食にまつわる情報が溢れています。
メディアでもネットの世界でも。
飲食店情報や新商品情報、作り方は勿論、他人の冷蔵庫の中身を覗き見たり、食材の価格についての情報だったり、生産者のインタビューなどなど、とにかくたくさん溢れています。
そんなに皆、食べることが好きなのかなぁと思ってしまうほどの情報量。
辟易しそうなはずなのに、つい、時短節約レシピの動画を見ている私。
私も興味があるようです。
新刊「地獄の底で見たものは」にも食がらみの話が出てきます。
登場人物の一人、足立英子は料理好きの夫から、今日の晩御飯のメニューを知らせる連絡がスマホに入った時、この人と再婚して良かったとつくづく思います。
料理好きな夫とは、曜日によって夕食造りを分担しているのです。
嫌なことがあった時、とても疲れている時、どんな時でも妻が夕食を作ることになっている家は多いでしょう。
英子の家のように分担制であったなら、どれほど助かるか。
そして英子の娘、美有紀はそんな両親を見て育ったため、食事について一つの考えをもっています。
それをクリアした男性との結婚を決めます。
食はやはり生活の、そして人生の中心なのかも。
A子は最近、夫とフードフェスタ巡りをするようになったと言います。
なにを選ぶのかは、それぞれ。
各自行列に並んだりして買い集め、会場に置かれたテーブルに広げて、その場で食べるという。
「これ、美味しい」とか、「こういうの、初めて食べた」などと言い合いながらの食事。
普段自宅ではもう話すことなんてなくて、いつも食卓はシーンとしているそうなのですが、この場では「美味しい」とか、「ビールが進む」なんて他愛もない単語が飛び交い、それだけで十分だなと思えるのだそう。
自分の幸せに気付けるのも食がきっかけ。
食の力は凄いようです。
二地域居住が関心を呼んでいるという。
この二地域居住とは、都会と田舎など、二つの離れた住まいを行ったり来たりして暮らすというもの。
国土交通省が2022年に、18歳以上の約12万人に行ったアンケートでは、3割弱の人が二地域居住に関心があると答えたらしい。
そんなに多くの人が関心を寄せているとは。
この記事を読むまでごく稀なケースと認識していましたが、違ったようです。
子どもを自然の中で育てたいとか、会社員生活を終えたのでセカンドライフは自然に囲まれて暮らしたいが、都心での活動も引き続き行いたいとか、そういう人たちにとって、魅力的なのでしょうかね。
私はというと、ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくるので、やってみたいとは思いません。
作家の中には、住まいと執筆する場所を分けている人がいます。
これもある意味、拠点が二ヵ所。
が、これを検討したことはありません。
拠点が二ヵ所となると、掃除する場所が二ヵ所になる。
これが大問題。
一ヵ所を掃除をするのだって嫌々やっているのに、二ヵ所の掃除をしなくちゃいけないとなったら、ぐれそうです。
そんなものテキトーでいいじゃないか、というツッコミがあろうかと思いますが、私はアレルギー体質で慢性副鼻腔炎が持病になっているため、掃除はやりたくないけれど、やらないといけないこと。
サボると、たちまち呼吸が苦しくなったりします。
いい空気清浄を買ったらとアドバイスされて、様々なものにトライしてきましたが、空気が動くせいか却って体調は悪くなるばかり。
それで毎日二度、拭き掃除をしています。
これが二ヵ所になるとしたら・・・考えずとも無理との答えが出ます。
私の拠点は一ヵ所でいい。
これまで何回か引っ越しをしてきましたが、今の住まいが一番気に入っています。
駅まで近いし、生活に必要なものが揃う商店街があり、病院もたくさんあるので。
初めて一人暮らしをした時の部屋は狭かった。
今振り返ってみても、よくあのスペースで生活出来ていたよなと感心するぐらい。
次に引っ越したのは、それまでの倍ぐらいの広さの部屋でした。
それでも世間の基準でいえば十分狭いのですが、それまであまりに小さな部屋で暮らしていたため、広いなぁと嬉しくなる一方で、落ち着かない気がしたものでした。
新刊「地獄の底で見たものは」に登場する伊藤由美は53歳で、一人暮らしを始めることに。
53歳で辿り着いた小さな部屋を眺め、なんともいえない気分になります。
そんな暮らしに陥った由美は、そこで燻り続けるのか。
それとも・・・。
興味をもたれた方は本書を手にお取りください。
どんな職場にも嫌なヤツはいる。
そう確信しました。
新刊「地獄の底で見たものは」を読んだ知り合いらが、感想をメールで送ってくれます。
感想は人それぞれ。
当たり前です。
なにを感じるのかは人それぞれですからね。
とはいうものの、感想の中に共通するコメントがあることも。
この「地獄の底で見たものは」を読んだ知り合いらのメールには、結構な頻度で「うちの職場にも内田がいる」というコメントが書いてありました。
内田というのは、登場人物の一人、足立英子の上司となる人物。
こいつは社長に対してのみ誠実であろうとするタイプ。
ゴマすりだけで出世してきた男。
どうやら、こういう人は多数の職場に生息しているようです。
私が会社員になったばかりの頃は、こういう人物を見ると物珍しさに興味を惹かれました。
フリーランスのライターになって、こうした人の生態を見る機会もなくなるだろうと思っていたのですが、そうはいかないと知りました。
取材現場にはライターとカメラマンの2人で行きます。
互いにフリーランス同士。
カメラマンの車で、一日に何件も取材先を回ります。
この移動中の車内で、編集者の悪口を並べ立てるカメラマンが多かった。
「編集者の仕事の段取りが悪いのは、頭が悪いからだ」「こっちのギャラは信じられないほど安いのに、エアコンの効いたオフィスで、のんべんだらりとしているあっちの年収は〇円って、世の中おかしい」などなど。
ところが、たまーに編集者が現場にやって来ることが。
そんな時にカメラマンは「お疲れ様です」と挨拶をし、「〇さんに現場に来て貰えると、仕事がスムーズに進んで助かります。さすがですね」などと、しれっと言う。
お前は多重人格者か、と言いたくなるほどの態度の急変。
普段は面倒臭そうに写真を撮って、さっさと終わりにする癖に、そういう時は「チェックお願いします」などと編集者に言い、意見を出されると「なるほど」などと真剣な表情を浮かべて、仕事熱心なキャラを演じる。
絶対に友達になれない嫌なヤツではありますが、こういう人が仕事を貰えて、生存競争が激しいフリーランス界で、生き残っていけるんだろうなと思ったものでした。
全国でスーパーを経営する企業が、引退したスポーツ選手を採用するという。
元プロだけでなく、アマチュア選手だった人もOKらしい。
営業職での採用を考えているそうで、スポーツの体験会やイベントの企画なども、担当して貰うとのこと。
素晴らしい。
スポーツ選手がセカンドステージを見つけるのは、なかなか難しいと聞いています。
子どもの頃から1つのスポーツに、全力で取り組んできたであろう選手たち。
引退後にすぐに次の目標をもてる人は少ないはず。
そんな彼らに活躍できる場所を提供する企業が登場したのは、とてもいいことですね。
新刊「地獄の底で見たものは」には、元競泳選手が登場します。
大野邦子はかつて、オリンピックに出場したことがあります。
残念ながらメダルには手が届かず4位でした。
もしメダルを取っていたら・・・その後の人生の選択肢は多く、また華やかなものだったかも。
でも4位だった。
邦子のセカンドステージに選択肢はなかった。
長年練習していたスイミングスクールのコーチになります。
厳しく指導していたけれど、生徒たちからは慕われていたので、我流のコーチングに疑問をもつことなく過ごしてきました。
そんなある日、自分の教え方に疑問をもつように。
果たして邦子はどうするのか。
邦子の奮闘は、本書をお買い求めの上でお楽しみください。
私が小学生の頃。
親が私を無理矢理卓球教室に放り込みました。
私は渋々行っているので、熱心な生徒じゃありませんでした。
そんな私にコーチは不満だったのでしょう。
よく怒られました。
そしてしばしば罰として、階段を一往復してこいと命じられました。
そこは6階。
6階分の階段を下りて、上れなんて・・・。
当時の私は超肥満児。
数段上っただけで息が荒くなるぐらいなのに、無理。
で、私はどうしたかというと、練習部屋を出て階段をひとまず下りる。
で、踊り場で一休み。
コーチのいる場所からは見えないので。
そして大体これぐらいかなといったところで、階段を何段か上る。
で、まるで1階まで下りて、上ってきましたといった体で部屋に戻る。
荒い息をしているので、コーチにはバレなかった。
そんな態度で半年が過ぎた頃、大会に出場することに。
教室の生徒全員が、コーチによって勝手にエントリーされていたのです。
で、一回戦、二回戦と、私は何故か勝ち進んでいきます。
明らかに私より上手な相手が、自滅していったからなのですが。
三回戦、四回戦と勝ち、教室仲間たちがいる観客席に戻ると、コーチから「どうだった?」と聞かれました。
「勝ちました」と告げると・・・コーチは複雑な顔をしました。
才能もなく、また努力もしない超肥満児の小学生が、運だけで勝ち進んでいることに、どう対応していいのか困っているといった顔でした。
教室仲間たちからは「凄いじゃん」「次も頑張れよ」などと声を掛けられましたが、コーチからは一言もなかったことを覚えています。
今なら分かります。
掛ける言葉が見つからなかったんですよね。
コーチ稼業も大変です。