃないし、人付き合いが苦手ということでもない。
自分の時間をしっかり確保して、友人との時間も大切にする。
だけど常時べったりというのは無理。
ただそれだけのことなのです。

また感じたことをすぐに言葉にするという習慣もない。
つまりTwitterもしていない。
なにか見つけるとスマホで撮影して、すぐさま呟くという人をよく見かけます。
そういう人を見る度、感じたことをすぐに言葉に変換し、伝える能力があるんだなと感心します。

私はしばらく自分の中で熟成させてからでないと、言葉に変換できません。
自分が感じたことを人に伝えるには時間が必要なのです、私の場合は。
一旦呑み込んでから咀嚼するまでの時間。
そうして時間を掛けてまとまった思いを、コンパクトにするのも苦手。
だから多分Twitterにはこれからも近寄らないと思います。

こんな私はこれからどうしたらいいのでしょう。
友人からメンドーだと言われても聞き流し、なるべく早く返信するからメールにしてと、お願いし続けるしかないのでしょうかね。
友よ、スマン。

結局今年の忘年会はもう決まったのかという点ですが、日時と場所が決まったとのメールが入りました。
「決めるの早くない?」と私なんかは思うのですが、準備万端に整えるのが好きな性格の子が幹事になると、このような次第となります。
更に平成最後の年忘れの会となるので、総括するべく、各自にそれぞれの30年間を語って貰うつもりだから、心積もりをしておくようにといったこともメールに書かれていて、思わず固まってしまいました。
30年間・・・語り尽くせませんって。

売り切れ

  • 2018年11月05日

化粧品の買い置きがなくなった。
メーカーのサイトにアクセスし買おうとしたら・・・欲しい3種のうち、在庫があるのは1つだけ。
2種は売り切れとなっている。
しょうがないので在庫のある1つを購入。

1週間後、再びメーカーのサイトにアクセス。
品切れ状態は脱しているかと思いきや、前回同様売り切れとなっている。
どんだけ人気?

それじゃ、他のものにって訳にはいかない。
買いたいのは敏感肌用の基礎化粧品。
たくさんのトライアルセットを購入し、試してきました。
時には合わずに肌荒れを起こしたりしながらの、長く険しい道のりでした。
そうやって時間とお金を掛けて、やっと自分の肌に合う化粧品を見つけたといったストーリーがある。
売り切れているから他の物にとはいかない。

メーカーの公式サイトではなく、別のネットショップで取り扱いがあるのではないかと考え、探してみると・・・ありました。
欲しい2種のうち1つは在庫があるようで、翌日届く模様。
でもそのサイトではもう1つの取り扱いはない。
そこで残り1つを取り扱っているサイトを探し続け、別のネットショップを発見。
しかしそこでは取り寄せになるので、受け取り日時は指定できないとなっている。
公式サイトでいつ買えるかわからない状態のため、取り敢えずそのネットショップで注文をする。

それから2週間後。
ネットショップからメールが。
メーカーに注文を出していたが品切れ状態が続いていて、商品を確保できなかったので、注文はキャンセルとさせていただく、といった内容が書かれていました。
マジで?

工場でなにかあったとか、そういうことなのでしょうか?
それとも廃番になる見込みで製造するのを止めたとか?

そのメーカーからは肌のお手入れ方法だの、肌にいいメニューのレシピだの、呑気な内容のメールが毎日のように届く。
そんなことより商品を作ってくれと私は思う。

ふと、私のように困っている人が、ぶつぶつ言ってないだろうかと思い付き、検索してみる。
化粧品メーカーの名前と、「品切れ」「長期」の単語で検索してみたところ、1つのニュース記事と出くわす。
それによると、その化粧品メーカーだけでなく、日本の他のメーカーでも爆買いされて、品切れ状態が長期間に及んでいるとか。
転売を目的とした人が大量に買うことで、日本の化粧品メーカーでは、多くの商品が在庫切れになっているという。

こんな理由だったとは。
質は落とさずに生産能力を上げて、すんなり買える状態に早くなって欲しいと祈るばかりです。
扱っているショップを探すの、結構メンドーなんで、ひとつよろしく頼みます。

ベトナム語版が

  • 2018年11月01日

出版社から「嫌な女」のベトナム語版が送られてきました。
それがこちら。

すでに4月には発売されていたといいます。
おいおい。
半年間も送ってこなかったってのは、どういうことだいと思う訳ですが、海外の場合こういうことはしばしば起こる。
完成した本を著者に送るという作業は、仕事リストのかなり下の方にあるみたいです。

中を見てみると・・・ベトナム語。
当たり前なんですがなんか不思議な感じがします。

作家になる前の私の読書遍歴はかなり偏っていました。
海外の翻訳小説ばかりだったのです。
しかもミステリー。
文化も環境も価値観も、時には時代も全く違う国の作家が書いた物語を味わうのが好きでした。
自分と作家に共通点が少なくても、登場人物の行動に一喜一憂する不思議。
小説の底力を感じていました。

だからこそ自著が海外で翻訳出版されているのは、感慨深いものがあります。
徹子と夏子の人生を、どんな風に味わってくれるのでしょうか。

時々私の文章を「乾いている」「翻訳小説っぽい」と表現される方と出会います。
乾いているか湿っているかはわかりませんが、翻訳小説っぽいとの指摘には「無自覚ですが、恐らくそうかなと思います」と答えます。
自分では意識せずとも、これまでに読んできた大量の翻訳小説の影響は、受けているだろうと思うからです。

作家を志した時にこの偏った読書傾向はマズいだろうと考えて、日本の作家の小説を読むようにしました。
それは今もそうで海外の翻訳小説だけでなく、日本の作家の小説も読みます。

ただ・・・先日のこと。
編集者と書店に行く機会がありました。
編集者も私も勝手に店内を動き回ります。
いつしか本探しに夢中になり、編集者と一緒だということを忘れてしまう。
本を捲っていると隣から声が。
「桂さんどこかなって思って、きっと海外小説の棚の前だろうなと来てみたら、当たりました」と。
「に、日本の小説だって買うし、読むよ」と、買うつもりで置いてあった本を指差しました。
そこには日本の作家の小説が2冊と、海外の翻訳小説が2冊。
「それ、買うんですか? ちょっと見ていいですか?」と編集者が本を手に取る。
なんだろう。この恥ずかしさは。
「へぇ、こういうの選ぶんだ」と思うんだろうな・・・と考えると、なんか落ち着かない。
自室にある机の引き出しの中を覗かれているような感覚。

まだ読んでいないので、あくまでもタイトルとか、帯の文句とか、装丁の感じで選んだだけなので、当たりか外れかわからないし、自分好みかどうかも不明。
それでもたくさんある本の中から、それを選んだということに、自分の好みと意志が反映されている・・・そう思うからこそ、自分が選択した本を検められるのが、のぞき見されたようなこそばゆい感じになるのかも。
本ってなんか不思議ですね。


Copyright© 2011-2018 Nozomi Katsura All rights reserved. No reproduction and republication without written permission.